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精神的な愛が最上とか言うけど、あれは嘘だね。体で射抜かないと。

精神的な愛が最上とか言うけど、あれは嘘だね。体で射抜かないと。本当に好きな人と出会った時、二回、恋に落ちる。最初に落ちるのが精神的な恋。ファーストインパクトで電撃が走り、ああ、この人が運命の相手だと思う。一目惚れなどがそれに該当するが、精神的な恋は序章に過ぎない。二回目に落ちるのが肉体的な恋。それは、多くの場合「こんな姿を見せてしまったら相手に引かれてしまう」というような、普段は覆い隠されている相手の醜態を目撃した瞬間だ。普段は大人しい女性がセックスの最中は暴れ馬のように乱れるなど、化けの皮が剥がれて露見した獣性(本性)のようなものが相手を虜にする。精神的な恋は、どちらかと言えば綺麗なものだ。それに対し、肉体的な恋は生々しい。精神的な愛が最上とか言うが、あれは嘘だ。我々は肉体をもって生まれてきた。精神だけじゃない。肉体も同じくらい大事だ。愛や光と同様に、獣性も大事だ。声や匂いや湿度など、生々しさも大事だ。

新潟で開催された茶会でお会いした女性がこのような話を聞かせてくれた。50代のとても綺麗な女性がいて、その方は一回のセックスで20回から30回はイクと話していて、自分から見るとそれは圧倒的に異常な回数で「自分もできることならばその快楽の世界に触れてみたい」と思うようになり、感度を上げる訓練を続けている、と。具体的にどのような訓練を行っているのかは聞いていないが、せっかく生まれてきたのだからこの世界に存在すると言われている伝説の快楽に触れてみたいと思うのは、人間として自然だと思う。会話の流れで「なぜ坂爪圭吾は女性から襲われるのか」を解明しようとする場面があった。思い当たることが一つあった。私は、言いたいことを言う。誤魔化すことを認められないタチだから、相手の9割が完璧だとしても残り1割にズレのようなものを感じたら、そのズレを感じたまま会話を続けることができない。だから、最初にズレを指摘する。私にはあなたがズレているように感じると言う。9.9割が完璧だとしても、残り0.1割がズレていると思ったら、どんなに微小なズレだとしてもそこを突っ込む。すると、結構な頻度で「ここまで見てもらえたのははじめて!」みたいなことになり、相手のはじめての男になる。精神的な処女を奪う形になってしまうために、そのあとの展開もなんとなくそういうことになってしまうのかもしれない。

女性から襲われるようになってから価値観が変わった。性の話ばかりをしてしまって恐縮だが、これまではセックスの終わりは男性が満足することだと思っていた。もっと具体的に言えば、男性の射精が終了の合図だと思っていた。だが、女性から襲われるようになってから「男性の満足ではなく、女性の満足が終了の合図」と思うようになった。女性は、我々男性陣が思っている以上に動物的で肉食系だ。よく、男性に合わせて女性はイった振りをするなどといった話を聞くが、あれは男性の満足がゴールに設定されているからこそ起こる悲劇だと思う。女性の満足に焦点が合った途端、露骨な言い方だが「女性の方が、セックスを終わらせてくれない」といった現象が起こる。どんなに体が疲れていようが、どんなに明日の朝が早かろうが、そんなことは関係ない。明日の余力より今日の満足。私は今しか知らないのよ的な勢いで迫り来る女性にはそれ相応の迫力があって、その生々しさに圧倒される。自ら腰を振り、自ら醜態を晒す。もっともっとと激しく求め、自分が気持ち良くなることに集中する。結果、男の私はただの道具になる。ただの道具になる感覚は全然嫌なものではなく、逆に「ありがとうございます」と思う。自分が感じる気持ちよさに集中する女性を見ると、潔くていいなあと思う。結果、扉が開くのだと思う。史上かつてない感度を示すようになり、生まれてこのかたここまでの感じ方をしたのははじめてでござる的なことになる。

結婚しているがパートナーとの性的な交渉はゼロになり、自分はこのまま終わるのだろうかと思い悩んでいるという話を頻繁に聞く。決して相手を嫌いになった訳ではない。好きな気持ちは持続しているし、素敵だなと思うことも毎日ある。自分にとって大事な人であるという思いは変わらないのだが、ときめきがない。安心感はあるのだが刺激がない。そういう話をよく聞く。私は、それを聞きながら「なんだかちょっとずるいな」と思う。ずるいことを悪いことだとは思わない。ただ、本当の思いを隠しながら生きることは、精神衛生上よくないと思う。女性同士は女性同士で集まることが多い。そして「自分の声を聞くことが大事だよね」とか「自分と向き合うことが大事だよね」みたいな結論に着地することが多いが、ちょっと待てと思う。自分と向き合ってばかりいないで、相手と向き合えと思う。男と向き合えと思う。自分の考えがまとまってから話そうとするのではなくて、考えがまとまる前の段階でいいから、とにもかくにも「自分はこのまま終わるのだろうかと不安に思うことがある」と、その部分をパートナーに伝えた方がいいと思う。こんなことを言ったら傷つけてしまうかもしれないとか、そういった遠慮は無用だと思う。その遠慮が、男をおばさんに変えたのだ。すべての男はスーパーサイヤ人になりたがっている。男の本質はフェニックスであり、死にかけるほど強くなる。その「強くなれるチャンス」を奪ってはいけないのだ。もっと言えば、そのチャンスを奪い続けたから男はおばさんになったのだ。結果、女は母親役を担い、女の部分が廃れていく。全員、おばさんになる。

だからこそ「第一希望を口にしろ」と言いたい。金も欲しいが男も欲しいとか、家にはずっと住みたいけど行動制限はかけないで欲しいなど、無茶でもいい(無茶なほどいい)から自分の第一希望を口にする。すると、確実に男は変わる。まず、最初に「ぐはっ」と言いながら血反吐を吐く。そこからが腕の見せ所である。本当にダメになってしまう男もいるし、スーパーサイヤ人に変貌を遂げる男もいる。本当に好きな女のためならば、喜んで血を流したいと思うのが男だ。涙の数だけ強くなるのが女ならば、酷な仕打ちの数だけ強くなるのが男である。血を、男に血を、流させるのである。それでこその女である。酷な仕打ちが男を鍛える。傷つけたら可哀想だとか、それは優しさなのかもしれないが「男をなめるな」とも思う。そんな態度を続けたから、男が(女も)おばさんになってしまったのだ。女が姫であるために、男が騎士であるために、私は「第一希望を口にしろ」と言いたい。すべての男はスーパーサイヤ人になりたがっている。すべての男は死にたがりであり、死にかけることで強くなることを知っている。自分以上の何かに自分を捧げたいと願っている。そんな男たちの願望を、女たちが叶えてやるのである。

男と女は相互に補完し合う関係だ。女だけが群がると会話も井戸端会議やカラオケみたいになりがちで、全体的にとっ散らかる。そこに男が現れると、一本の軸をビシッ!と定めることができる。私は、すべての女に暴れ馬を見る。暴れ馬は「欲望」とも言われる。欲望は全開にした方がいいと思う。しかし、欲望を全開にすることは手段であって目的ではない。暴れ馬には名ジョッキーが必要だ。名ジョッキーは女の欲望をコントロールする。セーブをしたり押し留めたりする働きもするが、場合によっては「よし、今だ。今こそお前の欲望を全開にしろ!」と、より一層の欲望を導き出したりもする。一人のままでは四方八方にエネルギーをとっ散らかしがちだった暴れ馬も、名ジョッキーと出会うことでエネルギーの発散先を集中させることができるようになり、かつてない働きを見せるようになる。これが男と女の結合だ。欲望を全開にした女性は清々しい顔をしている。男を抱くと女性ホルモンが出るから肌の調子も最高なのよと嬉しそうに語る。お前はいったい男をなんだと思っているのだと思わないこともないが、否、男は黙って女のエキス。カマキリと同じだ。男は女に食われるようにできている。それでいいのだ。精神的な愛が最上とか言うけど、あれは嘘だね。体で射抜かないと。今日から何も予定がない。地球の皆様、誰か私を女子会に招待してください。毎日暇です。死ぬこと以外に予定なし。令和の太宰治に生きる喜びをください。

おおまかな予定

12月11日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

あげたお花の数 90/1000(肝心の花を配り忘れた)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!