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【株式会社プラザクリエイト 新谷 隼人氏】他人の期待ではなく、自分のやりたいことで結果を出したい。(Vol.1)

経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」「私が経営者になった日」では、経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか、その瞬間に迫ります!


社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。

1988年の創業以来、全国に約200店舗あるパレットプラザをはじめ、DIYクラフトキット「つくるんです®」や原宿カフェ×アパレルの「HATTO CREATIVE PLAZA」、グランピングの「THE GLAMPING PLAZA」など、さまざまな広場を展開するプラザクリエイト。その第二創業期を担う株式会社プラザクリエイト 代表取締役社長 新谷隼人氏に3回にわたってお話を伺いました。

新谷 隼人氏 株式会社プラザクリエイト 代表取締役社長

地元のエースも、自分の限界に気がついた。

通信簿で、常に評価が付いていたのは『落ち着きがない』。母親も心配になるぐらい、いつも自分のやりたいことをやる少年だった。そんな中で、最も没頭していたのがサッカー。小さい頃の最初の夢は、ブラジルにサッカー留学して、プロのサッカー選手になることだった。

「高学年になると、地域のチームじゃなくてクラブチームに入ることになるんです。地元ではエースで4番みたいな立ち位置だったんですが、クラブチームに行けば、各地域のエースばかりが集まっていて。自分自身が井の中の蛙だったんだなということを感じましたね。」

サッカー選手以外の選択肢も増やそうという親の考えもあり、中学受験にも取り組んだ。学校の勉強ができなかった感覚はなかったが、中学受験になると全く別のルールがあった。

「受験には、戦略や戦術があるんだなということを、中学受験塾でもすごく気付いたんです。常にサッカーでも劣等感を感じて、塾に行っても劣等感を感じていました。ただ、塾に行くと学校の成績はどんどん上がっていく。塾の中だと全然駄目なのは、自分が一番分かっているのですが、サッカーでもクラブチームに行けたし、塾も頑張って行って学校の成績も上がっているので、親の期待は膨らむばかりでした。」

結局、中学受験では自分の行きたかった学校には行けなかった。

「一番初めの挫折ですね。文武両道がかっこいいと思っていて、どっちも自分なりに全力で頑張っているんですけど全然届かない。自分が一番分かっていたけれど親の期待に何とか応えたいからやめたいと言えない葛藤が常にありました。結局、途中でケガをして、サッカーを辞めざるを得ない状況になってしまって。プロにはなれないことを自分が一番分かっているし、ただただ親を悲しませたくないと続けていたサッカーを辞める理由ができて、少しホッとしたというか、安心...

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