『ホテル・ニューハンプシャー(1984年)』を観ました。

観た当時は意味がわかってなかったんじゃないかと思って、今回見直してみた。
うっすら記憶にあったのは「開いてる窓は見過ごせ(人生しんどくても、飛び降りるんじゃないよ)」ってことぐらいであった。

すっかり出演者も忘れていたのだが、尊敬するジョディ・フォスターが出てきてうれしかった。この役がはまり役で、一家の長女で殴られても殴られても、どうやり返そうか楽しみでニヤニヤして立ち上がってくるような、いい意味でしぶといキャラであった。
この姉とやさしくてイケメンの弟(ロブ・ロウ)がたぶん話の中心のような気がするのだが、この二人が姉と弟なのにも関わらず、お互いが愛し合っている。(原作は小説であるが)こういうタブーな内容を、当時の1984年に映画で表現してたことに驚く(私もまさかそんな内容と知らずに、自分の部屋で姉と観てしまって、とんでもなく気まずい雰囲気になった)。

さらに、熊の着ぐるみを着ているナスターシャ・キンスキーが美しい。自分をさらけ出したくないっていうのと、誰も近づけさせない(誰にも理解してもらいたくない)ってのを、出てきただけで一発で伝えているのが素晴らしい。

ジョディ・フォスター演じる姉のお兄さんはゲイ(好きになる性が男性の人)であったり、ジョディ・フォスターは弟が好きで、さらに女性も恋愛対象(バイセクシャルだろうか)だったり、お話は通常のホームコメディーの枠からグングン外れて、容赦なく走っていく。

今回見直して気がついたのだが、妹は小人症で背が伸びないとか、末っ子も健常者ではない(原作では難聴らしい)ような感じであった。極端な言い方をすれば、普通とか通常のところに立っているキャラクターは一人もいないように思う。
そして、起きることもかなり極端で、通常では到底乗り越えられないような大きな困難が、次々に現れては迫ってくる。

「人生はおとぎ話よ」と妹が言う。そして、しんどいかもしれないけど「開いてる窓は見過ごせ」と父親が言う。

自爆テロの前に一度だけ抱いて欲しいと弟に言う女のテロリスト。小説が大ヒットするが次作が大失敗する妹。そういう悲惨な状況の話を、まるでおとぎ話のようにファンタジーやユーモアを入れて描いている。

今になって見直して感じたのは、「人生はどうでもいい事ではないけれど、こんなのおとぎ話みたいなもんで、どうなったとしても乗り越えていける事なんじゃないか」という原作者の思いであった。

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