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ハンブレッダーズの色彩表現

ハンブレッダーズが好きだ

ハンブレッダーズが好きだ。文化祭バンドの延長線上に音楽をやっているような雰囲気がとにかく良い。コード進行は極限までシンプルに作曲している印象だけど、ときたま見せるマニアックなコード感も外せない。「スクールカーストの最底辺」という売り文句で登場してはや5年、最底辺感は拭わぬままで、邦ロックシーンの上位に割り込みつつある。今回は、そんな彼らの歌詞に注目してみたいと思う。

1.DAY DREAM BEAT(2018:アルバム『純異性交遊』より)

代名詞とも言える楽曲。ムツムロさんは以前、Twitterでハンブレッダーズのおすすめ曲を聞かれ、「DAY DREAM BEATとか良いです」と答えていた(現在、ツイートは削除済み)。スクールカースト最底辺のやつが、本当に、音楽が好きだということを歌っている。実は、この曲に出てくる"ヘッドフォンの中"の宇宙で音楽を楽しむという描写は、のちの楽曲、ライブハウスで会おうぜ(2020:シングル『ライブハウスで会おうぜ』より)における、"ヘッドフォンの外"に広がる宇宙の発見という描写の伏線にもなっているのだが、今回はそこには深入りしないことにする。

DAY DREAM BEATの歌詞には、色の表現が2か所登場する。一番のAメロ終わりの「暁色(あかつきいろ)」と、二番のAメロ終わりの「山吹色」である。それぞれ、色の表現が登場する部分の文脈を読み解いてみよう。

人目につかない程度のヘッドバンキング ドラムも叩けないくせに刻むビート 音漏れするかしないかの瀬戸際の音量で 心の中は暁色に染まった(ハンブレッダーズ『DAY DREAM BEAT』より)
億千回脳内でリピート再生 好き嫌いの次元じゃなくなったミュージック 国語の試験で書いたら零点の日本語で 心の中は山吹色に染まった(ハンブレッダーズ『DAY DREAM BEAT』より)

いずれも、音楽を楽しんでいる最中の心の中を描写している。ヘッドフォンの中で音楽を楽しんでいる一番では、心の中が「暁色」に染まり、脳内で音楽を楽しんでいる二番では、「山吹色」に染まっている。濃淡でいえば、前者のほうが濃く、後者は比較的淡い。その差は、ヘッドフォンの中で音楽を再生しているときは、濃い(生音に近い)音楽を楽しめるが、脳内再生では、そこまで再現できないため、若干淡い記憶の中で音楽を楽しんでいることによって生じているのだろうか。

ただ、この解釈を是とすると、一番の冒頭に登場する「余すところなく丸暗記したミュージック」という歌詞に反してしまうことになる。丸暗記するほど音楽が好きなのであれば、脳内再生だからといって色が薄れることはないはずである。

幾千回脳内でリピート再生 余すところなく丸暗記したミュージック(ハンブレッダーズ『DAY DREAM BEAT』より)

したがって、色の濃淡に意味があると解釈するよりはむしろ、「暁色」「山吹色」をそれぞれの箇所に置いた理由を探るべきではないだろうか。一番は夕方の下校時という時間帯を、二番は特に時間帯の定めはないものの「国語の試験」からの歌詞の繋がりを意識したように思う。

「暁色」から真っ先に連想するのは夕焼けであろう。放課後、下校時にヘッドフォンをつけ、音楽を聴く。夕焼けを見ながら心の中を暁色に染めて家に帰る。その後、Bメロに移る。そのときにはもう翌日の朝を迎えている。

モラルがひどく欠如した電車を飛び降りて 生活指導の奴らの包囲網を抜けて(ハンブレッダーズ『DAY DREAM BEAT』より)

「山吹色」は、平安時代頃から文学に登場したといわれ、その描写は源氏物語にも登場する。「国語の試験で書いたら零点の日本語」は、好きな曲の歌詞を指していると思われるが、その歌詞によって心が「山吹色」に染まるというのはなんとも逆説的である。結局、主人公の好きな曲の歌詞は、試験という評価基準の一類型の範疇では「零点の日本語」かもしれないが、主人公自身の価値観に照らしてみると極めて高い文学的価値を持つということを表現したかったのではないだろうか。

中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじくおひさき見えて、うつくしげなる容貌なり。(紫式部『源氏物語』 若紫より)
億千回脳内でリピート再生 好き嫌いの次元じゃなくなったミュージック 国語の試験で書いたら零点の日本語で 心の中は山吹色に染まった(ハンブレッダーズ『DAY DREAM BEAT』より。再掲。)

補足すると、音楽を脳内でリピート再生している回数は、一番では「幾千」回である一方、「零点の日本語」に言及する二番では「億千」回である。前者は辞書にもあるれっきとした日本語であるが、後者は辞書にない。この点からも、主人公の好きな曲の歌詞が「国語の試験で書いたら零点」であることが連想できる。

2.スクールマジシャンガール(2018:アルバム『純異性交遊』より)

アルバム「純異性交遊」の2曲目(DAY DREAM BEATの次の曲)として収録されている楽曲。MVの女の子がめちゃくちゃ可愛い。

さて、スクールマジシャンガールの歌詞において明示的に色が登場するのは、二番のサビ1か所のみである。それでも、この一節は、楽曲の雰囲気を決定付けるだけインパクトを有しているように思う。二番のサビで突如、見える景色が色彩豊かな世界に早変わりしたのだ。

アイスクリーム頬張る姿が たまらなく僕の胸を焦がすんだよ JPEG画像じゃ見えない色 夏が過ぎてく音(ハンブレッダーズ『スクールマジシャンガール』より)

ここに至るまで、「黒魔術」やら「黒歴史」やら、主人公がこれでもかというほど病んでいる状況を歌詞は表していた。主人公は、「黒魔術」にかかったことによって「黒歴史」を気にしてはいられなくなり、二番のサビを迎えるまでの間に開き直ったのだろう(実際に、「黒歴史」「黒魔術」というフレーズは二番のサビ以降、登場しない)。

歌にしちゃうくらい君が好き 塗り重ね続ける黒歴史 夜は明けるし雨は止むのに 青春は終わらない 君がいつも僕にかけるのは 目を合わせるだけの黒魔術 外科でも内科でもお手上げの 極めてありふれた病(ハンブレッダーズ『スクールマジシャンガール』より)

その結果、GIFのような色数制限のないJPEGをもってしても映し出せないほどに、世界を鮮やかに感じるようになったのではないかと思う。MVの女の子の可愛さも、世界の美しさを代弁しているようで極めてぐっとくる。

3.フェイクファー(2016:シングル『フェイクファー / コントレイルは空に溶けて』より)

フェイクファーには、色彩表現3連発が登場する。志村正彦(フジファブリック)の歌詞に影響を受けていることはほぼ間違いないと思う。気になるのは、なぜこの3色を歌詞のこの部分に列挙したのか、という点である。

あぁ君の声は柑橘色 茜の色 夕方五時のチャイムみたいな切なくなる色(ハンブレッダーズ『フェイクファー』より)
赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって 何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道(フジファブリック『赤黄色の金木犀』より)
茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと(フジファブリック『茜色の夕日』より)
夕方5時のチャイムが今日はなんだか胸に響いて 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて(フジファブリック『若者のすべて』より)

正直、この3色に決定的な色彩の違いは(少なくとも私の感覚では、)見出せない。どちらかといえば、志村の歌詞に登場する色彩をハンブレッダーズ仕様にして歌詞に混ぜ込むこと自体に意味があったのではないかと思う(※)。

さらに言えば、このフェイクファーという楽曲は、(ラブソング風に仕上げてはいるものの、実際のところは)志村への思いを綴ったものなのではないか。そう解釈すれば、「君(志村)の声」を志村の歌詞に登場する色になぞらえる意味も理解できる。

こう考えると、他の部分の歌詞の辻褄も合う。例えば、主人公は志村の死後に彼の歌詞を読んで涙しているとも捉えられる部分がある。志村の生前も当然、歌詞をよく聴いていたのであろうが、亡くなってからさらに新しい解釈を発見したりしたのかもしれない。

言葉はいつも 後出しだから 涙が出るのか(ハンブレッダーズ『フェイクファー』より)

また、この楽曲がリリースされたのは、志村の死から7年が経った2016年である。7年を10年弱とくくるのは少々大雑把な気もするが、「七年くらい経った今のあなたは」としてしまうと語呂が悪いので、歌詞にするのであればやはり四捨五入して「十年」だろう。

十年くらい経った今のあなたはどんな服を着てるんだろう(ハンブレッダーズ『フェイクファー』より)

そのうえ、フェイクファーは、志村がフジファブリックの4thアルバム「CHRONICLE」のジャケット写真で被っていたものでもある。かなり印象的なジャケット写真である。

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こう考えると、フェイクファーという楽曲は、ハンブレッダーズの志村愛を歌ったものであるような気がしてならない。冒頭の歌詞は、まだ青くもない、これからというときに亡くなってしまった志村の無念、そして彼の楽曲をもっと聴きたかったというリスナーのやるせない思いを表現しているのではないだろうか。

まだ青くもない春の匂いがした君のフェイクファー 十年くらい経った今のあなたは(ハンブレッダーズ『フェイクファー』より)

4.青春協奏色(2015:会場限定)

そう思えば、デビュー前のこの曲も色をテーマにしていた。サンボマスターのパロディ?とも思いましたが、まだよくわからないのでもう少し考察したら追記します。


5.COLORS(2021:シングル『COLORS』より)

そして、今年リリースのシングルでド直球にCOLORSと来たことに驚いた。ムツムロさんに「ハンブレッダーズ屈指」と言わしめる名曲に仕上がっている。

タイトルからして色彩なのだが、当然、歌詞にも色彩が登場する。「スクールカーストの最底辺」では、自分ひとりではブルーになってしまう。でもそんな中に、パレットの色を変えてくれる人(恋人?友達?)が現れる。

ため息まじりのブルー 君がくれたレッド パレットが知らない色になる 束の間 掴む夢現 絶対離さねえぞ ボケッとしていたら見落としてしまう色々 幸せは泡沫さ 描き足していかなくちゃね(ハンブレッダーズ『COLORS』より)

幸せを描き足せるような素敵な関係性を持てる喜びを歌った楽曲。主人公は、DAY DREAM BEATの頃にはなかった社会性を持っている。ヘッドフォンの外にも、ライブハウスの外にも、宇宙を発見したようだ。

何が言いたいかというと

ムツムロさんが「17歳の自分に聞かせられるよう」作っている曲たちを聴くと、自分も高校生くらいにタイムスリップできるような気がしている。ハンブレッダーズの歌は、常に絶望の中に希望を見出してくれる。

その表現のひとつに、色彩がある。ハンブレッダーズは、色彩表現をもって世界を輝かせてくれている。

世界は崩壊しかけているけれど、まだ大丈夫。あれ?これってマジ万事休す?ってな場面こそ 減らず口 叩いていよう。

フェイクファーの考察に関する補遺

(※)ハンブレッダーズは自らの楽曲中で他の楽曲の歌詞を引用することがある。そのため、フェイクファーにおいても単にフジファブリックの歌詞を引用しただけ、という可能性は否めないことを付け加えておく。以下、参考。

二枚目気取りの秀才 あの悪党番長より 今は自分自身が憎い 話したいことはもっとあったのに(ハンブレッダーズ『席替え』より)
二枚目気どりの秀才や あのいやな悪党番長も 胸はずませ待っている どの席になるか(フィンガー5『学園天国』より)
立ち読みの小学生を怒鳴る古本屋 マッシュの意味が通じない時代錯誤な理髪店 ボサノヴァがミスマッチな 熱血指導のラーメン屋 テレビもラジオもあるけど こんな街 嫌だ(ハンブレッダーズ『都会に憧れて』より)
テレビも無エ ラジオも無エ 自動車もそれほど走って無エ ピアノも無エ バーも無エ 巡査毎日ぐーるぐる(略)俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ(吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』より)



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