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”魔”が差した(バイクで転けて、腕の骨を折った話02)

「”魔”が差した」のだと思う。
普通ならこんなことしないのに、なんでかその時にだけはやってしまって、取り返しのつかないことになるということを「”魔”が差した」と言ったりする。

”魔”というのはそれが起きる瞬間、トラブルが起きる瞬間の直前まで私に中に居たのではないだろうか。「魔が差す」までの間”魔”は、私の中の見えないところにコソコソと隠れていたのではないだろうか。
隠れ方は背中とかに周りこんだり、右側を観た時にはソロリと左側に入り、左側を観た時にはソロリと右側に入り込んだりすればいい。
このように、身体の外に居る場合にだって隠れるのは容易だし、身体の中に入り込めるもんなら、それこそ私の内臓部分に”魔”は隠れ放題である。

最初から私の身体に「”魔”が住みついていた」わけではないと思う。なにかのタイミングで”魔”は入って来たのだと思う。これは私の中に「”魔”が差し込んできた」とでも言おうか。
私にはこの日のことに心当たりがあった。

朝からその人の家に行く約束をしていた。マップで確認したらかなり山の奥の方だったので、バイクで行った方がよさそうに見えた。しかし、いざ朝に出発してみると、後ろタイヤがベコンと潰れてしまっていて、止めてタイヤを蹴ってみると全く空気が入ってないようであった。
なので、バイクは後でタイヤがパンクしてるのか、空気が抜けているかをチェックするとして、とりあえずは今回は車で行くことにした。

かなり山の奥へ奥へと進んだ。神社の前の小道に入るとすぐのところの民家には洗濯物も干してあって人が住んでいるようであったが、その次の数キロ離れた民家は屋根が半分崩れていて廃墟であった。目指すのはこの先の行き止まりにある家であった。

人のテリトリーと自然のテリトリーがあって、着いた家はどちらのテリトリーとも言えない、ぼんやりとあいまいな状態にあるようであった。
家の周りを広めの農園が囲んでいるが、その外は鬱蒼とした山の中である。人と人が反応して発する、なんらかの生命エネルギーが出ることで、人のテリトリーを主張することができるのだが、もうそのような生命エネルギーはほとんど発せられていないので、かなり内部まで人とは別のものが入り混んでしまっている気がした。
家の前の農園で作業をしている背の低い女性に「ここは〇〇さんのお家ですかーっ?」と聞いたら。「そうですよ」と答えてくれて、会話ができたことに少しホッとした。

家の建物に囲まれた池には赤いコイが数匹泳いでいた。水も自動で循環していて、しっかりとコイたちは生きていた。しかし、私の進む方向を遮るかのように、やたらとトカゲが横切る。その大きさはよく見る太めの中指くらいのサイズのものではなく、手のひらくらいのプリンと太ったサイズのものであったので、そんなトカゲが横切る度に私はギョッとした。

とりあえずスマホで電話をかけたら、一回目は電波を掴み損ねてかからなかった。少し角度や高さをさぐってから再度かけたら、2回目はなんとが電波に引っかかってくれた。
「プルルルルッ」と呼び出し音は家の中のすぐ近くで鳴っていた。しばらく鳴らしていると、なにか引きずるような音が聞こえてきて、やっとのことで引きずっている主が電話を取ったようであった。
「私足が悪いもんでね、居ますんで玄関まで回って下さい」と言われて、少し先の玄関に向う。するとまたトカゲが目の前を横切った。

その人は見た目はなんの問題もなさそうに見えた。服装もおかしなところはないし、話し方も元気そうだった。しかし目の光に少し違和感があった。ナチュラルな光ではなく、なにかLED照明を集めて、自然な光に似せて作ったような、色には暖かみが一切取り除かれていて、真っ白のような感じがした。

「本を作ろうと思うんです」と言うので、原稿を見させてもらえますかと言った。すると手書きのノートを見せてくれるのであるが、書かれている内容は、数字がところどころ桝に入っている、数独の問題みたいなものであった。
そのどれもが本から書き写したようだったので、これは写したものですかと聞いたら。「神様が必要なものを私に与えてくれるんです」と言った。どう見ても真顔であった。

どの数式もなにかのページを写したように見えた。挿絵的なものもそのまま丸写しで、数式が黒板に書いてあるようなものとか、森の樹とリスなんかが書いてあるものとか、おそらく見たままを正確に模写しているようであった。

「これだけじゃつまらないと思いまして、この漫画部分も入れたいんですよ」と見せてもらったものは、漫画の4コマのうちの2コマを抜粋してコピーしたものを、ノートに貼り付けたものであって、20ページほどあった。

絵をそのままだと著作権に引っかかるかもしれないと伝えると。少し残念そうな顔で「そうですか、なら仕方がないのです。今回は漫画は入れないでいいです」と言った。

「このまま載せたいんです、書いたままで本にしたいんです」と言うので、私は本サイズに合わせて少し拡大するかもしれませんが、大丈夫です。このまま本にすることは可能ですと答えた。

「初対面でこういうこと言うのはなんですが、私は神が言う通りにしてるんですよ」と初対面の私に向かって言ってくるので、私はすぐにでも逃げ出したくなった。逃げ道の玄関の方を見ると、また丸々と太ったトカゲが横切った。

「実は訴えようと思って、その封筒を帰りに郵便ポストに入れて欲しいんですよ」と言う。「この診療所が処方した薬が違法なのを発見したんですよ」と言う。「この事実を新聞社やテレビ局に報告してやるんです」と言う。
書かれた内容を読ませてもらうと、まったく意味がわからない。わからないが、自分が100%正しいという揺らぎない自信のようなものは読み取れた。
「少し待ってくれますか、ちゃんと清書しますんで」と言うので、それが書き上がる間、私は少し外に出てきますと言った。「すいませんがすぐには書けんのですよ。間違いのないように書かないといんでしょ」「下まで行けんので、ポストに入れて欲しいんですよ」という封筒には診療所の名前だけあって、住所も郵便番号も書かれていなかった。

外に出るとまたトカゲが前を横切る。そこでトカゲはなにか私に知らせるサインなのではないかと思った。なにか私に危険を知らせようとしているような。

農園で作業している女性に話を聞こうと思ったが、さっき見つけた場所に居なかったので一瞬パニックになりそうになった。大声で叫びそうになった。しかし、よく見たら伸びた作物の影に隠れていただけのことであった。

農園の女性は奥さんであったので、私は少し遠回しに、気が触れているんではないかと聞いてみた。すると「はあ、やはりそうですかねえ」と返された。私がここに来たのは本を出したいという話を相談されてのことだったのですが、このまま診療所を訴えるみたいな封書を送ってしまうと、その診療所に迷惑がかかるので、私が預かったら、ポストも入れないで奥さんにお渡しするということで話がまとまった。もう何度か精神の病院に行っていて、その行っている診療所を訴えるという流れのようであった。

私が戻ると「もう少しです、待ってくださいね」と言って、しばらくしたらホッチキスでバチバチに何箇所も口を止められた封筒を渡された。ちゃんと切手も貼ってあったが、相変わらず郵便番号も住所も書かれていなかった。

確かに預かりました。本は原稿をもう一度しっかりまとめてみて下さい。そういう話にした。

外に出てトカゲが前を横切る、2回も3回も。奥さんに封筒を渡して、逃げるように舗装されていない一本道を戻った。何かあったら連絡して下さいと奥さんに言ったが、連絡されても何にもできないような気がした。私なんかじゃ太刀打ちできないのがわかった。

一刻も早くここから逃げないといけない。でも焦りすぎて道を踏み外して崖下に落ちたり、他の車と接触するようなことになってはいけない。

ここで私は、完全に「魔が差す」という前段階である「魔に差される」ことになってしまったのではないかと思う。
それで、この日の夕方に私は、この近くの細い山道をバイクで走り転倒してしまい、腕の骨を折ることになるのであった。

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