「多様性」

坂爪さんのブログを読んで笑ったり悔しがったり驚いたり感情を動かされています。いつも自分の感情、考えを坂爪さんが言語化してくれている事に悔しさ(?)を感じているので、今回は私も自分の経験と気づきを言語化して見ようと思いこのメールを送りました。

私は以前知的障害や精神障害がある(と言われている)人達が支援を受けながら一軒家などで共同生活する「ケアホーム」のスタッフをしていました。そこでの主な仕事は、社会で生きづらいとされている人たちが、施設ではなく地域の中で暮らしていくために、本人のかわりに金銭管理をしたり、通院に同行したり地域生活の中で起きる問題に相談に乗ったりという内容で、それ以外は主に書類作成などの事務仕事をしていました。正直私はそこでの仕事が好きでありませんでした。毎日のように利用者からかかってくる相談の電話、近所からのクレームへの対応、問題を起こす入居者と話し合い。職場の人間関係も皆余裕がなく、「頼むからこれ以上問題を起こさないでくれ」という雰囲気でした。気づけば職場に行くのが億劫になり仕事のミスも増え、「仕事ができない奴」と思われたくない私は仕事のミスや遅れを他のスタッフに隠すようになりました。

そのときのわたしの頭の中は「仕事ができない私は何てダメな人間なのだろう」という言葉でいっぱいで、誰の叱責も励ましも入ってくるスペースがない状態でした。「仕事が出来るようになれば自信もつくし自分のことを肯定出来る」と思って無理をすればする程頭が真っ白になってミスを重ね、ある朝とうとう恐怖で出勤できなくなりました。その日に父に病院に連れていかれ鬱との診断を受けました。その状況を見かねた上司の判断で私はその部署から別の部署へ移動する事になりました。その時の心境は「とうとう見捨てられた」「自分はもう終わりだ」というものでした。しかしこの移動が自分にとっての転機となる出来事でした。異動になった部署は様様な障害をもった(と言われている)人たちにシール貼りやお菓子の箱組み立てなど簡単な作業を提供する「作業所」と言われるところでした。スタッフはそこで利用者と一緒に作業をしたり作業がうまく回るように調整したりするのが仕事なのですが、当時の自分は利用者と同じ単純作業を延々やるなんて地獄だと思っていました。自分はもっと難しいことができる。そう思っていました。

結論から言うとそこはめちゃくちゃ楽しかったのです。そこに集まるのは自閉症、知的障害、聾、ADHD、ダウン症などあらゆる個性の人たちでした。そんな人たちが一緒に一つの作業をするのですから何も起こらないはずがありません。作業中は喋りっぱなしで手よりも口を動かし、ケンカは当たり前。作業もあまり進みません。そして休憩時間は各々、絵を書いたり、パソコンを見たり、走り回ったり、飛び跳ねたり、独り言を言ったりしていました。みんな私から見たら好き放題やっているように見えました。でも一つ皆が共通していたのは「仕事がしたい」と言うことでした。皆能力の違いはあれどできる範囲の仕事をしていました。

そんな人たちと一緒に働いていれば影響を受けないわけがありません。私はいつの間にか仕事に行くのが、皆に会うのが毎日楽しみになっていました。皆ツッコミどころがあり過ぎるのです。気がつけば自分が鬱であったことなど忘れていました。そしてある時、雷に打たれたように気がつきました。私は「仕事ができない私は価値がない」と言う考えを無意識に他人に対しても当てはめていたことを。ケアホーム時代はその考え方から利用者を見下していたことを。そのために関係が築けず孤立していたことを。しかし今の自分が元気になれたのは仕事ができないと見下していたその人達が自由な振る舞いで一緒にいてくれたからだということ。この事に気づいた時私の価値観は一気に逆転しました。「仕事ができない自分はクソだ」と思っていた自分は「自分よりもさらに仕事ができない」人たちから元気をもらっている。では自分よりも仕事ができないこの人たちは自分以下のクソなのか、そう考えた時にゾッとしました。自分はそんな考え方の人間だったのかと。そしてそんな考え方の人間でいたくないと思いました。どう考えたって、仕事が出来る人間より、他人を元気づけられる人間の方がいい。間違っていたのは自分でも他人でもなく、やり方でもなく「考え方」だったのだと気づきました。

私は、かつて見下していた人達から元気をもらい、狭い考え方を変えるきっかけをもらいました。なので自分にとってこの場所で出会った人たちは「恩人」「友人」です。(余談ですが、作業所に移ってから2年後、バイクで旅に出るため、この職場を離れました。その際背中を押してくれたのもその友人たちでした。)この場所で教えてもらったことは他にもたくさんあるのですが長くなり過ぎるのでここで締めたいと思います。

価値観がひっくり返る瞬間って雷に打たれたみたいで、その雷によって生きながら別人に生まれ変わるような感覚ですね。生きているうちに何回転生できるか、それが自分の中の多様性になるのだと思います。外よりも、まずは内なる多様性(一句できた!)

長々と失礼しました。

坂爪さんの生き様に生まれ変わる勇気を貰っています。これからもお元気で!

バッチ来い人類!うおおおおお〜!