非常識人−第一章・一話−

 AM6:00、iphoneの耳障りなアラームで誠也は目が覚めた。冷蔵庫からブラックの缶コーヒーを取り出し、一気に飲み干す。くたびれたシャツに袖を通し、ネクタイを締める。誰もいない部屋に一人、行ってきます、と小さく呟き家を出る。それが彼の日常だ。
 彼−倉本誠也は、大手電波通信事業の営業部に正社員として勤めるサラリーマンである。月収は額面で三十五万円。都内の郊外にて一人暮らし。独身貴族と言えば聞こえは良いが、日々何十項目と更新される本社からの通達に目を通し、新規顧客開拓と既存顧客の契約継続に日々粉骨砕身している。
 「この靴もそろそろ買い替えなきゃな…」
 踵が擦り減ったビジネス・シューズは妙に歩き心地が悪い。朝のラッシュ・アワーに飲み込まれ、会社へと足を運ぶ。通勤時間は片道約一時間。その間に本日更新された項目に目を通し、新料金プランや世代別向けのキャンペーン、近日発売予定の機種などを社用携帯電話にて確認する。時代と共に変容を続ける業種の為、この作業を怠るとそもそも仕事の土俵に立つことすらままならない。
 大学時代の彼の夢はミュージシャンだった。しかし、音楽に傾倒し一年間留年をしてしまった事、両親からの「現実を見ろ。お前は音楽で身を立てられるのか。」の言葉に返せる程の結果が伴わなかった為に渋々就職をした。
 尤も、ミュージシャンとして生計を立てられる自信も覚悟も彼には無かった事が一番の理由だった。いわゆる「需要が絶える事なく、食いっぱぐれない職業」を選んだ末に辿り着いたのが今の職場だったというだけだ。

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