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「本人確認」という名のアリバイづくり。

郵便局でとある書類の手続きをする必要があったので、リュックに必要書類をぽいっと入れて現地に向かった。

が、面倒なことに今日は自分の日頃のスタンスが裏目に出てしまい、かなりの時間を無駄にしてしまったのだ。

どういうことかを説明する。

郵便局での手続きには、本人確認のために「通帳」と「免許証」と「ハンコ」がいるらしい。しかも、住所がきちんと一致している必要もあるという。

僕はそのうち「免許証」と「ハンコ」は持ち合わせていたが、「通帳」は僕がキャッシュレス主義であることが裏目に出て、持ち歩いていなかったのだ。というか、このとき「通帳」という存在そのものがいつの間にか頭から消え去っていたという感覚の方がより正確だ。

今から取りに帰るのは流石に手がかかる。なんとかならないかと交渉するも、持参した印鑑と提出している書類の印鑑が異なるので、やはり現物がないと手続きができないと言われ、泣く泣く取りに帰ることになった。

それにしても、今日の「本人確認」という呼称には「偽り」を感じた。指紋認証やら顔認証やらで済むような感覚が通じない世界が、ひっそりと存在していたのだ。

持参物には免許証やハンコはもちろん、他にも出そうと思えば保険証だなんだかんだ切り札は十分すぎるほど持っていたのだ!それなのに、なんなのだ郵便局のいう「本人確認」とは。

もっと言えば、あなたの目の前にいる「僕」はいったいなんなんだ、誰なんだ??アタマの中はすっかり概念崩壊していた。

総じて、本人であるかどうかを確認するために「裏付け」が必要だといわれるのは大変息苦しいことである。その気持ち悪さに今日は1日侵されていた。

うっぷん晴らしに文句を言いたいところではあったが、「大人の事情」を察したのでこれ以上追求しても野暮だと思い断念。

こんな制度になっている背景にはおおよそ知能犯によるアクシデントが過去にあったからなのだろう。というか、もしそんな事実がなかったとしても、そういうことにしておかないと僕のアタマが今にでも沸騰してしまう。笑

郵便局だけに見られるシーンではないとは思うが、このような事務ごとの段取りが早くワンクリックで完結するような社会の到来を本気で願っている。それくらい今日のたったのそれっぽっちの一コマがとても面倒くさかった。

おまけに、「通帳」をダッシュで取りに帰ったのに、リベンジしにいったら今度は対応受付時間を過ぎているからまた改めるように言われてしまう始末。ついてない。今日の星占いはおそらくドベだろう。シンプルに萎えた。

今日ほど郵便局に振り回された日はない。いや、自分の確認ミスとも言われればそれも否定できないですね。こういう時は気がすむまで「ダンベルに八つ当たり」をするのが一番。

明日はきっちりと済ませてやる!

終わり。

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