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倫理観=リミッター

幸せだとアイデアが湧かないタイプなので、悲劇のヒロイン気取りがち

どうもけいちゃんです。

私が家出してから、1年と3ヶ月が経とうとしています。
家を出る前、長かった髪をショートにして、同じく1年3ヶ月経ちました。

髪を切る行為って、失恋した時もそうですけど、何かの区切りにやりたくなるんですかね
たしか美容院予約した時点ではここまで短くしようとは考えてなかったはず

文字通り実家に「後ろ髪」引かれないようにバッサリ行っちゃった感じ

家出してから母親と一度も顔を合わせていません。今年のお正月に、車の中にいる母っぽい影を見たくらいのものです。

一切の関わりを絶って本当によかったことは、「家」が本当に安らげるようになったことです。

気が休まってないと、人間は本当の健康は手に入らないなと実感しました。

いつ爆発するかわからない、寝込みを襲われるかわからない、今日は機嫌がいいかと思えば突如始まるゲリラ戦

そんな情緒不安定な母親に振り回されてた頃より、私の人生明るいです。
まじめに明るい将来を描いて、努力できる今が1番幸せ

あの母親がいると、多分私腐るんです。

母が私につけた足枷で、私自身が望む幸せは永遠に手に入らないように錯覚させられるんです。

いつまで経っても幸せになることを許してくれないので、そりゃ虚構の幸せでも、居場所を獲得しようとして、半ば自暴自棄にお付き合いしている彼の子供を身篭るくらいはやったかもしれません。

家出のきっかけになった、繰り返し言われていたあの「妊娠するな」という言葉も、
それはそれで「そう育てた」という自覚あるんじゃないの?

というのが最近私が思うことです。

まあでも正直、図星だったかもしれないんですよね。今だから言えるけど

だって本当に明るい未来が描けなかったんです。
想像もつかないので、目標もないから頑張ることも空虚

それだったら、子供を理由に早くリタイアしたい、子供を理由に家庭を持ってこんな家出てしまいたい、大切にしたい「自分の人生」がないからそれでいいや

先に述べたのは過去、本当に考えていたことです。

ここに「倫理観の欠如」が加わると、多分実行してただろうと思います。
思い止まって良かった。

道徳って難しいですよね。

健全な倫理観は自分が真に安心できる環境でしか機能しないし
道徳は、自分の存在が肯定されていることが大前提だし

何が言いたいかというと、前述の私のように
親に枷をつけられて未来の幸せを想像できない、自己を肯定できないと

倫理観というリミッターが外れて、簡単に道徳に外れた行為ができますよ。
ということなのです。

今は、大切にしたい自分の人生があるので、「それでいいや」は毛程も思わないので、
自己肯定感を育むことは社会の秩序を保つ意味でも広く知れ渡るべきだなと思います。

以上、今日はなんだか悲劇のヒロイン、けいちゃんでした。

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