誰の言うことを最もアテにするか <コロナ予防接種バージョン>



新型コロナウイルス感染症の予防接種について、自分が一般人としてどう考えて接種したかを書いておきます。医療は専門外ですが専門の環境分野では科学的知見と公共の政策・事業の関係についてわりと中の人なのでその知識は活用しています。以下6千字ほどですのでお手すきの際にどうぞ。

まず予防接種以前のコロナ禍当初にすぐ分かったことは、自分には一次情報から正しく判断する力はない、ということ。ここでいう判断する力とは情報源を正しく理解して質を評価できることです。たとえば関連資料を読んで問題点を指摘できる、もっと具体的にはその分野の論文を査読できるか。査読といえば公開された査読前の学術論文(プレプリントといいます)に大きな問題があったときに多数の専門家から総ツッコミが入る光景は震災後からtwitterで何度も見ました。これをソーシャル査読という人もいましたね。論文を査読できるということは、まず書かれていることを全て理解した上で、方法論上の誤り、論理のギャップ、計算間違い、著者の視野の狭さから来る考慮の不足、踏まえておくべき既存の知見の欠落、捏造・偽造が疑われる不自然な結果、倫理的な問題などを指摘できるということです。
研究者であれば大抵は英語で論文を読み書きし、学術論文の構成や統計的手法などは広い分野で共通ですから、専門外でも読むことはそれほど難しくありません。多少の専門用語は調べればよい。私は日経サイエンスを愛読していますし学部まで生物なので少しは医学論文に出てくる用語も知っています。コロナ関連でも話題になった論文は何編か読みました。が、twitterでもよく指摘されているように、読者が要約や結論の一節だけを取り上げて間違った理解をしたり、専門家がよく見れば分かる誤り・捏造・偽造に気付かないことがあります。私も医学論文でそれをしない自信は全くありません。英語で書かれた学術論文が一次情報である世界で、情報源を正しく理解・評価するには体系的な大量の知識が必要です。私の場合は医学の素養がないので基礎から始めて少なくとも2万時間くらいは勉強しなければならないでしょう。一日10時間で約5年。無理ですね。
なので「よく考えて判断して」と言われても、日ごろ仕事でやっているようなオオモトまで根拠を辿って合理的なリスク評価をして行動する、ということは出来ません。そしてこの認識がとても大事だと思っています。砕いて言えば、自分には嘘を嘘と見抜けないということを自覚すること。自分には一次情報から判断できないので、誰か他の人の判断を参照するしかありません。そこで判断の対象は誰がどのようにして出した知見・見解を採用するか、になります。特別なことではないですね。私たちはほとんどの場合、自分が選んだ誰かの言うことを頼りにして行動しています。
結論としては多数国の公的組織の一致した見解が一番確実だと判断しています。いや政府の言うことは信頼できないという方もいるでしょう。私も国立の組織で働き仕事で政策に関わりますから行政の問題には日々頭を抱えています。にも拘わらずこう考えるのは検証可能な専門家の集団がいるからです。信頼と書きましたがそもそも私は地球人全般をあまり信頼していません。私たちは実に頻繁に間違えたり、出来なかったり、嘘をついたり、騙したり、裏切ったりします。人類の能力と道徳性は、私たち自身がそうありたいと願うような水準にはほど遠く、社会は大小の問題で溢れています。そこで見解の確かさを上げる(つまり、もし実行したら本当にその通りになる)には、事実の精査と論理的な考察、そしてそのチェックを何重にも行うことが必要です。地球人はよく間違いますから、厳密なプロセスで何度もチェックされた見解は、誰にも確認検証されていないものよりも確かさが上がります。
ところで心理学者が言うには、私たちは身近な人、親しい人、好ましい印象を持った人などを信頼して行動する傾向があります。しかし、このような高度に専門的で科学の範疇に属する問題において「誰の言うことを頼りにするか」にあたって正しい判断の出来る人は物凄く少ないので注意が必要です。そのため判断には除外すべき基準があります。
・自分との親しさ:よほど幸運でない限り身近で親しい人に詳しい人はいません。
・その人や組織の印象:詐欺師は良い印象を与えることに全力を注ぎます。
・TVに出てた:番組制作者の出演者選びの基準は何かを考えると良いと思います。
身近で親しい人、好印象の人などは、ふつう、悪意をもたず、どちらかといえばお互いの健康・安全・幸福を願うような関係にあります。ですからそういった人を信頼するのは大抵は合理的でもありますが、しかし最初に書いたように正しい判断をするのは難しすぎるので私を含むほとんどの人は出来ません。こうした問題でより確からしい見解を得るには、専門的な知識をもった(「査読が出来る」レベルの)なるべく多人数の人々が一次情報を精査し、様々な角度からこれを検討し、内容を多重にチェックして、オープンに議論し、最も目的に適う知見をとりまとめることが最善の方法だと考えます。ここで「多人数」「オープンに」が割と重要。気候変動ではIPCCが多人数・オープンプロセスで報告書を作成しています。逆に少人数・密室では特定の利害関係を持つ人々だけになったり、間違いが放置されたり、プロセスにチェックが働かず悪意が入り込む余地が大きくなるでしょう。オープンさでは少なくとも資料と議事録が公開されることを条件としたいところです。出来れば外から意見を受け付けこれに回答する仕組みも欲しいですね。そうした専門家の集団による合議体は、現状、政府や国際機関が設ける公的な委員会形式のものがほとんどでしょう(たまに学術団体もこれをします)。その会議の専門家の選定や事務局の細かい運営の方法についても色々と注文はあるのですが(事務局・専門家、双方の立場を経験しておりますが略)、分野が絞られると専門家の総数が少なくなり、そのなかで行政に協力しようという専門家はさらに少なくなるので、あまり選択肢はないかしれません。
また国によって利害関係が異なったり(例えば特定の薬剤を生産している国とそうでない国、医療体制の整った国とそうでない国)、専門家の人材に偏りがあるかもしれません。その時々の政治的状況から色々な方向の圧力も懸念されます。ですから公的組織といっても特定の一国のものだけではまだ心配です。そこで一国だけではなく、様々な国が類似の組織やプロセスをもって検討していますから、これを参考に出来そうです。それぞれ独立になされた専門家の集団による議論を踏まえた見解が多数の国で一致していれば、私たち地球人が達成できる確実性としては、かなり高いものと考えます。今回の対象が高度に専門的であること、私たちはそうでありたいと思うよりは無能であり不道徳な存在である、少なくとも自分自身はそうだ、という認識から、冒頭の結論「多数国の公的組織の一致した見解」を得ました。以下では逆に頼りすぎないよう気を付けたい情報源についても考えを書いておきます。
まずTV(再度)。これを唯一の判断基準にする人もいるようですが、異なる番組で正反対のことを言っていたりしますし、多くの番組制作者は医療について一般人であると思われ、さらには多くのTV局の目標は視聴率の最大化であって、少なくとも私の健康ではないでしょう。ですのでTVから受け取る情報についてもそのまた情報源がどこにあるかが大事です。専門家がコメントしていることがよくありますが、その専門家はどのような情報源と議論を経た見解にもとづいて話しているでしょうか。その人だけの思いつきや思い込みだったりはしないでしょうか。TVで嘘をついたり、間違いを自身満々に話す「専門家」がいることを、環境分野の私は残念ながらよく知っています。視聴率が10ポイント上がるけど健康に有害な情報を大々的に言う出演者を番組制作者が排除できるかと考えると、私は自分の専門分野での経験から大変疑問に思います。
次にインターネット。ネットで書きまくっておいてなんですが誰でも好きなだけ嘘をつけるのがインターネットです。嘘でお金を稼ごうとする人は古来大勢いますね。多くの人が不安で関心のあることなら猶更です。騙された人が正義感から嘘を広めるのに加担してしまう現象もよく知られています。もちろん厳密にチェックされた質の高い情報もインターネットで発信されていますが、現状では誰でも何でも発信できますから「インターネットで誰それが言っていた」だけでは、感じのよい嘘つきに騙されたり、能力不足なまま使命感に燃える人の間違いを信じてしまったりすることにもなります。その情報発信がされるまでにどれだけのチェックを経たかを考えるのであれば、個人のブログや動画はほとんどのものが一度も誰からもチェックされずに公開されているでしょう。さらにそのような発信者のほとんどは、あなたや私の健康に対して何の責任も持たないでしょう。私は各国の政府が常に国民の健康を第一に考えて行動しているとは思いませんが(環境問題の歴史は知っているので)、それでも国民の健康状態が大幅に悪化すれば報道や選挙を通じて様々な圧がかかるのですから、インターネットの(しばしば匿名の)発信者よりは遥かに責任をもつ主体だと思っています。
もうひとつ、外国発の英語情報にも気を付けなければなりません。日本語なら分かる用語の間違い、見抜けるような矛盾でも、得意でない言語では気づかないかもしれません。外国の組織は不慣れなので、例えば存在しない大学の教授を名乗る人を信頼してしまうかもしれません。さらに、なぜか日本の私たちは海外発の英語の情報をより信頼性の高いものと思いがちです。普段目にする英語情報は(わざわざ見るくらいなので)質の高いものが多いからなのか、いわゆる辺境精神なのか、分かりませんが、しかし世界の共通言語である英語は嘘を広めるのに最も適した言語でもあります。そのなかでも注意したいのが学術論文です。最初に「査読できる」ことを基準としたように、査読済みの論文はそれだけ情報源としての質は高いと言えます。しかし査読済みで公開された論文でも、審査が甘かったり、あとから間違い・捏造・偽造が見つかって撤回されたりします。これは科学全体のプロセスが有効に働いた結果ですが、やはり論文そのものの質を評価できることが必要です。また医学の世界では多数の研究から証拠を積み上げてより確実な結論を得る方法論が体系化されており、一編の論文の一文、一枚の図表だけを見て短絡的に結論に飛び着かないようにしたいものです。
ところで何度も登場する「専門家」について以前にこう書きました:
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・情報源を明示する
・間違いをすぐに改める
・状況の変化に対応して修正する
・同業者からの評価が高い
・大分野が同じだけでなくその課題で実績がある
などは「誰のいうことをアテにすべきか」のとりあえずのモノサシにはなります。
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これまでに書いてきた判断基準と同様、ここには好き嫌いを介在させていません。ほとんどすべての世界の現実は、私の好き嫌いとは関係ないからです。嫌いな人が奨めていたからといってその逆を行い、破滅的な結果に至るような愚かなこと(を、私たち地球人はしがちですので)は避けたいものです。これは上記の通り「とりあえず」であって、特定の一人の専門家の見解に全面的に依拠するのではなく、多数の専門家に議論させた結論を参考にしたほうがよいと思っています。というのは専門家の専門というのは狭くて、大きな問題に対してその全てが分かる人というのは普通あまりいないからです。医療とは科学、技術、政治、社会、経済、そして生活が密接に絡んだ総合的な課題で(環境と全く同じ!)、ある特定の部分にだけ詳しいのにも関わらず全体が分かると錯覚すると自信満々で間違うことがあります。(これをよくやる研究者がいて私は「木を見て森を見ず先生」と呼んでいます)。
さてここまでで判断基準のことを書きました。以下はそうした情報を参考にして主観的にどう考え判断したかを書きます。あくまで私個人のためであり、社会の多くの人々がどうするべきかを考えたものではないので(それを考える能力はない、ということです)、その点よろしく。まず、そもそもこの感染症に曝されずにいられるか。予防接種のなかったころからずっと続けられているように、移動と接触を減らし、マスクをし、手洗いをして感染予防をしてきましたが、完全な封じ込めは期待できなさそうで、数十年後(希望的)、他の理由で死ぬまで逃げ切ることはきっとできない。次に感染した場合の心配。高齢・肥満・基礎疾患などが重症化しやすい要因というのは初期から言われています。私は40歳なので高齢でも若くもないというところ。ただ子どもの頃には喘息もちで長らく発作は出ていませんが肺にはあまり自信がありません。感染した場合の心配は無視できないレベルで高い。またこの感染症は無症状のうちから他人にうつすことがあるそうですから、周囲を感染させる危険を考えると、私は医療従事者でも福祉関係者でもなく、高齢者と接する機会は少ないのですが、家族と同居していますし、遠方にいる高齢の両親にうつしてしまうのもかなり心配です。もちろん感染した場合に隔離されたりして仕事が滞ったり、家族の生活に負担をかけたりすることは避けたい。そのために今まで出来るだけの感染対策を講じてきましたが(第5波の間は1か月以上テレワークしてました)、武器は多いほど、そして効き目が強いほどよい。
さて予防接種。多くの国の公的組織が一致して(私の年齢その他の状況では)これを推奨しており、感染や重症化を予防する接種の利益がリスクを上回るとされています。また当時入手可能であったmRNAワクチンは高齢であるほど副反応リスクが小さいことも知られています。私自身は上記のように高齢でも若くもないので全体的に中程度とみて、腕が痛くなったり熱が出たりはするだろうと予想し、これは得られる利益(感染の予防、感染した場合の重症化の予防)に比べて十分に小さいと判断して、接種可能になった最初の機会にすませています。
本題は以上なのですが、集団免疫と予防接種について、ふと考えたことがあります。自分以外の人が全員予防接種すれば、自分は予防接種によるリスクを負わずに病気を免れることが出来る、という話があります。これはそもそも健康上の理由で予防接種が出来ない人を守れるという話だと思うのですが、ただ乗りの誘因でもあります。今回もそういうことがあるのかなあと思っていたのですが、もしも大多数が接種済みの予防接種に感染予防効果がなく、重症化予防効果のみがあったとしたらどうでしょうか。そのような極端な状況が到来したとして、接種した大多数の人にとってはただの風邪であれば、社会全体としては感染防止策を緩めるのではないでしょうか。というのは、誰もが予防接種できる機会があるにも関わらずそれをしていない、という少数の人のために多くの犠牲を払う活動制限を継続することは出来そうにないからです。周囲の人が全員接種して自分だけがしていない状況は、先のただ乗りとは逆に最悪のパターンになるでしょう。私が接種した時点では想像していなかったのですがこれに近づくような可能性もあるかもしれません。社会は防止策を緩め、多くの人が感染し、予防接種をした人は軽い症状ですみ、そうでない人は運が悪ければ重症化したり重い後遺症を患う。この可能性は(私の)判断を接種するほうに傾けます。現在の日本では12歳未満の予防接種がされておらず、感染防止策もされていますが、仮にそうした状況が実現したら、特に高齢・肥満・基礎疾患などのリスク要因のある人にとって、周囲が頑丈な車両で危険運転をしている道路を、自分だけ生身で歩いて渡るような状況になるのではないかと心配しています。
以上、ネットでは基本的に専門外のコロナのことはあまり書かないのですが、他分野の専門家で医学については一般人としての自分の判断が何らかの参考になるかもしれないと思い、書いておきました。予防接種への考えの如何に関わらず、皆様の健康を祈ります。


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