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手間ぁかけさせやがって

先日ミニチュア・クリエーター 工房てると様より貴重なご意見を頂戴し、今度こそ、てると様に楽しんでいただけるクイズを作ろうと考え中の遠入です。

そごう・西武百貨店が、60年ぶりとなるストライキとのニュースを目にした方も多いのではないでしょうか。
地元池袋が全国区でニュースになり、私も気になります。

本日取り上げるのは、ストライキ前のニュースで流れた井阪社長のものとされる言葉。それがこちらです。

写真に写っているのは寺岡執行委員長
問題の発言は井阪社長のもの

これが本当に井阪社長の言葉だとすれば、誠実に話し合いをしようという姿勢は認められません。

敬語は、敬意を伝えることが目的です。文法はそのための道具です。
そして敬意とは、①聞き手の前に遜り、②自身の行為に責任を持ち、③立てるべき人を認め尊重することです。つまり、言葉ではなく行為です。

そして、この敬意のあるべき方向は建前によって決まります。建前が共有され、互いに敬意を払い認め合ってこそ、建設的な会話ができるのです。

建て前はどうなっているか

ストライキ(団体行動権)とは、一人一人は弱い労働者だからこそ、組合を作る労働者に対して憲法で認められた権利です。
使用者側に対して、「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持・改善や経済的地位の向上を目的として」話し合いでは折り合いがつかなかったら正当な権利の行使としてストライキを通告したのです。

それに対する井阪社長のものとされるこの発言は、建前を共有しているでしょうか。言ってみれば「あなたたちのやっていることはわがままであり、人さまに迷惑をかけることが分からないのか」と脅しているわけです。

敬意に照らしてみるとどうか

当事者でない私が、この言葉だけから推察するならば、社長は労働者である従業員が納得しようとしまいとどうでもいいと思っているだろうということです。
つまり、先に挙げた敬意の3つの要素に照らすなら、①’対話をすべき相手である労働者の言葉を聞こうともせず、②’ストライキによって生じる迷惑に対する責任は労働者にあるとして自らの責任を認めず、③’ストライキをする人をワガママ呼ばわりし、立てるどころか貶めています。

セブン&アイ側が組合に送った文書には「ストは認められない」とあったそうです。組合ではなく、行政機関の力を借りて、ストを止めようとしているその姿勢からは話し合う努力はいささかも見えません。

しかしながら、調停を求めていては売却に遅れが出ると判断してかストライキは実施されました。

あたかも疲弊を心配するかのような言葉ですが、井阪社長の言う「現場」とは一体誰のことでしょうか。ストライキに踏み切った労働者のことであれば、早急に売却を決めず、話し合いに応じさえすればストライキは回避できたのです。

そして一切話し合いに応じることのないまま、8月31日15時にそごう・西武の売却が発表されました。ストライキを行う人々の思いを歯牙にもかけず。ストライキは単なる売上の減少に過ぎず、これ以上損失が膨らまないうちに売却してしまいたかったのでしょうか。どうせ最初から結論が出ていて話し合いに応じるつもりがないなら、ごちゃごちゃ騒ぐ労働者は、邪魔な手間でしかありません。

念のため書き添えておきますが、ストライキを実施した人々は関係のない人に因縁を付けているわけではありません。自らの雇用主に自分たちの立場の改善について話し合いを求めているのです。

笑顔だろうが神妙だろうが失礼であることに変わりはない

私は、今週の電話応対ブログにて、「笑顔だろうが怒鳴ろうが貴重なご意見であることに変わりはない」と書きました。

それになぞらえて言うならば、井阪社長の表情が笑顔だろうが神妙だろうが失礼であることに変わりはありません。
勘違いしてほしくはないのですが、売却がいけないことだと言っているわけではありません。私は経済には疎いので、もしかしたら今売却することが長い目で見れば労働者の利益にならないとも限りません。そういうことではなく、正当な手順を踏んで、最も適切な相手に話し合いを求めているのに対し、今回の対応はあまりにも礼を欠いた態度であり、それは当事者だけでなく私たちが気付いておかなければならないことだと言いたいのです。
ストライキは、サボタージュではありません。それを、建前を挿げ替えることによって、意味を変えてしまっています。これを受け入れてしまうなら、労働者は自尊心をもぎ取られ、自分たちを「自分の利益ばかりを考える姑息な人種だ」と考えるようになるでしょう。

例えば一般利用者である立場の人間からしたら、「まぁ売却した先で働けばいいだけじゃない?」という程度の問題かもしれません。今日行こうと思っていたデパートが閉まっていて不便な思いをするかもしれません。だからといって自分にとって都合のよい建前を選び、企業と一緒になって「労働者のワガママだ」と言うなら、それは彼らの自尊心を削る手伝いをしていることになります。

このようなことは、家庭、社会、国家など、人間関係のサイズやレベルに関係なく起こります。

だからこそ、自分の利益から離れて、この物事はどういった建前で考えなければならないのかを見極める必要があります。そうしなければ、ひと事だと思っていた労働者の立場に、いつ自分が立たされているかもしれません。


ご存じの通り、池袋は西口に東武百貨店があり、東口には西武百貨店があります。ひと月ほどまえ、東武の売り場に西武の店員だったはずの人がいて声をかけたところ、こちらに転職したとの答え。その人は、今回のストライキをどのような思いで見ていたでしょうか。

それでは、また。


<追記>

セブン&アイHDから「そごう・西武」を8500万円で購入した「フォートレス・インベストメント・グループ」は、同月中にもヨドバシHDへ3000億円弱で売却する方針とのこと。「そごう・西武は入居するテナントの一つ」にしかすぎず、百貨店としての在り方もヨドバシの出店も、そもそも口を出すことはできなくなる。
井阪社長が話し合いに応じないのも、従業員が納得するわけがないと分かっていたからということだろう。
これは、十分に暴力と呼べるのではないか。
こんな暴力が罷り通り、それをストライキでは防ぐことができないなら、対抗するためにはもっと強い暴力が必要になる。その暴力の矛先は、必ずしも正しい方向性を保つとも限らない。あちこちで小さな不満が暴発すれば、それは社会全体に不安を及ぼすことにもなるだろう。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。