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【映画のパンフ 全部見せ】 No.1 『V.マドンナ大戦争(1985)』

カッコイイ&セクシーで男子は完全に目を奪われてしまうこの表紙がすばらしい。
画像一枚でどんな映画であるかを見せるものとしては100点満点で120点であろう。

『V.マドンナ大戦争』パンフの表紙

アイドルが出てるからといって「ただの低予算アイドル映画でしょ」などと甘く見てはいけない。本格アクションや思わず入り込んでしまうしっかりしたお話の娯楽作品なのでした。
脚本は第9回城戸賞入選作で初の映画脚本の野沢 尚。中村幻児監督は数々のピンク映画を手がけ、その作家性と演出力によって高橋伴明、渡辺護らとともに斯界を代表する監督。(wikiより)。

『V.マドンナ大戦争』パンフより

息詰まるパワフルなアクションが夜を徹して行われた。この僅か15分間のハイライトシーンだけで、1億5千万円の製作費をかけ、キャストも2ヶ月間の特訓の成果をみせようと全力を投じた。この危険な撮影に先立ち、監督・カメラマン・キャストに1人1億円づつの保険がかけられるなど緊張した撮影が行われたが、ハードなアクションシーンの連続に怪我人も続出した。3台のカメラがとらえ続けたこの「V.マドンナ大戦争」は、縦横無尽にとびまわる青春の熱いパワーに溢れた、ティーン・バイオレンス・アクション・ムービーだ。

何故かこの作品はDVD化されていない。私はブルーレイでも買いたいくらいだが、解像度の低いVHSビデオテープでさえ数万円でやりとりされている(少し画像がよくないがユー○ューブのリンクを最後に載せておきます)。

『V.マドンナ大戦争』パンフより

ただやはりハードだったのは、三重県久居と御殿場の大戦争シーンだった。日数的に2ヶ所で何と8日間も費している。このシーン夜間撮影の為、8日間は昼と夜の生活が全く逆転してしまったのである。撮影は暗くなる午後7時から夜が明ける翌朝午前5時まで10時間の勝負であった。3月、4月にかけての深夜はひじょうに寒く、スタッフ・キャスト共、死ぬ思いであった。バイク50台の動き、火薬の位置によるスタントの動き、これらのリハーサルが幾度となく繰り返えされた。毎夜わずか数カットの撮影であった。特に50台のバイクの動きには時間がかかった。というのは、バイク50台が一切にエンジンを吹かした時の音と言ったら何ともすごい爆音であった。指示する監督・助監督の声は全く声にならなかった。又、50台ともなると限らずエンジントラブルを起こすバイクがあるのも時間のかかる要因だった。特に冴香のバイク(250ホンダXLX)は、ウイリー(前輪を上げて走行)を多様した為、セット撮影で、本番寸前にエンジンストップするというハプニングまであった。
こうして、幾多の苦労が重なったがラストの大戦争は圧巻である。乞御期待!!

今作は宇沙美ゆかりの存在が大きいが、この映画の後で芸能活動を引退してしまった(芸能活動は2年くらいか)。映画は『みゆき(1983)』と今作。テレビは『胸さわぎの放課後1と2(1983)』と『あ!Myみかん(1984)』。こんな才能あふれる人が活動できなかったのは今更ながら残念です。

7人のマドンナの中には村上里佳子、斉藤こず恵。生徒会長はジャニーズの中村繁之。悪の親玉役の豹の目は蜷川有紀(母方叔父は演出家の蜷川幸雄で、従妹は写真家や映画監督の蜷川実花)。

『V.マドンナ大戦争』パンフより

宇沙美ゆかり
『この映画のために中型バイク免許もとりました。体力づくりもしました。私の変身ぶりを見て下さい』
昭和43年4月2日、沖縄県出身。身長163cm・B88cm・W58cm・H84cm。 58年に「みゆき」(東宝)で映画デビューし横浜映画祭最優秀新人賞獲得。同時にTV「胸さわ ぎの放課後」シリーズで主役を演じお茶の間に進出。59年にはレコード・デビューを果たしてアイドル・スターの地位を確固たるものにした。写真集、CFも好評である。バネのような肢体をランディング・スーツに包み、クールな瞳でホットな戦いを繰り広げるマドンナのリーダー冴香で、 新しい宇沙美ゆかりの魅力を叩きつける。

https://youtu.be/G03ayyvKDI8

『V.マドンナ大戦争(1985)』の映画パンフレット(全ページ収録)は以下。

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