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愛と愛っぽいものは全然違う。

神奈川在住の女性Y様からご連絡をいただいた。坂爪さんこんにちは。◯◯と申します。坂爪さんの文章からずっと力をいただいていました。まるで自分を虐待しているかのような壁に何度もぶつかっており、今日の投稿を拝見して力をいただけたら嬉しいなと思い連絡をさせていただきました。『家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する』という文章に「家族の問題を抱えたまま生きていると、自分が不幸になることで家族の誰かに復讐をしようとする働きが生まれる。」と書いてくださったかと思います。とても自分に当てはまるなぁと思っています。もし宜しければお電話をお願いさせていただいても良いでしょうか?、と。私たちは、早速電話をした。

物腰も柔らかく、品性と知性を感じさせるY様は話してくれた。私は母子家庭で育ったのですが、母親の性格が断定的だったから議論をする余地もなくて、これまで「自分の存在が認められた」と感じたことがありません。父親とは「このまま一緒にいたら殺される」と思って縁を切り、何年も連絡を取っていなかったのだけれど、この前久しぶりに連絡をしました。すると、自分が思っている以上に父親は私のことを思ってくれていたことがわかったのですが、その一方で責任を取ろうとはしてくれない態度が感じられました。存在が認められないことと、責任を取ろうとはしてくれないことに、苦しみの原因があるような気がします。そのようなことを、Y様は話してくれた。

Y様は言った。お金に余裕がある訳ではないのですが、今夜、家族問題を専門とするカウンセラーの人に相談に行きます。結構なお金がかかるので、その前に坂爪さんとお話しできたら嬉しいと思って電話をしました。私は、それを聞いて「キャンセル料金がかからないなら、キャンセルをしましょう」と言った。すると、Y様も「キャンセルをします」と即決した。本当は、お金を出して相談することにも、多額の費用がかかることにも違和感を覚えていた。だけど、専門家の人が「お金がかかるのは、本気で取り組むために必要なことだからだ」と言っていたし、言いたいことはわかるからそんなものなのかなと思っていたけれど、今、自分の気持ちをまったく大事にできていなかったことに気づいた。お金を出さないとダメな人なんだと思っていた。誰かの意見ばかりを採用して、自分の心が感じていたことを大事にしていなかった。電話をしている今も、実は、ものすごい緊張をしている。間違ったことを言ってしまったらどうしようと、誰といても不安を感じてしまう。あまりにも率直に話し過ぎているけれど、坂爪さん、私は大丈夫でしょうかと言った。私は「大丈夫。率直に言ってもらわないとわからない」と言った。すると、Y様は泣いた。堰き止めていたダムが決壊したかのように泣いた。

私は、ふたつのことを感じた。ひとつは「Y様の両親も、もしかしたら同じことを感じているかもしれない」ということは。もうひとつは「愛と愛っぽいものは全然違う」ということ。もしかしたら、Y様の母親も存在を認められない日々を生きていたのかもしれない。もしかしたら、Y様の父親も誰からも責任を取ってもらえずに、捨て子のように生きていたのかもしれない。そのようなことを話したら、Y様は再び慟哭をして言った。その通りです。母親は厳しい家庭で育ち、父親は虐待を受けて育ったと聞いています。幼少期の頃の父親の写真を見たことがあるのですが、親と一緒に写っているのですが、ものすごい不安そうで、か弱そうで、心が落ち着ける場所が一つもないような、安心できる場所が何処にもないような顔をしているのです。そのようなことを話しながらY様は泣いた。泣いてくれてよかったと思った。誰のための涙なのか。自分だけのためではない、自分を超えた涙だと思った。

私は「愛と愛っぽいものは全然違う」と思った。自分がやろうとしていることに愛があるならば、絶対元気になる。だが、愛ではなく愛っぽいことをやろうとすると、疲れる。そして、燃え尽き症候群みたいになり「もう頑張れないよ」となって死にたくなる。それが本当に愛ならば、必ず元気になる。元気にならないのは、それが愛ではないからだ。基準は自分だ。元気になるかどうかなんて、自分にしかわからない。世間的な「正しい・正しくない」はあてにはならない。私たちは、正しさを食べて生きているのではない。喜びを食べて生きているのだ。愛を食べて生きているのだ。俺を見ろ。機関紙を無料でばら撒いた影響で、毎日具なしの味噌汁と空き地に生えた琵琶しか食っていないのだぞ。だが、元気だ。理由は単純。愛を食べているからだ。機関紙を出すほど元気になる。時折「こんなゴミみたいなものを送るな」とか、無料で受け取っておきながら文句や不満ばかりを言う人もいるが、でも元気だ。元気なのだ。機関紙を出さなきゃ起こらなかった奇跡のような出来事に恵まれて、明日を生きる活力を得ているのだ。弱っている時は、愛の炎が消えかけている合図である。しかし、消えた訳ではない。消えそうなその光を思い出すためには、愛っぽいものを無視して、真実の愛を見つめることだ。愛は絶対にある。それを思い出せば絶対に元気になる。俺がお前を元気にすることはできない。お前の中にすでに元気はあるのだ。金がなくても、病気でも、刑務所の中にぶち込まれても、人は人を愛することができる。愛と愛っぽいものは全然違う。愛っぽいものではなくて、愛を。真実の愛を。

おおまかな予定

6月10日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

6月24日(土)演奏会@福岡県福岡市「森本能舞台」
https://note.com/tomokopramana/n/n53d26fadc3ea

6月25日(日)日曜礼拝&わたり食堂【0円食堂】
https://note.com/keigosakatsume/n/n1114b83797aa

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!