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神は便利な存在ではない。

日本は八百万の神に守られた国であり、様々なご利益の神を祀る社が各地に存在します。
そのために、神とは利益や解決をもたらす便利な存在のように考えてしまう傾向もあります。

しかし、自分で努力して叶えられることを神が手助けしてしまってはその人のためにはなりません。

それがわからないために、
「神様なんて信じない!」
「神様なんて何も叶えてくれない!」
と願いを叶えてくれなかった神に対して不満をこぼす方も多いのです。

このように自分の都合が叶わないことに関して怒る人々は神とは信じるものではなくその存在を感じるものであることが分からず、なんでも叶えてくれる便利な存在ではないということが分からないのです。

私たちの命は様々な恩恵を受けて成り立っていますが、生きていることが当たり前であると思い込んでいる人はこの命への恩恵に対する感謝の気持ちがほとんどないので、知らず知らず自己中心的な考え方になっています。

そのような無自覚な自己中心的な意識は人生の中で思い通りにならないことに対しては怒りを爆発させやすく、自分の都合のために神を利用しがちなので信仰心を育てることも難しいのです。

私たちは意識を神へと近づけるために成長しようとこの世界で転生をし続けているのですから、努力をしたくないと怠けたり、楽をしようとしたり、辛いことから逃げたりすればそのツケが必ずいつかやってきます。

それをまた、神頼みで回避しようとすれば叶うはずなどありません。

このことはダスカロスが書いた「キリストのたとえ話」の中の種を蒔く人の中で物理的な「聞く耳」はあるけれども、理解するための「心の耳」を持たない人について解説しています。

どんな素晴らしい教えがあったとしても、心の耳によって意味を理解できなければ神について理解することは出来ません。

また、人生の中で起きる問題の多くは私たちがその原因を理解して取り組み、自身を成長させるために起きています。

ドラえもんに泣きつくのび太くんのように神にすがってばかりにならないようにコツコツ弛まぬ努力を重ねていきましょう。

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