ベンチャーキャピタリストとは、

はじめまして、シードVCのジェネシア・ベンチャーズでインターンをしていた水谷圭吾と申します。つい先日、ジェネシアでのインターンを終え、今後は数ヶ月の間イギリスでうろうろして過ごします(イギリスにおられる方、会いたいです)。

昨年11月よりジェネシアにジョインさせてもらって以降、この半年は人生の中で間違いなく最も学びの多く刺激的な時間を過ごしました。シードVCという言葉の意味さえよく知らないまま、たまたま苗字が同じという理由でフォローしていた水谷航己さん(@KokiMizutani)のインターン募集のツイートを見つけ、そこから応募し採用となり、インターンが始まりました。

ジェネシアのインターンに応募する前にも何社ものVCにインターンさせてくれないかと申し入れており、なかなかどこも採用してくれないなあと悩む中、もうそろそろVCでのインターンは諦めようかと思っていたところでのジェネシアへの採用だったので、あの時ほんとに申し込んでよかったなあと過去の自分を褒めてあげたいです。インターン採用を発案してくださった河野さん(@yutodx)にはもちろん感謝していますし、何より水谷さん、同じ名字で生まれてきてくださりありがとうございます。

本noteではこの半年間で、ジェネシアでインターンしていなければ気づけなかったであろう『ベンチャーキャピタル・ベンチャーキャピタリスト』にまつわる発見を備忘録的にまとめています。『シードVCは投資判断において"人"を見る』みたいな、多くの本にも書いてあるようなことは避け、他の人があんまり言っていなさそうなことに絞って学びを並べたつもりです。

どれも現時点での考えなので、暫く経って改めて読んでみると「何言ってんだこいつ」みたいに思える未来がかなり色濃く想起されますが、とりあえず、行ってみましょー

シードVCが起業家に発揮できる1番のバリューはメンタルケア

スタートアップの起業家は、尋常でないほどシビアな状況を何度も何度も乗り越えていかなければなりません。創業時に思い描いていた成長曲線通りに事業が成長することは非常に稀で、予期せぬ課題が絶え間なく降り注ぐ中、プレッシャーを押しのけて孤軍奮闘するのが起業家だと思っています。

創業初期のスタートアップにおいて、全ての意思決定が創業者に委ねられている組織の成長スピードは、そうでない組織、つまり代表以外に権限がある程度委任されていて、各人が自らに割り振られた業務範囲を超え能動的かつ主体的に動く組織に敵わないことが容易に想像できます。しかし、権限を委任するというのは簡単ではありません。権限を与えすぎた結果、創業者に統率力がなくなり組織として軸が無い、というまずい状況に陥る可能性も十分にあります。起業家(=創業者)は変化し続ける組織に対し、絶妙なバランスで針に糸を通すような選択をし続ける必要があります。そんな責務があるのは、起業家以外にいません。起業家とは、孤独な存在です。

いかに多くの壁が起業家に立ちはだかるのかが良く分かる、令和トラベル篠崎さんのnoteを貼っておきます。これほんとに好きな記事です。(正直、これ読んでスタートアップ起業する意欲が減退する人現れてそう)

話は起業家からVCに移るのですが、前提としてVCにはハンズオン(投資先支援)をがっつりやるVCとそうでないVCがあり、ジェネシア・ベンチャーズは前者に属します。シリーズAにアップラウンドすることを一つのマイルストーンとし様々な形で投資先をサポートする、というのがジェネシアのスタイルです。VCが行うサポートの内容としては、成長戦略策定・採用支援・次の資金調達に向けた投資家とのコネクション作りなどが一般的ですが、中には長期的な成長において重要なCI(どういう組織を目指すかを規定するコーポレート・アイデンティティ)の策定・周知などをキャピタリストが旗振り役となって進めることもあります。

VCが投資先に対し講じることのできるサポートは多岐にわたり、もちろんキャピタリストにもリソースの制約はありますが、できる限りの支援を行って投資先を大きく成長させようと日々頭を悩ませ手を動かしています。どのサポートも投資先の成長にとって重要だとは思いますが、インターンを経て、結局キャピタリストに一番求められるのは起業家の精神面でのサポートなのではないかと思うようになりました。

先述した通り、起業家は孤独な存在です。創業者と役員の間には大きな大きな差があり、社内の誰にも相談できない悩みを抱えています。そんな起業家を、何度も飲みに誘って話を聞くなどして精神的な支えになる、というのはキャピタリストにしかできない仕事なのかもしれません(思い上がりかもしれませんが)。

起業家の思いに賛同し、お金を投じたのであれば、どれだけ事業がうまく行かなくとも、どれだけ仮説が崩れようとも、その起業家と企業の成長を信じることをやめてはいけないと思います。むしろ信じる気持ちさえあれば、その思いを起業家に伝えることでキャピタリストの仕事は一定務まっているようにも思えます。

起業家のメンタルケアがいかに大切かについては、米VCのSeven Seven Sixのページが分かりやすいです。このVCは、投資額の2%に当たる金額を、投資額とは別で起業家に与え、そのうちの1%は起業家自身のリラックスのため、もう1%は起業家の親の介護のために使うよう要請している、という革新的な取り組みを行っています。要点をまとめたツイートを過去にしているので良ければご一読下さい。

キャピタリストは共感性が高いとメンタルやられる

インターンを経て、キャピタリストって本当に大変な仕事なんだなと率直に思いました。起業家に比べるとGP(VCファンドの責任者)でない限り、とっているリスクも小さいじゃないか、そうはいってもサラリーマンの域を出ないじゃないか、という声も聞こえてきますが、やっぱりキャピタリストは大変な仕事です。ジェネシアのあるキャピタリストは、「キャピタリストの仕事の99%はしんどいよ」といつも話してくれます。労働時間ももちろん長い方だと思いますが、単なる労働時間の長さというより、精神的なストレスが大きいことが大変さの源泉かと思われます。

精神的なストレスを感じる場面として一番大きいのは、やはり投資先が上手くいっていないときでしょうか。キャッシュが尽きランウェイも残り数カ月のなか、資金調達もうまく進まずじりじりと苦しくなっていく投資先を前にして、自責の念に駆られたり、自分の無力さに打ちひしがれることもあるでしょう。

他にも、資金調達の相談に来た起業家に、投資判断の見送りを伝えるというのもかなり苦しいはずです。「目の前でギロチンを落とすような仕事」だと、ジェネシアのあるキャピタリストの方がお話してくださいました。

インターンの中で、自分としては、この人に投資したい!と思える人に出会えたものの、投資委員会まで持って行くことができず、出資を見送る旨のメッセージを送ったことがありました。あの送信ボタンを押す動作、かなり躊躇いました。もちろんVCとして支援ができなくとも、友達として起業家の相談に乗るなどして応援することは可能ですが、それでも出資を見送る判断を伝えるのはかなり心苦しいものがあります。

もちろん起業家の熱意や掲げるビジョンに共感することはとても大事だと思いますし、そういうキャピタリストを目指したいです。しかし、上述したような理由で、共感性が高い人はキャピタリストにはあまり向かないのかもしれません。

皮肉な話ですが、投資先の事業がだめだとわかったら切り捨てるようなキャピタリストであれば、メンタルヘルシーに業務を遂行できるでしょう。これはキャピタリストに限らず普遍的に言えることなのかもしれませんが。

キャピタリストとは傲慢になりがちな職業である

当たり前ですが、そのスタートアップが上手く成長したのはそのスタートアップの起業家と社員の行動、そして運の結果だと思います。投資家の成果ではありません。もちろんキャピタリストの助言やアクションにより組織の崩壊を免れたり、適切な意思決定がなされるといったケースは存分にあると思いますが、それはあくまでも副次的な貢献であると考えています。

もし自分が将来キャピタリストになるのであれば、自分の投資先が上手く成長した時に、たとえ飲み会の席であっても「あれは自分がこう言ったのが上手くはまったんだよね」といったような慢心に満ちた発言はしないでおこうとここに誓っておきます。もちろん、投資先の成長が自分の貢献によるものだと信じて疑わないことが、キャピタリスト業務を継続していくうえでのモチベーション向上として機能する人もいると思いますし、考え方は自由ですが、私はそうはならないようにしたいな、という、あくまでも自分の考えです。

また、VCという仕事の特性上、キャピタリストとしての経験が長ければ長いほど傲慢になりやすいというのは少なからずあるだろうと思っています。投資先が上手くEXITした案件数というのは勤続年数が長いほど増える、というのは当たり前ですね。もちろんキャピタリストとして長く働く中で、経験値はどんどん溜まっていき、投資先に対しより適切なアクションを取れたり、成長するスタートアップを見抜いて投資判断するスキルは高まっていくというのは間違いなくあると思いますが、どこまで行っても投資家は黒子であるということを忘れずにいたいものです。

VCは個のキャピタリストが尖っていたほうが良い


VCは他の職業に比べ、業務全体の中で個人業務の占める割合が非常に高い職業であると思います。単独でソーシングして単独で面談して、投資委員会に持って行ってGPから投資判断が下され、投資に至った場合は自分が主担当として投資先支援に励む、というのが、一定の経験を積んだキャピタリストの主な動き方です。VCは個人事業主の集まりのようなもの、という表現を耳にしたことがありますが、それは実態を言い得ています。

とは言っても、それぞれのVCは独自にビジョンを掲げ、独自の投資哲学・支援哲学を持っています。一方、VCに在籍して個人事業主的に動くキャピタリスト個人にも自分なりの投資哲学を持つことが求められます。そうなると、VC(GP)とキャピタリストの間で投資に至る考えにズレは当然生じて来ます。

キャピタリスト個人が自分なりの投資哲学を持つ重要性について説明します。例えば同じ投資哲学を持ったキャピタリストが集まれば、誰もが同じようなスタートアップに投資することが予想されます。それではチームで動く意味があまりありません(投資先の支援は人手が必要ではありますが、投資自体はごく少数の人数で事足ります)。

個人的には、キャピタリスト全員が【この人がいないとこの会社には投資できなかった・この会社の成長は予想できなかった】というような、尖った専門領域を持ち、その結果チームとして見たときに上手くポートフォリオが分散しているVCが一番リターンが出る確率が高そうだと考えています。

そうはいっても、VCとして共通の投資哲学・投資基準を持っていることも重要で、このバランスが非常に悩ましいなと思います。最終的な投資判断を行うのはGPですが、GPでないキャピタリストが付議した投資案件について、GP自身の考えとキャピタリスト自身の考えをどのようなバランスで擦り合わせ投資判断を行うか、というのは答えの出ない難しい業務だなと感じます。かと言って、キャピタリストの投資哲学がVCと一致しすぎていても良くない、というジレンマがここにはあります。

VCは総合格闘技というよりセコンド、助手席ではなくピットウォールで待つ仕事

「VCは総合格闘技のように様々なスキルが必要で、取り組む業務の種類も多岐にわたる」
「VCは起業家のビジョンに共感し、伴走する仕事だ」
的なことがよく言われます。

ふんふん、確かにそういう業務なんだろうなーとインターン前は思っていたのですが、インターンを経て、んー確かに言えているところもあるけどちょっと違うかなー?という思いが強くなってきました。

ほぼ揚げ足取りですが、どちらのアナロジーにも抜けているのは、メインプレイヤーを俯瞰するという視点です。もちろん時には、プレイヤーの目線で事象を捉えることも必要です。起業家の見えている視点を無視した極めて投資家的な視野だけを持っていても、起業家と円滑にコミュニケーションを取るのが難しくなるのは想像に難くありません。(極めて投資家的で、自らの意見に絶対的な自信を持って支援にあたるVCが、そのようなVCから出資を受けたい起業家を支援するのは全然アリだと思いますが)

ただ、投資家だからこそできる有用なサポートというのは、短期的な成長に目線がどうしても行きがちな起業家の思考の射程を伸ばし、視野を発散させることだと考えていて、そのためには事業や組織を俯瞰する姿勢を持ち続ける必要があると考えています。総合格闘技や伴走する、といったメインプレイヤー的なニュアンスのある表現ではなく、ケージの外から、ピットウォールの中からレース全体の状況を踏まえ、選手に指示を出すイメージが求められるVCからの支援に近いかなと感じました。


まだインターンを半年やっただけの、ついこの前まで学生だった人がベンチャーキャピタルという偉そうに書いてみましたが、少しでもお読みいただいた方々に発見があれば嬉しいです。

#VC #ベンチャーキャピタル


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