「掌」

友達が末期癌になり、短期間の間にげっそりと痩せた。見舞いに駆けつけたが、かける言葉が見つからずただただ手を握ることしかできなかった。言葉にならない思いを掌に流し込むような気持ちで、友達の手を握り締めた。すると、友達は微笑みながら涙を流してこう言った。あなたの気持ちが、今、伝わってきたような気がする。病気になってから、たくさんの優しい言葉や励ましの言葉をかけてもらってきたけれど、私に触ってくれた人は少ない。そんなつもりはないと思うけど、まるで私に触れると病気が移ると思っているように見えて、本当はずっとさみしかった。あなたは私に触ってくれました。それがとても嬉しかった。そう言った三日後、友達は息を引き取った。

息子が小学生の時に買ってきてくれた篠笛を、何十年も大切に保管している女性がいる。その女性は、毎日、毎日、篠笛を丁寧に布で磨いている。撫でるように篠笛を布で磨く彼女の姿は、息子の頭を撫でてあげている時のように穏やかな表情をしていた。大切なものは、大切にするほど、大切になる。その女性は、小さい頃に父親から言われた言葉がある。父親は、小さな頃の彼女に向かってこう言った。手間をかけることだ。時間をかけることだよ。何度も、何度も、手をかけるんだ。そこに愛情が生まれるんだよ。ほったらかしにしたままではダメなんだ。ほったらかしにしたままでは、最初に感じたはずの愛情も、持っていたはずの思いやりも、消えてなくなってしまう。何度も、何度も、父親から聞かされてきた言葉を引き継いで、何度も、何度も、彼女は篠笛を磨く。ひとも、ものも、同じ。ほったらかしにされたままでは拗ねちゃうからね。触ってあげることが大事なんだよと、彼女は笑う。

裕福な家庭に恵まれて、何一つ不自由のない生活をしている女性がいた。彼女が何かをやりたいと言えば、周囲のみんなは「いいね、いいね、君がやりたいと思うことはなんでもサポートするよ」と言う。彼女の気分が落ち込んでいる時も、周囲のみんなは「いいよ、いいよ、あなたはそのままで素敵だよ」と言う。彼女の周囲にいる誰もが、あなたはそのままでいいし、あなたがそこにいてくれるだけで嬉しいんだよと伝える。誰もが優しく、誰もが彼女に好意を抱いていた。だが、彼女の心はさみしいままだった。いろいろな人が「何をしてもいいよ」と言う。しかし、「一緒にやろう」と言ってくれる人は、彼女の周囲にはいなかった。誰もが彼女の自由を認めてくれたし、誰もが彼女を自由に好き勝手に生きることを認めてくれた。しかし、恵まれた環境は与えられても、時間と手間をかけてくれる人はいなかった。なにをやってもよしよしと受け入れられ、注意されるべき時に注意されず、したいままにさせておく。彼女は捨て子と同じだった。したいままにさせておくことは、手をかけないことと同じだった。彼女は、ずっと、何処か遠くに行きたいと思っていた。鳥のように、空を飛びたいと思っていた。風とか、花とか、人間じゃないものに憧れていた。次に生まれる時は、そういうものがいいな。そういう言葉を死ぬ前に残して、彼女はビルの屋上から飛び降りた。

ある誕生日会で、主役の女性に花束が贈られた。花束を送った人は著名な男性で、大喜びをした女性は花束と一緒に写真を撮った。パーティー終了後、女性は隣にいた男性に声をかけた。「あなた、お花を配るのが好きだったよね。私、花は要らないからメッセージカードだけ貰うね」と言って、男性に花束を渡した。男性は、受け取った花束を一輪ずつ分けて包装し直し、出会う人々にそれを配って歩いた。花々がむげに扱われている姿を見ることは、彼にとっての悲しみだった。切り取られた花々は、枯れる場所を選べない。毎日声をかけてもらった花は長生きをする。ほったらかしにされた花は通常よりも早く枯れる。家も、花も、人も、手をかけなければ、簡単に枯れる。その後、男性は花を抱えて一人の女性に会った。女性に花を渡すと、彼女は「男性からお花をもらうのはいつ振りだろう」と喜び、大切にしますと言って笑った。彼女の瞳には涙が滲んでいて、男性は、よかったな、と思った。必要とされる場所に、咲いてほしい。大切にされる場所に、咲いてほしい。

花には根があり、人間には足がある。鳥には翼があり、人間には腕がある。花のように根を張ることはできないが、行きたい場所に行く足がある。会いたい人に会いに行くための足がある。鳥のように飛び続けることはできないが、願いを込める掌がある。目の前にいる人の掌を、握り締めるための掌がある。私のかわりに花があり、花のかわりに私がいる。まだ、掌がある。生きている。足というギフトを、手というギフトを、生きているうちに使え。

バッチ来い人類!うおおおおお〜!