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日本国憲法はなぜ「残念」なのか?

憲法改正論がにわかに高まっていますね。5月3日の憲法記念日に『日本国憲法はなぜ「残念」なのか?』という記事が流れていました。

その中に、なるほどと納得することが書かれていました。

ノルウェーの憲法に至っては、ある本に400回以上改正されていると書かれていたので、ノルウェー大使館のウェブ・サイトに正確な回数を問い合わせました。
すると驚くことに、司法省からの回答には、「私たちもわからない」と書かれていました。
しかし、驚く方がおかしいのです。憲法も時代の産物です。時代が変われば憲法も変わるのは当たり前というのが、世界の憲法常識といえます。

上記記事より

何百回も改正されているということは、方向性が180度変わるような大転換ではなく、小さな変更を繰り返しているということでしょう。

このように、小さな変更を目指して一か所ずつ丁寧に議論していけば、日本でも憲法改正議論が、より納得できるものになるのではないでしょうか。1回で大変更をしようとするから憲法が改正できないのであって、小さな変更を何度も何度も行えば、それだけ憲法に対する理解も深まり、人々の関心も向くことでしょう。

そのとき、まず取り上げるべきは憲法のどの部分なのか、そこからあらゆる社会の階層から構成される人民で話し合えればいいですね。話し合いの段階から取り残される人がいるということのないように。

現在憲法を改正するとなると、自民党草案が採用される可能性が非常に高いわけですが、これは誰でも読めるように公開されています。そして、憲法が変われば、その変わった憲法に沿うように法律などが変えられていきます。
たとえば、冒頭の写真も自民党草案の一部ですが、自民党草案では国歌を尊重しないことは憲法違反なのでそれに基づく刑法を作ることもできます。それが国民にとって幸せなことなのかどうか、賛否が分かれるかもしれません。そういう一つ一つについて、丁寧に話し合うことが民主主義だと思います。

一歩ずつ、皆が納得して進めて、その変化を確認して、また先へ進む。

「そんなことをやっているうちに侵略されてしまうのではないか」「悠長なことは言ってられない。急がなければいけないのではないか」という不安があるかもしれません。しかし、そのような不安が動機になってしまうと、不安を解消することが第一目標になってしまい、他のことが些末に見えてくるものです。そのような状態では他の意見を尊重して議論をすることは難しく、まっとうな判断が鈍ってしまいます。

それに対して、自国の憲法を大事に思い、活発に議論してより良い憲法を作りたいと思っている人なら、一つ一つ丁寧に議論することを歓迎こそすれ、忌避しようとすることはないでしょう。

それでは、また。


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のどか
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。