男はつらいよ リリーさん三部作(11、15、25)を見ました。
リリー(浅丘ルリ子)さんは寅さんと仲がいい。たわいもない話をしている時はワイワイと楽しいのであるが、夫婦になるならないの話に踏み込むとなんだか喧嘩になってしまう。
「男に面倒見てもらうほど落ちぶれちゃいないよ!」とリリーさんは喧嘩腰に言う。すると寅さんも引くに引けなくなって「そう意地張るんじゃないよ!」などど言い合いになるのだ。
『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』 https://youtu.be/ckIdC8_uJnU
リリーさんも寅さんもどっちもフーテンある。リリーさんはギャバレーなんかで唄を歌って流れ旅、寅さんは祭りで商品を売り歩き流れ旅。そうなると2人とも、堅気(かたぎ)の枠から出た世界に入り込まざる得ないわけで、かなりの修羅場を通って、旅の生活を続けているのである。だから二人とも一見優しそうに見えても、芯の部分はやたら頑固で、引かないところは絶対に引かない(引けない)。
夫婦などの場合はどちらかが”受け担当”でどちらかが”思った通りに行動担当”だったりする。どっちも”受け担当”だと何も進まないし(たぶん夫婦になることも難しい)、どっちも”思った通りに行動担当”だったら、収拾がつかなくなる。
リリーさんも寅さんの場合はどちらも思い通りに、自分の人生は自分で決めて行動してきた。これは今更簡単には変えられない。それにぶつかったらどっちも引かない。だから一度言い合いになるとぶつかり合って、収まりがつかない。
リリーさんの母親はかなり自由奔放だったようで、もう今のリリーさんは避けて交流はほとんどない。リリーさんは母親に対して、憎しみが大きいように見える。お父さんは生まれてから見たこともないような感じ。
『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』 https://youtu.be/4vZHAiwRuD4
どういうきっかけがあって、リリーさんはそうなったのだろうか。何故にそんなに「男に合わせる女像」に嫌悪感があるんだろう?
世の中が求める、「女は男を立てて女らしく」みたいな女性像のレールから、何があってドロップアウトしたのだろうか?
ここからは私の勝手な想像である。
リリーさんは頼りになる兄貴みたいなイメージなので、小さい頃は男も女も関係なく、ガキ大将だったように見える。だから小学生くらいではクラスでもカーストでは上の方の人だったのではなかろうか。生徒会長をやってくれと周りの生徒から言われても、「わたしゃそんなガラじぁないよ」と断るタイプに見える。
そんなリリーさんになにがあって、望まれる女性像からはドロップアウトしたのであろうか。
例えば自分の知らないうちに、自分の子分みたいな奴らが車椅子の女の子からお金を巻き上げるとかしてて、それに気がついたリリーさんは、今まで自分の立っていた、持ち上げられていた立ち位置から、自ら降りたのではないだろうか。なにかの事件がきっかけで、今までのようには生きられなくなってしまったのではないだろうか。
もちろんそんな話は出てこない。
作品の中では「どうしてリリーさんが、今のリリーさんになったのか」までは描かれない。最初から「リリーさんというのはこういう性格の人です」で描かれるだけである。
そんな深く描いてしまうと、人情娯楽作品という枠を出てしまいかねないし、100分以内には収まらなくなる。だからしょうがないではあるのであるが、なんだか『寅次郎ハイビスカスの花』ではそこまで描いて欲しかった気がする。
そんな気持ちになるほど私は、リリーさん三部作を見てリリーさんに入り込んでしまったのでした。
『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』でリリーさん登場。
『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』で寅さんとリリーさん夫婦になるかも。
と見てきての『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』だったのでした。
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』 https://youtu.be/hpojmcb1AYc
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』を見て、なんだか今回は寅さんが振られたって感じはしなくて、「ここからなんとかリリーさんとうまくいったりするんじゃないか」と思いました。私の脳内ではこの二人が。たまに喧嘩もしながらでも幸せに暮らしているような気がしました。
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