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上映会に来てくれてた近所のおじさんの話

電話に出るといきなり「あの映画は誰が観たいって言ってるんだ!」とか、文句を言うみたいに言ってくる。「あのいっつも観に来てる婆さんが観たいって言ったのか!」とか言われても困るのである。

毎週土曜日の午後にやっている、自宅の1階を使っての無料上映会の映画作品は私が決めている。観る想定しているのは私よりも上の年齢の、この周辺に住む高齢者さん(60歳から80歳くらい)で、できるだけ幅広く、観たいと思う人が多いような作品を選びたいので、結構調べて迷ったりして選んでいる。
何作か現代劇が続いたので、今回は時代劇が観たい気分であった。黒澤作品は私は好みなのであるが、あまりに殺伐としたチャンバラものは、少し刺激が強すぎるかもしれない。
そこで、藤沢周平の原作がいいのではないかと思った。侍チャンバラ的な方向ではなく、なにかやるせない現在に通じる人情みたいなものがあるからであった。
そこでいくつかの候補作品の中から『たそがれ清兵衛』を選んだ。山田洋次監督初の時代劇であった。
家の外に看板に『たそがれ清兵衛』を上映します。とボードに書いて出したのであるが、その私の作品選びに対して、電話で近所に住むおじさん(60歳くらいと思う)に文句を言われたのであった。

このおじさんの話の内容はこういうものであった。
「俺はこんな作品を観たくない。なんでこんな作品を選んだんだ。もっと俺が面白いと思うような作品を、俺が観に行きたくなる作品を上映してくれ」

このおじさんは近所で自転車に乗ってふらふら走っているのを見かけることはあっても、話すようなことはなかった。なんだか引きつったような顔つきをしていて、軽く世間話をするような雰囲気を感じなかった。
顔つきを見て勝手に「なにか気難しい人なんじゃないか」と思っていた。

このおじさんがはじめて上映会に来たのは大林宣彦の『青春デンデケデケデケ』(香川県の観音寺が舞台の青春映画)であった。来た時に「もう少しマシな(もっと面白い)作品をやってくれよ」みたいなことを言われた。作品を観てる時もなんだか退屈な話を無理に聞かされているような、ずっと画面をまっすぐ見ないで斜めな角度に顔を向けていて、途中で4回ほど外に出る(おそらくタバコなんかを吸いに出ていたと思われる)し、途中で3回ほどトイレに行っていた。
トイレは室内にあるので、前をかがんで横切るだけなのでそんなに気にはならないが、外に出るのはスクリーン横のドアを開けることになるので、その度に昼間の太陽光が室内に入って画面が一瞬真っ白になり、物語から引きずり出されるような感覚になった。

このおじさんは「なんかオモロいサスペンスとかはないんか」とか言って、「松本清張とかやってくれや」とか言うので、次の週は『松本清張の張り込み』を上映してみた。試しに見てみたら面白かったのと、野村芳太郎の最初の監督作品、脚本が黒澤作品も多く手がけた橋本忍、山田洋次も脚本と助監督で参加ということで見ることにした。

するとこのおじさんは『松本清張の張り込み』の上映会にやって来た。でも少し退屈だったのか1回だけ外に出て行った(トイレは3回行った)。

このおじさんと少し話してみると、どうやらこの人はなんらかの障がいを持っているんではないかと思った。会話のキャッチボールで投げたボールが3回に1回くらいはそのまま返ってこなかったし、あまりこちらの様子を見て話したりしていないように見えたのだった。

このおじさんのリクエストで黒沢清監督の『スパイの妻』を観たこともある。このおじさんと私だけの上映会であった。私はこの作品を観てかなり感情を揺さぶられたのであるが、娯楽作品的なわかりやすい作品ではないし、少し流れが地味かもしれないので、このおじさんは何度も外に出るんではないかと思い「もしも退屈だったらそこで上映止めますので、遠慮なく言ってください」と観る前に伝えた。そしたらこのおじさんは上映中一度も外には出なかったが、 いつものように3回トイレには行った。
作品を最後まで観終わるとエンドクレジットになるとすぐ立ち上がって「まあまあ面白かったな」と言って出て行った。なんか我慢して観ててやっと終わったように、私には見えた。

このおじさんがポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観てみたいと言ったので、またおじさんと私だけの上映会をしてみた。この作品でも1回も外に出なくて、トイレだけ行って。観終わって「かなり面白かったな」と言って帰って行った。

その程度のお付き合いではあったのであるが、いろいろ考えて選んだ上映作品に対して、このおじさんから「なんであんなの(映画を)やるんだ」とか言われると、私はかなり腹が立った。
たぶん、こういうことを言ったら、こういう言い方をしたら、相手がどう感じるかみたいなことを考えていないのかもしれない。だから腹を立てることもないとは思っても、なんだか反射的に怒った。
「あのいっつも観に来てる婆さんが観たいって言ったのか!」と言われてカーッときて「いつも上映する映画は私が選んでます!」と怒りぎみに返した。相手に私が怒っているというのが伝わったのか「そんなに文句言うんだったら、観に来なくていいですから」と私が言おうとした直前に、「そうか、だったらもういいわ」と捨て台詞みたいに言って、電話を切られた。

知り合いの近所のおばさんから後から聞いた話だが、このおじさんが私のことを話していたそうである。「なんであんな昔の、たいして面白くもない映画を観るんかねえ」と言われたそうである。すると近所のおばさんは「あんたは間違っているよ」とすぐに言い返したそうである。「あの兄ちゃんは私らが観たいような昔の懐かしい作品を探して上映してるんだから」と「もしあんたが観たい作品があったら、それを言って観せてもらったらいいだろう」と。

このおじさんは電話で「そうか、だったらもういいわ」と捨て台詞みたいに言ってから、一回も上映会には来ていない。
近所のおばさんから聞いたのだが、このおじさんは障がい者で、毎週隣町の障がい者の施設にバスで通っているそうだ。

こうやって、他の人たちもこのおじさんと付き合わなくなっていくのかもしれない。相手が自分に対して怒っているのを感じて、なんだかよくわからないけど「そうか、だったらもういいわ」と関係が切れてしまっているのかもしれない。
このおじさんが悪気があってやってるわけでなくても、こちらが気持ちを踏みつけにされたように感じてしまう。それで反射的に怒ってしまう。

何度もトイレに行くのも、精神を落ち着ける薬なんかを飲んでる人にとっては避けられないことである。なんだかもう少し別の対応ができなかったものかなと思ったりした。

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