『嵐を呼ぶ男(1957)』を観ました。

「なんでそこまでして、お母さんに認めてもらわないといけないのかねえ」と思ったんですよ。

だってお兄さん(裕次郎)はもう成人でしょう。弟を比べられるとかそんなの多かれ少なかれありますよ。親っていったって合う合わないがありますから、
弟のやることは何をやっても立派に思えて、お兄さんやることは何をやってもダメダメに見える。そんなのは大変残念ではありますけど、しょうがないことじゃないでしょうか。

「なんで母さんはわかってくれないんだ」って酒に溺れるなんて、そんなの子供が駄駄をこねてるみたいにしか見えないですよ。お母さんがわかってくれなくたって、バンドのメンバーだってマネージャーの北原三枝だって、お兄さんのドラマーの腕も歌声も認めてくれているのだから、そっちの方が大事なんではないでしょうか。

そんな「あんたのやることはなにもかもダメなのよ」って言うような人は、たとえ家族であろうとも一刻も早く離れた方がいいでしょう。なんとかして認めてもらおうと、無理してしまうのもよくないし、嫌だと言っているものを無理矢理認めさせるみたいなことを、わざわざしなくてもいいんじゃないでしょうか。

「今に見ていろよ、母さんに絶対俺を認めさせてやる!」なんてことでがんばるよりも、あなたの腕を認めていて、一緒にやっていこうと思ってる人たちと、がんばる方が大事だと思うし、だんだん有名になって来たなら、余計な雑音はスルーして、無駄な労力は使わない方がいいと思います。

あと「反社会的なボスの女と、いい中になった」って言うのは勘違いなんですから、言い訳とかではなくて「あの女性には酔いつぶれていたのを助けてもらいましたが、手を出していません。なんなら本人に確認して下さい」って言えばいいんですよ。疑われても黙ってるのが男らしいとか、いつの時代の話なんですか。
そんな意地になって生きているから、子分たちに痛めつけられるだけでなくて、大事な商売道具でもある手まで○されるんですよ。

なんだかこれじゃあ見てる私も後味が悪いじゃないですか。
そんなしてお母さんがやっと謝ってくれたって、あなたがまたステージに立てないってことでは、これからのあなたの行く末どうなってしまうのか、ずっと気になってしまうではありませんか。

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