「ベンチ」

北海道では極道関係の方々や風俗関係の人々と頻繁に出会った。私は自分の連絡先を公開していた。ある日、ある女性から「会いたいです」と連絡が届いた。坂爪さんが都合のよいところまで行きますと言ったので、私は札幌の大通駅界隈を指定した。すると、彼女から「それでは私は三越のエレベーターの前にあるベンチに座っているので、坂爪さんの都合のいいタイミングでお越しください」と返信が届いた。なんでもないことと言えばなんでもないことなのだが、待ち合わせ場所を不思議に感じた。駅前でもなければカフェでもない、エレベーター前のベンチという場所の指定が妙に印象に残った。

実際に待ち合わせ場所に行くと、私より少し若い女性が座って本を読んでいた。その姿が異様だった。異様というのは失礼だが、自分とは違う世界を生きている人間がいるのだと直感が叫んだ。ベンチに座って会話をした。彼女は自分の身の上を話した。自分には全然お金がないこと。街に出て来てもカフェには入れないからこういう場所で本を読んだりじーっと座っていることが多いこと。借金があるから風俗で働いていること。この場所までは家から一時間くらいかけて歩いて来たこと。いつも移動は徒歩だから歩くことは全然負担ではないということ。坂爪さんのブログからはいつも勝手に力をもらっていたからいつか感謝を伝えたいと思っていたこと。だけど自分にはお礼に渡せるものが何もないこと。だから体でお礼を払いたいということ。自分には何もないけれど体ならあるからそれで風俗という仕事をしている訳だけれど、それなら差し出せるからよかったら体でお礼をさせてくださいということ。そういった話を、私は三越のエレベーター前にあるベンチで聞いた。

私は色々なことから衝撃を受けていた。自分にとっての当たり前が誰かにとっても当たり前であるとは限らないのだという、頻繁に耳にするフレーズがナイフのような形を伴って自分の胸に突き刺さり、痛みに体が震えていた。街に出てもカフェに行くお金がないから三越のエレベーター前にあるベンチを居場所にしている世界。多くの人々がバスや電車や自家用車などを使って行くような場所に一時間以上かけて歩いて移動をする世界。自分には差し出せるものが何もないから体で払わせてくださいと白昼堂々はっきり口にする世界。様々なものが異様で、私は、何か大きなものから「この世界にはお前の想像も及ばないような日常を生きている人間がいるのだぞ」と言われているような、ある種の畏怖を感じた。彼女の口調にも私は震えた。彼女の口調は、まるで小さなこどもが自分で拾い集めた花で編んだ髪飾りを差し出す時のように「自分の体で払いたいです」と、純然なまなざしでそう言った。彼女の言葉の響きから、自分を道具にすることに慣れている印象を受けた。女の自分を道具にすることに慣れている人物を目の前に、私は言葉を失った。

自分の想像を遥かに凌駕する世界から来た人を前にすると、立ち振る舞い方を見失う。自分の世界が崩れ去り、自分が持ち得る言葉ではまったく通用をしない、この人は自分が経験してきた何倍もの地獄を引き受けて来たのだろうという感覚になり、言葉を失った。何をすることもできない。何も言うことができない。強い衝撃を受けながら、同時に感動をしている自分がいた。何か大きなものから「お前は、お前がいま目の前にしている世界もひっくるめて愛していけるのか」と問われているような、世界が拡張する瞬間を突きつけられて「これが現実だぞ」と言われているような、いまの自分では到底対処し切れないという絶望感と共に、それでもなおと思うある種の勇気を得た。この世には、自分の想像を遥かに超えた世界を生きている人たちが実在する。自分が想像することもできない生き方を実際にしている人々がいる。圧倒的な本当を前に、一切の嘘が通用しない。一切の綺麗事が通用しない。ベンチで私は震えていた。震える私の横で、彼女は淡々と身の上を話した。

バッチ来い人類!うおおおおお〜!