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腐敗。

最近、うちの冷蔵庫のちょっとあけただけで「ウィーン」と鳴る音が気になってしょうがない。

「もー、せっかく冷やしたのに!よっぽどな用じゃない限りはあけないでくれよ」と嫌味を言われてるかのように、ちょっと開け閉めした後に、一生懸命電気を消費しているのがわかる。

原因は気温の上昇。

もうすぐ夏が来るもんね。僕は夏があまり好きではない。バテやすくなるし、何より虫だ、虫。あいつらさえいっぱい出なければ、少しは好きになれるのに。

それにしても、冷蔵庫もいい迷惑だろう。季節がずっと冬のままであれば、ちょっと頑張れば設定温度を保てるから楽だろうに。夏ともなれば、けっこう頑張らないとその温度まで冷やせない。

冷蔵庫の仕事に同情しても仕方がないか。

かといって、「ちょっと休んでいいよー」とも言えないしなー。言ってあげたいけれど、休んでもらったら食材の腐敗を早めてしまう。

冷蔵庫ほど年中無休の超ブラックな仕事を引き受けている存在はないだろう。

そもそも、冷蔵庫も仕事ってなんだ。

食材を冷やすこと?冷やし続けること?

いや、しっくりとくる表現は、「維持」だ。

冷蔵庫は担当する空間の容量一杯の空気の温度を一定に保つことが仕事なのだ。

そうだ、「維持」することって簡単に聞こえるけれど、「維持」するためには大きくも小さくも、コストがかかっている。


「維持」って人から見たら、「当たり前」でもある。

冷蔵庫をあけたら中のものは冷えているっていう「当たり前」があるからこそ、僕らは冷蔵庫を必要とする。

ということは、僕らはある「当たり前」を手に入れるためにコストを費やし、手に入れたモノやコトはそれに応えるために「維持」という仕事をするわけだ。

「維持」にはそれなりのエネルギーが必要で、何かの「当たり前」の背景には、それ相応の努力があるのだ。


では立場を変えてみよう。

人はどうか。

人にとっての「維持」とはなんだ。


僕らは今日という1日の中で「維持」しようとしているものは、何があるだろう。

例えば、「生きる」ということは「維持」と捉えられるか?

たしかに、じっと突っ立っているだけで、「生きる」なんて不可能だ。何か食べないといけないし、ストレスとも付き合わないといけない。しっかり寝ないといけないし、と、この身体を養ってあげるだけでもいろいろと苦労する。

「生きる」以外には何があるだろうか。うーん、思いつかない。

「食べる」?「寝る」?「趣味」?

いや、待て。普段何かを「食べる」ことも、「寝る」ことも、「遊ぶ」ことも何もかも「維持」ではないか。

ということは、「生きる」というのはそういった小さな「維持」の集合体としても見られるのではないだろうか?これは面白い。

ではなぜ人は「生きる」必要があるのだろう。僕も決して「生きよう」として「生きる」訳ではない。そもそもそれ自体、「当たり前」という感覚だから、そんなこといちいち考えもしない。

じゃあ、「生きる」のをやめてってお願いされたら?

いや、それに対してはNOだ。絶対にNO。

ということは、何かしら「生きる」目的を持っているはずだ。その目的の先にある何かを、「生きる」をやめてしまうと手に入れられないし、それはきっと「後悔」につながる。

「後悔したくないから君は生きるのか?」と言われれば、それは必要条件であり、十分条件ではない。

「では、君にとって『生きる』の十分条件はなんだい?」と聞かれそうだ。

わからない、知るか、そんなこと。逆にこっちが教えて欲しいくらいだ。

そんな簡単に「生きる」目的が見つかるなら、いちいち苦労しない。

なんて格好をつけてみるが、ぽろっとはいたセリフに「苦労」とあるのを僕は見逃さない。

「維持」=「当たり前」であり、「当たり前」=「価値がある」というコトを振り返る。

そう、「苦労がある」ということは生きることは「維持」なのだ。

「生きる」=「当たり前」は別に不自然ではない。むしろ自然だ。ということは、「生きる」は、何かしら「価値」があることなのだ。

でも、その価値はいったいだれにとっての「価値」なんだろう。

自分かもしれないし、自分以外の誰かかもしれないし、そこは決められないし、自分で決めても文句は言われないんじゃないかな。

「生きる」ってそれだけで素晴らしいことなんだって誰が言ったかはわからないクサイ台詞があるが、あながち間違ってない。いや、こうなるとむしろ本質的にも思えてくる。


逆に言えば、「突っ立ったまま」って行為がどれだけおそろしいかってことだ。


冷蔵庫もちょっと気を抜いて休んじゃうと、「維持」が崩壊してしまうだろう。別に突っ立っていたわけじゃないのに、「維持」が壊れると「当たり前」が壊れるし。そうなった時、僕は冷蔵庫の存在意義をどう見出すのだろう?


突っ立ってしまった冷蔵庫は、中身を「腐敗」させてしまうから必要なくなってしまう。僕はそのときすでに新しい冷蔵庫の購入を検討しているかもしれない。


「ウィーン」がうるさい冷蔵庫であるが、毎日この音が聞けるのは一つ安心でもある。

冷蔵庫に勝負心を向けてもしょうもないが、冷蔵庫には負けられない気がしてしまう。


明日は何を「維持」しよう?

あるにはあるが、何かが違う。本気で「維持」したいものを早く見つけたいものだ。贅沢な悩みである。


まーたまた落ち度のない話に終わってしまいましたが

今日も最後までこんな「たわごと」と付き合ってくださり、ありがとうございました。


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