『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』を観ました。
マンガ映画とか悪趣味とかバカみたいな作品とか言う人もいるかもしれないが、ジェームズ・ガン監督作品からは「思い通りにならない世の中を生きていくためのエネルギーを注入される」ような、心を熱くするなにかをビシビシ感じる瞬間があるのだ。
もちろん誰にでもおすすめできる作品ではない(例えば自分の母親なんかにはおすすめできない)。あまりにブラックジョークすぎるのでついて行けないと、観てるのが拷問にもなりかねない。
今や作品で描いている内容ですら、都合よく切り取られて不謹慎だの差別だの吊し上げられる。こうなると世間の顔色ばかり気にして、今までの範囲の中にきちんとおさまった、お行儀のいい(当たり障りのない)作品しか出てこなくなってしまう。
みんなして正義の味方のようなつもりでやっていて、ハッと気がついたら、いつのまにかイライラして余裕のない『世間の目』みたいなものが四六時中監視していて、いつ自分が晒し者になるかビクビクして生きるようなことになってしまう。
言ってみれば今作は、そういう世の中の流れに対する、強烈にブラックな最強パンチなのかもしれない。
私なんかは”今までになかったものが観たい”っていうのがある。「この内容についてこんな描き方があったのか」とか、「この描き方だと、今までより内容がズッシリと入ってくる」みたいなのが楽しみなのだ。
そりゃあ悪いことは悪い。どんな相手であれ殺人が許されるわけではないし、なにを盗んだとしても許されることではない(ましてや子供に被害を及ぼすなんかとんでもない)。
今作は刑務所に入っているような犯罪者が集められて、アメリカの偉い人から命令されて、ある行動を無理矢理やらさせられる。その行動は必ずしも正義とかではなくて「都合の悪いことだからやっつけてくれ」みたいなことだ。
だいたいの作品は応援したくなるので感情移入したりするわけで、「正義の味方がんばれ」とか「頼りない男だけどがんばれ」とか「少しさえない女子だけど恋愛うまくいけ」とか話に乗れるわけだ。
だから、犯罪者に感情移入させるってのははじめからハードルが高いわけで。作り手側はあえて困難なプロジェクト(作品作り)に挑んでいるとも言える。
まずは頭の中をカラッポにして、観ている間は作品を楽しんでみよう。
するときっと作品を観終わる頃には「いろいろキツい人生だったりするけど、めげないでやってやろうじゃねえか」ってのがビシビシと伝わってくるはず。
「今まで何ひとつ問題にぶつからずに生きてきました」みたいな人でなかったら、きっとこの作品に込められた、心を熱くするなにかが伝わるんじゃないだろうか。
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