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『ある日本の絵描き少年(2018)』を観ました。

20分の作品で、ドキュメンタリーのような感じのアニメーションです(誰でも無料で観れます)。

幼い頃から絵を描くことが好きな少年・シンジ君の今までの人生のお話で、彼のお友達はマサル君。
シンジ君は楽しくて絵を描いてた小さい頃にマサル君に出会い、漫画家を目指して奮闘して、お話の最後にマサル君の絵を見ることになります。

この作品は作り手がもがいているお話で、私も作りたいと思っている人なので、他人事には思えないお話でした。

今って、誰でも映像を撮影できたり編集できたりして、映像作品とか作ることができたりします(ビデオテープでの編集の大変だったこと)。絵だって音楽だって、機材を揃えて、プロ顔負けの作品を作ることはできるようになっているようです。
そうやって技術的なことがクリアできたとしても、面白い作品がどんどん出てくるかと思ったら、そういうわけではないようで、なんだか妙にお行儀の良い、実際に販売されていてもおかしくないような作品や、それに到達できていないような作品が多いような感じがします。
もちろん、紹介する役割にいる人が、面白い作品をすくい上げる目がないというのを感じていて、取り上げられるのが”既にある何かの作品に似たもの”であることが、多いように感じます。

「プロじゃないんだから、好きな世界を好きなだけ描いたらいいんだよ」とは言われたとしても、作った作品を見た人から揚げ足を取られたりしないように、吊し上げられないようにビクビク作るというのが現状のよう。

だから、たまに全然平気で好きなことを描いて、それが多くの人に受けているみたいなことがあると、「見られて恥ずかしいとか、見た人が不快に思ったらどうしようとかの部分が無敵モードなんではないか」と特別な能力を持った人のように思えてしまったりします。

何故だか作る前のアイデアの段階で「これは見た人引くだろう」とか「不謹慎とか言われるかもしれない」となってしまって、結果わかりやすい無難なものになっていくというのが、自分だけの作業でも発生してしまう。
だったら、出版社や映像会社など、商品を販売する側が間に入れば、それはもっと沢山出てくるだろうし、「こういう話にしないと、これ以上進められません」などと言われたら、仕事で受けていれば変えるしかないであろう。

私の場合は『ある日本の絵描き少年』を観て、「なんで誰にも何も言われてないのに好きに作れないんだろう」とか思いました。これって別の言い方をすれば「なんで生きたいように生きれないんだろう」でもあります。

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