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やりらふぃー陰謀論

2023年12月27日
世間の大半が「明日で仕事納め」と最後の踏ん張りを見せている中、帰省ラッシュを避けるため、新幹線が全席指定席になるより1日早く東京駅へ向かう。不安定な仕事量と収入に振り回されながらも、モデルで良かったと思う瞬間の一つである。

そんな私の帰省先はというと、京都だ。
高校卒業までの18年間を京都で生まれ育った私は、東京に越してきて3年経つ今もバキバキの関西弁一筋。
暮らしてみて気付いたが、東京に来て数年経つのにわざわざ方言で喋っているのは関西人か、あとはここぞという勝負時の博多弁ユーザーくらいである。(我が強いか、その方言が支持を得ていると自覚しているかだろう。私は両方)

関西人の我の強さはさておき、そんな私が京都へ帰るたび濃くなる疑問、そしてその疑問から生まれた陰謀論がこの記事の内容である。是非順を追って読んでいただきたい。

「やりらふぃー」とは

タイトルになっている「やりらふぃー」。地上波のテレビ番組ですら、TikTokが取り扱われることも日常となった令和6年を生きる皆さんだ。「聞いたことない」とは言わせない。
だが念の為私から説明させていただこう。
発端は、とあるノルウェー人2人組ユニットの楽曲「CHERNOBYL 2017」の『jeg vil at vi』というノルウェー語の歌詞が日本人の耳に「やりらふぃー」と聞こえただけの、空耳ワードだ。(歌詞自体を翻訳すると『みんなにやってほしいんだ』みたいな意味らしい)

そしてあるユーザーがTikTok上でこの音源で謎のダンスを踊り、なぜかその動画が大流行。多くの人が同じ音源とダンスで同プラットフォームに動画をアップロードした。(以下が第一人者と呼ばれている動画)

ではなぜ「やりらふぃー」がここまで一般的に使われるようになったのか。いよいよこの単語の謎が解けてくる。

この音源とダンスで動画をアップロードした人たちの多くに、決定的な共通点があったのだ。
基本的に靴は白スニーカー(少し前までは蛍光色などの派手色が主流)。パンツはピッタピタ、いやもうひっつひつ、のスキニージーンズ(エクササイズに日々はげむトレーニング女子のレギンスも顔負け)。トップスも基本的にタイトめでロゴの主張が強い(サイズはXSかSしか着ないらしい)。頭部に関してはキャップ(もちろんロゴ全力) or サイドと襟足えりあしは刈り上げで、メッシュや派手色のツンツンヘアーであることが多い。
これらの説明で、皆さんの脳内に明確に絵が浮かんだのではないだろうか。「まだあんまり」という方は、添付動画及び関連動画から同じ音源のものを何本か見ていただけると話が早い。
この音源で踊る人たちにそういったファッションスタイルが多かったため、ひっつひつの彼らを指す単語として「やりらふぃー」が音源と共に流行したのである。
※予備知識:彼らを指す呼び名として「ドンキ前プリウス系」などもある。

疑問

生息地

現在東京都内で暮らす私が帰省するたびに思うのは、なぜか彼らは都心部には生息しない。そして京都市内では木屋町きやまちと呼ばれるエリアで最も多く見かける。
先斗町ぽんとちょう河原町かわらまち通りの間に位置し、三条京阪駅から祇園四条駅まで伸びている通り。京都市内で最も若者が集う飲み屋街だ。京都へ訪れた際は実地調査も兼ねて皆さんも是非。

ここから私が彼らに持つ謎に入る。
「なぜ彼らはやりらふぃーファッションを続けるのか」だ。
世間一般的に、このやりらふぃーファッションへの評価はこくなものである。ネット上でたまに見かける「一般女性に聞く男性のNGファッション」系の街角インタビューでは、もれなく殿堂入りしている。それもここ1年や2年の話ではない。私の記憶が正しければ、少なくとも5年ほど前から目立って揶揄やゆされているように思う。

↑タップして動画を視聴


京都へ帰省するたびに思った。「彼らはネットの情報を規制されているのか?ここは某社会主義国なのか?」

ではその酷評を浴び続けてでも選び取るほどに、別の側面でスタイリングとして優れているのだろうか。
私は特段ファッションに詳しいわけでも、熱い思いがあるわけでもないが、これでもファッションモデルとして活動して3年経つ。いわゆるファストファッションから、ハイファッションと呼ばれるものまで、プロのスタイリストの手によって幅広く身にまとってきた。そんな私の個人的意見であるが言わせてもらおう。
やりらふぃーはスタイリングとして優れているとは思えない。
まず首元から足首にかけて、くまなくひっつひつ過ぎる。モデルの私でも恐れ多いほどのボディライン剥き出しコーデだ。
起源は筋トレをしているやりらふぃーが、そのたくましい肉体を際立たせつつも、スポーティーに寄らず街着感を演出した。という推測もできるが、それにしても他にようがあると思えるし、細身ふぃーも多く存在する。

「好きだからやっているんだろう」と言われてしまえばそれまでだ。しかし私はそれだけで納得しきれなかった。

陰謀論

そしてそんな彼らに対し、私が立てた仮説。それは
「やりらふぃーファッションは踏み絵である」
※踏み絵とは江戸時代に幕府がキリシタン(キリスト教カトリック信者)を見つけ出すために用いた絵。イエス=キリストやマリアが描かれた絵や金属板を踏ませて、ためらったり拒否した者を信者として捉えた。

その踏み絵とファッションがどう繋がるのか、順を追って説明しよう。

踏み絵の様子

理由①:上下関係命、コミュニティ命

彼らはとても上下関係に厳しい。先輩絶対である。そしてやりらふぃーファッションはその上下関係から生まれる継承だと私は考える。
交友関係はもちろんのこと、仕事やバイクまでもそのコミュニティ内で巡らせている彼らは、参考や目標とする人物もやりらふぃーなので服装も自ずと同じになる。そしてそのコミュニティは強固さを増していく。
同じコミュニティにいれば服装が寄ることは珍しくないが、あそこまで画一化かくいつかされているのは珍しい。

理由②:周囲への威嚇

そもそも彼らの身なりには「怖そう」「ガラ悪そう」と思わせる要素があると言わざるを得ない。そしてやはり言動も伴うことが多い。もちろん全やりらふぃーが該当するわけではないと思うが、「やっぱりな」という出来事を今回の帰省でも目の当たりにした。

年末に高校時代の友人と遊んでいたある日、次の酒場を求めて前述した木屋町通りを歩いていると、賑わっている一軒のパブから何やらただ事ではなさそうな騒ぎ声が聞こえてきた。
理由はわからないが、5人ほどの男性スタッフが3人組の男性客を半ば無理やり店の外に追い出していた。この3人組がそう、皆さんお待ちかね、それはもう純粋無垢な一切の淀みないプレーンのやりらふぃーであった。「お願いします!退店してください!」と必死で店の入り口から遠ざけようとする男性スタッフに対して「あ゛ぁ!?ごるぁぁぁ!俺なんかしたけごるぁぁぁ!」と言いながら、鳩顔負けの胸の張り出し(やりらふぃーは色んなものを顔負かし過ぎている)と、表情筋フル活用で威嚇していた。
昔から謎だったのだが、攻撃の要となる手足は下ろしながらも胸を鳩のように張り出して行われるあの威嚇いかくは、闘争心という本能と暴行を加えてはならないという理性が拮抗きっこうしているのだろうか。もしそうならこれこそヒトという生き物ならではの、人間と動物を両立している尊き瞬間だ。
話が少し逸れてしまったが、最終的にはなぜかやりらふぃーがスタッフに「テキーラ奢ったるから!な!テキーラ!」と言って仲直りして共に店内へ戻っていった。愛すべき存在である。やりらふぃー。

彼らも警戒されることはデメリットが多いとわかっていはいるはずだ。それでも威嚇に繋がるような身なりをし、言動を取る。何か理由があるはずだ。

踏み絵

上下関係を重んじる彼らのコミュニティは、組織として大きなピラミッドのようになっていると私は考える。そしてその頂点はとてつもなく頭がキレるのだ。片やその一方で末端ふぃーはピラミッド式の組織の存在にすら気付いていない。自分もその一員であるというのに。
そして上層部はあえて上下関係を厳しく保ち、この令和6年を迎えてもなお、男たるもの腕っぷしで怯んではいけない、負けてはいけないという教えをピラミッドの末端ふぃーまで刷り込む。そしてこの上下関係とコミュニティを利用して服装までも画一化していく。
するとどうだろうか。やりらふぃー達は他のコミュニティと疎遠になり、いつしか「他者から怖がられる」ことを男らしさという価値へと変換し始める。
そしてある意味閉鎖的なそのコミュニティの中で仕事を回し、経済を回し、バイクを回す。
世間一般の評判も悪く、怖がられる目印ともなるやりらふぃーファッションをまとうことは、コミュニティの一員であり、その他の社会へ迎合することはないと証明する「踏み絵」なのである。

彼らの興味深いところは、日本の田舎の村社会とは異なるところだ。
田舎は都会と違いインターネットや人工システムの発達が遅れている。高度なシステムを使わない・使えない彼らは、村人同士でコミュニケーションを取り、助け合うしかない。
だが私が京都市内で見かけるやりらふぃーはそういった環境下で暮らすわけではないのに、自ら同族とそれ以外を見分ける踏み絵ファッションを用いてネットワークを築く。
私は思う。明日突然インターネットがこの世界から無くなったとしたら。
村に暮らす人々を除いて、最もこれまでと変わらない生活を維持し続けるのは六本木で豪遊する港区おじさんでもなく、ユーチューバーでもなく、彼らやりらふぃーだろう。
ネット社会に生きながらも、コミュニティに強固な限定性を持つ。そしてやりらふぃーは日本各地に分布している。
これは長い歴史上で中国人が世界中にネットワークを築いてきた手法に近いものを感じる。
彼らは仲間と分かりさえすれば迎え入れ、助け合う。
私は留学でアメリカに3年間、仕事でイタリアに2ヶ月間、韓国で3ヶ月間暮らした経験がある。そのどの国でも、必ずチャイナタウンは存在し、彼らは中国人のネットワーク内だと認識し合えば互いに助け合い暮らしていた。仕事や生活だけに留まらず、学校生活でも彼らの情報量はずば抜けていた。単位取得に有利な、クラス、教授などもすぐに知り得ていたのだ。
私がネットで見た「一般女性に聞く男性のNGファッション」なる街角インタビューも、もしかするとやりらふぃーの上層部による戦略の逆PR活動なのかもしれない。
やりらふぃーファッションが世間で酷評を浴びれば浴びるほど、彼らとそれ以外の溝は深まり、やりらふぃーファッションの踏み絵的価値はその濃さを増す。
恐るべしやりらふぃー上層部。
我々はまんまとしてやられているのだ。

最後に

もし私がこの記事を公開した後に、SNSの更新が途絶え、消息を立ったとしたら。
それはこの説が真実であるという可能性を暗示する事実となるだろう。
そうなった場合、この陰謀論を解き明かすのはここまで読んでしまったあなただ。もうあなたは、私の共謀者だ。
次に街でやりらふぃーを見かけた時、何も知らないふりをして後ずさるか、真相を追い求めて彼らの後をつけるかはあなた次第だ。

お願い

この記事の内容で自分自身が侮辱されている。もしくは知人、友人、家族、恋人などが侮辱されていると感じて怒りを覚えた皆様。もしいらっしゃいましたら、本当に申し訳ございません。何を言われようと受け止める覚悟でおりますので、どうぞ思いのままを私にぶつけて下さいませ。ですが絶対にネット上のみでお願いします。怖いので。
私には対面で張り合う度胸も、張り出す大胸筋もございません。どうかネット上で袋叩きにしてくださいませ。

長々とご拝読いただきありがとうございます。

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