見出し画像

すべての女はカメハメ波を出したがっている。

すべての女はカメハメ波を出したがっている。だが、誰にでも出せるものではない。女はしっかり男を見ている。そして「こいつにカメハメ波を出したら死ぬな」と値踏みをしている。いい男の定義とは、女にカメハメ波を出させる男のことである。女は、決して男を殺すためにカメハメ波を出したがっている訳ではない(と思う)。殺すためではなく、カメハメ波を出しても相手がしっかり受け止めてくれた、受け切ってくれた、本気のカメハメ波を出しても大丈夫だった!!という安心感が欲しいのだと思う。金とか名誉とか美味い料理を出す店の知識だとか、一般的に「これがあったらいい男」とされるものは結構ある。だが、それらがあるからと言って女のカメハメ波を受け止め切れるかと言うと、それはまた別の話だ。男性諸君。すべての女はカメハメ波を出したがっている。モテるかどうかの違いは、カメハメ波を受け切る力にある。否、モテるかどうかなどといった低俗なレベルではなく、カメハメ波を受け切る力こそが、世界平和に繋がるのだと私は思っている。

女の中に棲む化け物を感じる。優しくて温厚で気品溢れる女性の中にも、化け物はしっかりと存在している。普段は覆い隠されているその化け物も、ふとした瞬間に顔を出す。笑い方の不自然な歪みであったり乾いた声であったり密室で見せる病理にも似た表情であったりと、様々だ。女の中に棲む化け物は、父親との関係の影響が大きいと思う。父親からしっかりと可愛がられた記憶があるかとか、父親に甘え切った記憶があるかとか、そんな感じのことだ。これまでの人生でしっかりと父性を浴びてきた女は、カメハメ波を出す必要がない。なぜなら、男を信じることができているからだ。だが、何かしらの事情により父性を浴びることができなかった女性は、鬱憤のゲージを溜める。父親がいない、父親が役に立たない、父親から自分が望んでいた形での愛情を受け取ることができていない場合、自分(女性)が父親になる。父性の欠如を「自分が父親になる」ことで克服しようとするのだが、当然、ストレスも貯まる。溜まったストレスが女性にカメハメ波を出させる。大事なことは、女性にカメハメ波を出し切らせることだと思う。女の中に棲む化け物は、外側から退治することはできない。カメハメ波を出し切らせることで、そしてそれをしっかりと受け止め切る男がいることで、はじめて化け物は成仏する。化け物が成仏すると、女性は安心してお姫様に戻ることができる。相手を導く必要は消え、導かれる側の存在に戻ることができる。

勝とうとする女性を見ると、私は「俺で負けとけ」と思う。負けたら楽になれるよ、負けたら解放されるよと思う。気分は除霊師である。心の中でこっそり「悪霊退散」と叫びながら、女の中に棲む化け物を成仏させる。成仏させると言ったが、前述したように外側から退治することはできない。化け物を退治するには、大いに暴れていただくしかない。地球をぶっ壊さんばかりの勢いで暴れる女神カーリーの下敷きになるシヴァ神の如く、乱れた女の暴動に耐える。耐えて耐えて耐え切った時、地上に平和がもたらされる。大事なことは「俺はこんなに耐えていますよ」とアピールすることではなく、シヴァ神の如き微笑みを浮かべながら受け切ることだ。暴れて暴れて暴れ切った後、女性はスッキリした顔を浮かべて聖女になる。女性が花になる瞬間である。聖者とジャンキーは表裏一体。暴れたいと思うことはダメなことではない。暴れ切った後の女性は美しい。醜さはそれを隠そうとするから醜さになるのであって、出し切った後には美しかない。女性に醜さを隠し続けさせると地球が壊れる。シヴァ神でも耐え切ることができなくなる。女の化け物解放運動は、世界平和に繋がる。男が暴れるとロクなことにならない。だが、女が暴れると世界平和になる。

すべての女はカメハメ波を出したがっている。そう思うと楽しくなる。俺もお前も生きているねと思える。この記事を読んで苛ついた女性もいると思う。逆に、激しく共感した女性もいると思う。苛ついた女性は、俺にカメハメ波を出せばいい。共感した女性は、一緒に笑い合えたら幸いだ。問題は男だ。この記事を読んで「お前が言っていることは全然わからない」となったら、お前は既に死んでいる。近い未来、お前は女に殺されるだろう。あるいは、永遠に女性から相手にされることなく死ぬだろう。世界の聖性を見ることなく、真のまぐわいを知ることなく、人生に幕を下ろすだろう。電話で話した女性に、上記の内容を話した。すると、その女性はこのような話を聞かせてくれた。昔、高校時代に悪い友達ができて、一緒に万引きをしたことがある。これまでそういうことをやる友達はいなかったから、最初は刺激的で楽しかったが、徐々に深みにはまっていった。何回か万引きを繰り返したあと、最終的に私は捕まった。友達は逃げ切ることができたので、私一人だけ捕まった。その時に感じた気持ちは「ああ、失敗した」という後悔ではなく「これでやっと止めることができる」という安心感だった。この話と、俺に負けとけと思う話と、似ている気がする、と。誰の中にも化け物はいる。この化け物が、自分一人だけでは止めることができないくらいに育った時、他者が必要になる。立派に成長した化け物は、瞑想とかランニングとか無心になれる趣味の時間とか、その程度のことでは退治できない。ごまかすことはできても、消し去ることはできない。解放されて楽になるには、負けるためには他者の存在が必要になる。

誰の中にもキャントストップな部分がある。キャントストップな部分を止めることができるのは他者だ。薬物中毒患者や被害者の会など、自分一人だけではなく人々が集い寄り添うことで寛解の方向を目指す。自分一人だけではやれないことがある。それは、言い方を変えれば「誰かと一緒にいることで、はじめて経験できる奇跡がある」という希望だ。私たちには弱さがある。弱さは、それ単体だけを取り上げるとネガティブに見えるが、弱さがあるからこそお互いを必要とすることができる。弱さが、人と人を繋げる。だからこそ、弱さや醜さを隠そうとするのではなく、その部分でこそ繋がっていける人々を求めること。私には弱さがある。それは「金がない」という弱さだ。私は私の弱さを自分一人で解決するつもりがない。そんなことより「誰か俺をおもちゃにしてくれないかな」と思っている。遠くに行きたい。あなたに会いたい。金はないけど時間はある。そんな人はいないと思うが「あなたに会いたいからここまで来ないか。交通費出すよ」的な方がいたら、遠慮なくお声がけください。我、退屈よりも苦悩と刺激を選ぶものなり。嵐に神を見るものなり。

おおまかな予定

11月21日(月)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

バッチ来い人類!うおおおおお〜!