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家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する。

家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する。家族の間に残っているしこりのようなものが、あらゆる人間関係に影響するのだと思う。恋愛の欠乏感はダミー。全部、親。友達や恋人や職場の同僚が『横』の繋がりだとすれば、親との関係は『縦』の繋がりだと思う。縦の繋がりにおける不足感を、横の繋がりで満たすことはできない。それができるのは縦(親)だけだ。過度な承認欲求も、消えない無価値感も、幼少期の家族関係に原因があるのだと思う。最大のタブーは死でもない。金でもない。性でもない。家族だ。家族の問題を抱えたまま生きていると、自分が不幸になることで家族の誰かに復讐をしようとする働きが生まれる。自分自身を生贄にしてしまう。家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する。何者かにならなければいけないとか、役に立つ人間にならなければいけないとか、まともな人間にならなくちゃいけないとか、そういった呪縛から解放される。

25歳の頃、私は東京に暮らしていた。悪い出来事は重なるもので「仕事を失う」「家を失う」「恋人を失う」「金を失う」「身近な人間と死別をする」という出来事を連続的に経験した。そのことによって精神的な安定を失い、生きる自信を失い、不安や恐怖に飲み込まれ、私は新潟の実家に電話した。私は、あまり親に頼るタイプの人間ではなかった。親が嫌いな訳ではない。親が好きだからこそ、甘え過ぎることを自制していた。しかし、この時はそうも言ってられなかった。最後の最後に頼ることができたのは、親だった。冷静な振りをして電話をした。すると、父親が出た。私は「実は最近ちょっとしんどいことがあって、新潟に戻ることを考えている」みたいなことを話した。すると、それを聞いた父親は「おお、帰ってこい」と言った。私は、あまりにも軽い返答をする父親にびっくりしながら、それでも弱気になっていたため強い安心感を覚えながら「い、いいのか?」と聞いた。すると、父親は言った。当たり前だろう。お前は俺のこどもなんだから。と、言った。

私は父親と険悪ではない。父親が自分を嫌っていると思ったことはないし、人間関係も良好で、別に何も問題は感じていなかった。だが、実際に父親の口から「当たり前だろう。お前は俺のこどもなんだから」と聞けたことは、私の人生におけるとても大きな出来事になった。疑ったことはないが、実際に言葉にしてもらうことで「父親は自分のことを思っている」ということが確かなことになり、揺るぎのないものになった。そんな感覚を強く抱いた。私は新潟に帰り、精神的な安定を取り戻すまで半年間療養生活を過ごした。半年と一言で言えば短く感じるが、実際に体験するとそれは永遠のような長さだった。いつ治るとも知れない。そもそもで、自分がよくなるという希望を抱くことができない。自分が元気になるイメージを抱くことができない。暗く厳しい時期を過ごしたが、母親は常に安定していた。内面がどうだったのかは知らない。ただ、少なくとも私が見ている限り、精神的な安定を失ってぶっ倒れている私の横で、母親はいつもと変わらない母親でいてくれた。過度に慌てず、過度に怯えず、過度に心配せず、普通に生活をしていた。そして、母親は「圭吾(私)は大丈夫だと思っている」と言った。精神的な安定を失った時は、自分が自分を信じることができなくなる。そんな時、自分以上に自分を信じてくれる人の存在は大きな支えになる。あの時、母親が過度に慌てたり心配をしていたら、私はもっと自分を責めていたと思う。自分のせいで家族の生活を滅茶滅茶にしてしまった、と。しかし、父親も母親も普通に接してくれた。特別なことは何もしない。それが大きな救いになった。

暗く厳しい半年間は地獄のような日々だったが、あの時期があったおかげで家族の問題が解決されたように思う。父親の「当たり前だろう。お前は俺のこどもなんだから」という言葉と、母親の「圭吾は大丈夫だと思っている」という言葉。父や母の思いを、実際に言葉にして伝えてもらうという体験をした。その体験をするまでは、実際に言葉にすることにこれほどの威力があるのだなんて微塵も思っていなかった。父からも母からも普通に愛されていると思っていたし、何かを言葉にして欲しいと思ったこともなかった。しかし、実際に言葉にされたそれを受け取った時、長年の不足が溶けて消えた。その不足は、自覚することのできなかった不足だった。甘え過ぎてはいけない、頼り過ぎてはいけないという思いを持ち過ぎたあまり、何もかもを自分一人でやろうとしていた結果の不足だった。言葉が、その不足を溶かした。その出来事があってから、私の中にある「何者かにならなければいけない」「役に立つ人間にならなければいけない」「まともな人間にならなくちゃいけない」と言った類の思いが、時の流れと共にゆっくりと薄れて、消えた。何者かになろうとしないでもいい。役に立つ人間になろうとしないでも、まともな人間になろうとしないでもいい。畢竟、生きているだけでいい。あとは全部おまけみたいなものじゃないか。そう思った瞬間から、私の人生はボーナスタイムに突入した。あとはもう、好きに生きるだけなのだと思った。

数日前、久し振りに実家に帰省した。父にも母にも自分の部屋はなく、彼らは基本的に一階のリビングで生活している。寝る時だけ二階の寝室に行く。昔は一緒の空間で寝ていた父と母だが、現在はそれぞれの空間で寝ている。父親の寝室には、小さな本棚が置かれている。父は本が好きだ。私は、本を読みたくなって父親の寝室にお邪魔をした。すると、本棚の空いたスペースに孫たちの写真が大量に飾られてあった。それに加えて、私たち三兄弟が幼少期に父親にプレゼントをした、別に大したことのない贈り物を一つ一つ丁寧に並べていたのが目に入った。それを見た時、私はグッと来てしまった。口数の少ない父親は、滅多なことがなければ他者への思いを口にはしない。しかし、言葉ではなく父親の一挙手一投足から、私は大事な何かを受け取っていたのだと思う。父親の人生はそれなりに波乱に満ちたものであり、良かったことよりも悪かったことの方が多い人生だったと思う。巷では「好きなことをやりましょう」などと言われるが、好きなことをやることが正解ならば、父親の人生は必ずしも正解とは言えない人生だったかもしれない。しかし、私は、そんな父親の人生を美しいと思った。北国の人間は、悲しみにも似た優しさを湛えている。父親が抱いてきた悲しみを、美しいなと思った。

おおまかな予定

12月13日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya

SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

あげたお花の数 91/1000

バッチ来い人類!うおおおおお〜!