IPCC評価報告書の読み方・受け止め方 20210810解説
気候変動に関する最新の科学的知見「○○余地がない」
IPCCの6次評価報告書(AR6)の概要が明らかになりました。
http://www.env.go.jp/press/109850.html
正確には、科学的評価を担当する第1作業部会の報告書です。
6次ってことですから、1次はいつかというと、1990年でした。http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ipccinfo/IPCCgaiyo/report/IPCChyoukahoukokusho1.html
その頃は、
「人為起源の温室効果ガスがこのまま大気中に排出され続ければ、生態系や人類に重大な影響をおよぼす気候変化が生じるおそれがある」
という「評価」でした。
「おそれがある」だから、「まだ、そうなってないかもしれないけど、でも、きっとたぶんそうなるよ」といったところ。
それが、今回はのっけから、
「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が現れている。」
という評価です。気候変動は将来の話ではなく、現実として「現れている」事実の話。
http://www.env.go.jp/press/109850/116628.pdf
1次(1990)→6次(2021)、31年間の「評価」の変化
31年たって、「おそれがある」から「疑う余地がない」へ。
ちなみに、IPCC報告書では、
「可能性が高い」=確率66%超
「可能性が非常に高い」=確率90%超
「ほぼ確実」=確率99%超
などと、明確に表現の使い分けが行われています。
http://www.env.go.jp/press/109850/116630.pdf
1次報告書のころの「おそれがある」は、
「どちらかと言えば可能性が高い」=確率50%超
といったあたりでしょうか。「どっちかといえば、こっちでしょ」。
で、それが6次になると、「疑う余地がない」(元の英語はunequivocal)なので、もう、「ほぼ確実」さえも超えているのでしょう。https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/downloads/report/IPCC_AR6_WGI_Full_Report.pdf
一般人的には、「99.9パー以上!」って言うレベル。
今まで、だいぶ慎重に、時間をかけて表現のレベルをあげてきたIPCC報告書ですが、ついにここまで。
ついでながら、マスコミなどが、「今世紀末の気温上昇は最小○度から最大○度」などと報道しますが、報告書では、最小とも最大とも言っていなくて、たとえば「今世紀末の気温上昇が○度から○度となる可能性が高い」などと表現しています。
この表現の場合、「気温上昇が○度から○度となる」確率は66%超だ、と言っているので、裏を返すと、「気温上昇が○度から○度とならない」確率はゼロではなく、最大34%まである、ということになります。
「予想よりもっとひどくなる可能性も、もっとおだやかにおさまる可能性も、ないわけじゃないけど、たぶん、予想の範囲内だろうね」と、「最小・最大」はだいぶ意味が違いますね。
科学者ではない一般人はどう受け止めればよいのか
さて、本題に戻りまして(何が本題か示していませんが)。ここまでくると、温暖化懐疑論者(そもそも、温暖化なんかしてないよ!)や、人為的温暖化懐疑論者(温暖化はしてるけど、人間のせいじゃないよ!)は、どんな反論を出してくるのかも興味があります。
ただ、マスコミなどでは、IPCCの報告書の内容と、懐疑論者の反論を同じくらいの分量で扱ったりするし、懐疑論者の方が強い断定口調だったりするので、「両論併記」「決定的な結論は出ていない」という印象を受けたりするかもしれませんが、科学者の世界では「勝負あった」、という局面を迎えたのでしょう。
もちろん、科学は多数決ではないので、「それでも地球は回っている」のガリレオのように、当時としては圧倒的に「異端」とされたが、後に真実と認められる可能性もあります。
しかし、そっちの可能性(懐疑論者が正しい)に賭けて、「やっぱりはずれでした」の結論が(何十年もたって)出た場合、その賭けの結果責任を負わされるのは、現在世代ではなく将来世代です。
負ける確率が高いとわかっていて、「大穴」に全財産を掛けるでしょうか。しかも、その「負け」のしりぬぐいは、自分がするのではなく、子供や、まだ生まれていもいない孫にさせるという前提で。
まさに「取り返しのつかないこと」であり、すでにこの世を去っているから「一生かけてつぐなうこと」もできない、将来世代からは「無責任」と言われ恨まれることになります。
そういうわけで、グレタさんの「よくもそんなことを!」は、将来世代を代弁する立場での発言だったわけです。
気候変動問題の「社会科」が重要
ここから、気候変動は意思決定と行動の問題になり、したがって、科学から、政治とか経済とか倫理とかの社会科の世界に入ってきます。
そこで、IPCCの報告書には「政策決定者向け要約」というバージョンがあって、まさに意思決定のための情報提供を意図しています。http://www.env.go.jp/press/109850/116628.pdf
「細かいこと抜きにして結論だけ言うと、こういうことなの。ほら、このグラフ見て。ね、わかるでしょ。わかってね。で、わかったら(わからなくても)、ちゃんとした政策打ってよね。科学者ができるのはここまでだから、あとはあんたたちの責任だよ」。
地球が崩壊するとかのパニック映画では、「よっしゃ、わかった、お前を信じよう。で、どうすりゃいいんだ、いくらいるんだ」と、話が早いのですが、現実は超遅い。
毎回「政策決定者向け要約」を、その時々の「政策決定者」が受け取ってきたのですが、31年たって、「ヤバイヨヤバイヨ」が「リアルガチマジヤバイヨ、パネェヨ」になったというわけです(ちょっと砕けすぎかもしれませんが、そんなイメージ、ということで)。
そこで、SDGs(持続可能な開発目標)がなぜ出て来たかと言えば、l気候変動だけでなくほかの分野でも、「ヤバイヨヤバイヨ」の警告が、なかなか世界の隅々にまで届かない、もしかしたら警告は届いているかもしれないけど、人々の行動は大きく変わっていないから、「ちょっと、みんな、気合入れ直そーぜ」だったのです。
「そうしないと、みんなひどいことになるよ。」
30年前に比べれば、環境教育は進みました。
人々は、頭では「わかっている」。しかし、行動は、「かわっていない」。
「負ける確率が高く、負けた場合の損害も超デカイ大穴に賭け続け」ることで、まさに墓穴を掘って大穴を超大穴にし続けているような状況です。
ちなみに、気候変動問題の「気合入れよーぜ」は、1992年の地球サミットです。1990年に第1次報告書が出たすぐあとですね。
SDGsとの関係
で、第5次報告書が2013年に出たすぐあとの2015年に、地球サミットの時にできた気候変動枠組条約の方ではパリ協定を、国連サミットの方では「2030アジェンダ」という文書を採択し、その2030アジェンダに、SDGsが入ってます、ということです(なので、厳密にいうと、SDGsを採択したのではありません)。
どうして2030アジェンダという名前かといえば、1992年の地球サミットで採択された「アジェンダ21」という行動計画を継承しているからです。2030アジェンダにあって、アジェンダ21になかったもの。それが目標です(つまりSDGsですね)。
この2つのアジェンダの間にあったのが、MDGs(ミレニアム開発目標)です。MDGsから、目標を立ててモニタリングする、という仕組みが導入されました。2001年にノーベル賞を受賞したアナン事務総長(当時)の仕掛けです。この仕組みを踏襲し、目標の対象範囲(エリア)・対象分野ともに拡大されて、より「野心的」な目標となったのがSDGsです。
何事も、本気でやるなら、目標を立てるでしょう。「みんな、気合い入れ直して、本気でやろーぜ」のメッセージがSDGsです。
そして、なぜ、「本気」が必要なのか、大きな原因となっているのが気候変動なのです。気候変動がどうなっているかといえば(・・・最初に戻る)。
【編集後記】
とりとめなく書き始めて、終わらなくなったので、無限ループにしてしまいました。。。何回目かでループを脱出して「行動」に移っていただければ。。。
なお、わかりやすさ重視の表現を試みましたが、ところどころに仕込んだリンクで原資料に当たっていただき、それで合っているかどうか、確かめてみてもらえたら幸いです。
※後から、目次・見出しをつけてみました。
※20210820追記
①たった1人のストライキ、環境活動家グレタに密着したドキュメンタリー予告公開
https://natalie.mu/eiga/news/441553
②SDGsの不都合な真実 「脱炭素」が世界を救うの大嘘
https://tkj.jp/book/?cd=TD020987
※20210822タイトル変更