見出し画像

#6 ギリギリ間に合った留学準備 -後編-

こんにちは〇

ヨーロッパサッカーはリーグが終盤、Jリーグもリーグの真っただ中なので、どこも熱い戦いが繰り広げられています。

が、私が応援しているクラブは泥沼連敗中・敗戦多めのため、少し悲しい気持ちです。。。笑 (がんばれザスパ&スパーズ!!!)

さて、今回は前回の続きということで、大学卒業後の留学準備を振り返りながらnote をまとめていきたいと思います。

私が実際に行ってきた英語の勉強や気持ちの保ち方などをご紹介できればと思います。

では、行きましょう。


1. いかにして英語学習を密度高く続けられるか

大学院に直接行くためには、英語力が到底足りないことを自覚した私は、ファウンデーションコース入学に目標を切り替えました。

3月に大学を卒業後群馬の実家に帰省し、時間が増えたことによって、英語学習に割ける時間が増えましたが、ファウンデーションコース開始は10月。
加えて書類の関係上、遅くとも7月上旬までにはIELTSバンドスコア5.0を取得し、学校に提出しなければいけないことを鑑みると、時間があるとはあまり言えませんでした。

しかし、怠け者の私は当初、自宅で学習をしていると
『全然わからんな。Youtube みるか』
『少し昼寝するか』
とほとんど集中力が続きませんでした。
多忙だった卒論から解放されたのも大きかったのでしょう。

かといって、今から「どうすれば長時間勉強ができるのか」と模索している時間など、到底あるわけがありません。

そこで導き出した強行策は「あえて外出先で勉強する」でした。

カフェ等に行き、コーヒー代を支払うことによって、勉強をしなければ時間とお金を無駄に使ってしまう環境を無理やり作り出すのです。
貧乏性の私には、これがうまいことハマりました。笑
最終的に勉強の習慣がついたことで、自宅でも勉強ができるようになったのです。

ではここから、トピック別にどのように対策してきたのかをご紹介していきます。

まず、ライティングに関しては、前回ご紹介したIELTS対策のオンライン英語の先生を活用させてもらいました。
流れとしては、週一の授業前にライティング問題の例題をもらい、授業前までになるべく自分で書けるだけ書き、その後授業内で添削してもらうというものです。

文法や言い回しの部分などを丁寧に教えてもらった結果、どのように書いたらよいのか、ある程度の「型」というものが定まってきました。
最終的に、今後IELTSを受けていく中でライティングではコンスタントに点数を上回れるようになったのです。

リスニングに関しては、IELTSの模擬問題を繰り返し行い、どこのセクションで間違ってはいけないか、どこのセクションが自分にとって苦手なのかを把握しながら、とにかくひたすらに聞いて、解いての繰り返しでした。

スピーキングは、英語の先生と1on1で発音、答え方をチェックしてもらいながら練習を繰り返したほか、自分でどんな質問が来るのかをあらかじめ漁っておき、その問題に対するテンプレのようなものを作成していました。

また、並行してyoutubeでシャドーイングもやり始めました。
シャドーイングは、聞こえてくる英文を真似しながら、そのすぐ後ろから同じように発音する練習法の事です。
英語を聞き取ることができない原因は、自分が発音できない (その発音を知らないから) と、どこかで目にした私は、さっそく実践に移すことにしたのです。
当時、シャドーイングの成果をすぐに実感することはできませんでしたが、後々ある程度楽に英語が聞き取れるようになった・話せるようになったのも、このおかげかなと思っています。

一番大事な単語についてですが、Duoの単語帳をできるだけ回したほか、同じような意味の単語を一緒に覚えることを意識しました。
例えば、「素晴らしい」という意味の単語はたくさんあります。
Wonderful, Excellent, Awesome, Brilliant…
細かいニュアンス等多少の違いはありますが、これのメリットが何かというと、頭の中で "awesome=excellent" というように考えられるようになり、いちいち日本語で考えなくてもよくなるのです。

こんな感じで、英語ができない・勉強が続かない自分をよく知り、コントロールできるかを考え、英語学習を効率よく進められるよう実践していました。

2. 数打ち当たれ作戦

7月上旬までにどうにかしてスコアを獲得したかった私は、とにかく受けれるだけ受けようと考えていました。
いわば場数作戦です。

受験会場は東京の飯田橋「のみ」に加えて30000円近くする受験料。
正直、何度も受験することを躊躇しなかったわけありませんでしたが、何としてでも行きたいという想いが自分を突き動かしていました。

1回目は5月下旬、ここで取れれば少し時間にも余裕あるし頑張って取りたいなあ、というメンタリティ。
同時に、ここでとらなければまた受けなければならない&さらに受験料を持っていかれるという大きなプレッシャーもありました。

結果はバンドスコア5.0は達成したものの、リスニングのみ5.0を上回れず。
「惜しい」の一言でした。

しかし、くよくよしている暇もなくすぐに2回目の受験を6月上旬に申し込み。
頼むからここで取れてくれ。その思いだけでしたが、結果は振るわず。
ライティングが6.0を超えバンドスコアも5.0に乗ったものの、今回はリスニングに加えてスピーキングも5.0に及びませんでした。

『きちぃなぁ。これは下手したらもう1年みっちり勉強しなければならないかもな。』

そんな気持ちもふとよぎっていました。
ただ、チャンスはあと一度、6月下旬の日程に空きが。
受けないよりはましか、とダメ元で受験をすることに。

群馬から受験会場の飯田橋に向かう途中、
マジでここ何回くればいいんや。笑
と、謎にリラックスしていたことを覚えています。

そのリラックス状態は受験しているときも続いてくれ、今までで一番快適に受験をすることができました。

結果。。。
バンドスコア5.0以上に加えて、すべてのセクションが5.0以上を満たし、何と土壇場でスコアを獲得することができたのです。

諦めていたわけではありませんが、半分『取れなかったらしゃーない』マインドでいたため、奇跡だー!とめちゃくちゃ喜びまくったのを思い出しながら文章を書いています。笑

ギリギリですべての書類をそろえることに成功したのです。

3. バタバタの渡航準備

土壇場で渡英のチャンスが巡ってきましたが、その準備もめまぐるしいものでした。

まずは住まい。
探せばいくらでもあったのでしょうが、当時の私にはその情報もなく、期限も迫っていたことから、学校から提供されている寮にとりあえず住むことになりました。
が、何といっても賃料が驚愕の高さ。。
住み始める前から既に家賃に怯え始めていました。笑

続いてビザの準備。
ビザ申請書類をエージェントのサポートと共に急ぎ足で済ませた後、板橋のビザセンターでさらに申請を行う必要がありました。
加えて、銀行の残高証明書の発行やコロナの陰性証明等、とにかく複雑な書類を多くそろえなければならなかったのです。

一番大きなネックとなっていたのは、もちろん学費です。
大学院の学費でも相当の額がとられるのにもかかわらず、厳密にいえば、「いかなくても良い」ファウンデーションコースの学費を賄う余裕がないことはわかっていました。
返済不要の奨学金等も常にチェックはしていましたが、英語のスコア等が応募者事項には設けられており、該当者にはあてはまりませんでした。
かといって、自分の当時の資金ではどうすることもできません。
できることといえば自分でできるだけ動き、いくつかの案を提示し、どうにか協力してもらえないかと説得することだけでした。
とにかく行きたい、その気持ちが自分を動かしていたのだと思います。
無我夢中でした。
最終的に渡航が実現したのも、家族の協力があってこそなので、感謝しかありません。

渡航前は夜勤のアルバイトをメインとした生活で、バイト後にそのまま勉強を続け、夕方寝て日付が変わる前に起きてバイトへ向かうという生活を繰り返していました。
きつくなかったというと嘘になりますが、やっと渡航ができるというワクワク感・家族も協力してくれているというありがたみのほうが強かったです。

あっという間の渡航準備期間で、改めて人への感謝の気持ちが芽生えていました。

4. メンタルの話

卒業してから渡航までの期間、勉強に集中する期間だったといえば聞こえはいいかもしれませんが、言葉を選ばず言えば「ニート期間」でした。

同期には、新卒で新しい環境に飛び込んでいる人や、サッカーを続けて頑張っている人等、それぞれ頑張っている人と自分の今の状況を比較して『俺はこんなことをやってて大丈夫なのか』という気持ちをもっていなかったわけでもありません。

ただ、人と比較しても仕方ないし自分の人生を決めるのは自分、というマインドは常に持っていたため、いずれ挽回できるようむしろこのニート期間を全力で楽しむことだけを考えていました(もちろん勉強したうえで)。

どうにか毎日楽しみを持って継続できるように、という気持ちを持てていたのが一番良かったのかもしれません。

前述した通り、私は極度のあがり症のため、何事も無意識に緊張状態に持っていくことができます。
その気持ちを逆手に取り、平常心を保つためにむしろ毎日ふざけるくらいのマインドでいました。
本当にそれくらいでちょうどよかったと思います。笑
この時期に、「自分」という人間を再認識できたことも収穫の1つでした。

しかし、やるからには結果を出す、とか、とにかく何としてでも行く、俺は絶対にいけるんだ、という自己暗示もしていました。
自分を信じる力はもちろん大切ですが、「自分でも訳の分からない謎の自信」というものが実は重要だったりします。
さらに、卒論期間に培った「ここぞというときの爆発的な集中力」もすごく大事で、実際にこの期間勉強する際にとても役に立ったと思います。

最後に、両親や祖父母と過ごせる時間は意識的に大事にしました。
滋賀から帰ってきてから、久々に長期間家族と過ごせる時間だったことに加え、これから渡航するにあたってしばらく会えない可能性も考えたとき、「あぁもっとこうしておけばよかったな」という後悔だけは残したくありませんでした。

なので、積極的に祖母の手伝いをしたり、両親と話す時間を取ったりして日々の感謝を少しでも示すことができたのは良かったと思います。

何よりも、この安定したメンタリティが最終的に良い結果を生んでくれたのだと信じています。

ということで、今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました〇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?