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小泉花音は自重しない 花音前日譚 決意

※本編の盛大なネタバレがあります。ご注意ください。




 夜ご飯の後、園長先生に「大事な話がある」って言われた。

 新しい子がうちに来るんだって言ってた。

 花音、お姉ちゃんになるんだって! 弟ができるんだって!

 園長先生が「いいお姉ちゃんになれるかい?」って言うから、「うん!」って答えた。

 そしたら大河お兄ちゃんが「甘ったれの花音にお姉さんは無理」って言った。

 そんな事ないもん。ちゃんとお姉ちゃんになれるもん。

 花音に意地悪を言った大河お兄ちゃんは、真那お姉ちゃんと清信お兄ちゃんに怒られてた。いい気味だ。

 弟かぁ……どんな子が来るのかなぁ。

 いい子だといいなぁ。大河お兄ちゃんみたいに意地悪だったらちょっと嫌だなぁ。

 でも花音、お姉ちゃんだから。弟がちょっと意地悪な子でも、良いお姉ちゃんになるんだ。

 大事な宝物の、ぬいぐるみのにゃんたろうも貸してあげるんだ。


   ◇ ◇ ◇


 弟が来た。えむでーし? の人と一緒だった。

 玲紀くん、って言うんだって。でも言いにくいかられー君って呼ぶことにした。

 ちょっとおとなしい子だけど、つんつんの髪とまんまるの目がとっても可愛い子。

 最初は清信お兄ちゃんと三人でおままごとで遊ぼうと思ったけど、れー君おままごと知らないって言うから、三輪車に乗せてあげた。初めは驚いてたけど、でもすぐ笑うようになった。楽しかったみたい。

 その後は園長先生が作ってくれたおやつを食べて、一緒にクレヨンでお絵かきをした。れー君はあんましお絵かきが上手じゃなかった。これは花音が教えてあげないと! お姉ちゃんだから!

 寝る頃にれー君が泣いたから、ちょっと嫌だったけど、にゃんたろうを貸してあげた。そしたら泣き止んだ。

 でもにゃんたろうは花音の宝物だから、なんだか悲しくなって泣きたくなった。そしたら大河お兄ちゃんが「いいお姉ちゃんだな」って頭を撫でてくれた。

 その後は、れー君と真那お姉ちゃんと三人で寝た。

 明日はれー君におままごとを教えてあげよう。


   ◇ ◇ ◇


 今日はれー君がうちに来てちょうど一年だ。

 お祝いに、園長先生と真那お姉ちゃんがはりきって大きなケーキを作った。

 私もお姉ちゃんだからかんばってお手伝いした。ちょっと失敗もしちゃったけど……

 夜ご飯の時にケーキを出したら、れー君はとっても喜んでた。私がちょっと失敗して形が変になったところも、とっても美味しいって食べてくれた。お手伝いして良かった!

 最近は私が学校に通い始めてれー君と遊ぶ時間減っちゃったから、お姉ちゃんらしいことをできて良かった。

 れー君がとっても美味しそうにケーキを食べるから、私のケーキを半分あげた。そしたら嬉しそうに「花音お姉ちゃん、ありがとう」って言うの。れー君可愛い!

 半分になったケーキをちょっとずつ食べてたら、真那お姉ちゃんと清信お兄ちゃんが自分の分の苺を私にくれた。

 れー君笑ってるし、ケーキは美味しいし、苺は三個。嬉しいな。

 大河お兄ちゃんはケーキを喉につまらせてむせてた。


   ◇ ◇ ◇


 学校の帰り、近所の子にいじめられた。

 たまにある。なれてる。

 でも今日は、なんでかいつもより悲しくて、大声で泣いてしまった。

 それが良くなかった。

 いつもより帰りが遅い私を探しに来たれー君に、泣いているところを見られてしまった。

 れー君は、私を泣かせたいじめっ子を見て怒った。

 れー君はまだ一年生なのに、六年生のいじめっ子をあっという間にやっつけた。

 当然だ。きっと私にだってできた。

 いじめっ子は普通の子で、私たちは特異体だから。普通の子とは違う、本気になったらいけない子だから。

 だからいつも園長先生に言われている。普通の子が私たちをいじめるのは、私たちが怖いからだって。にこにこしていれば、いつかいじめられることもなくなるって。私たちは強いからその分我慢しなきゃならないんだって。

 れー君はいい子だから、普通の子相手にはもちろん、うちでだって怒った事はない。いつもにこにこしてて、とっても優しい子だ。

 そのれー君が、泣いてる私を見て、怒った。

 絶対に使ったらいけないって言われている『異能』を使って、いじめっ子をやっつけた。

 いじめっ子はわんわんと泣いていた。

 血がいっぱい出ていた。手が変な方に曲がっていた。

 絶対に怒られる。我慢しなきゃならないのに、絶対に使ったら駄目だったのに。

 私のせいで、れー君はきっと怒られる。園長先生にも、学校の先生にも、いろんな大人の人からたくさん怒られる。

 私はごめんねってれー君に謝った。一生懸命謝った。

 れー君は困った顔で、「帰ろう」って言った。

 私はきっと、今日っていう日を忘れない。



 ずっと忘れない。



   ◇ ◇ ◇

 私のせいで、れー君はエムデイシーの人に連れて行かれてしまった。

 家に帰って園長先生に話しても、園長先生は怒らなかった。でも、怖い顔で色んな所に電話をしていた。

 でも怒られなかったから、そのままみんなで夜ご飯を食べた。真那お姉ちゃんも、清信お兄ちゃんも、大河お兄ちゃんもあんまりしゃべらなかった。

 寝る前に、エムデイシーの人がたくさん来た。お巡りさんも、ハウンドドッグの兵隊さんもたくさんいた。

 清信お兄ちゃんと大河お兄ちゃんは、エムデイシーの人たちを追い返そうとしてた。いつも優しくて大人しい真那お姉ちゃんも、一緒になって追い返そうとしてた。

 私は怖くて、れー君を出きしめて震えてた。

 兵隊さんたちは強くて、清信お兄ちゃんも大河お兄ちゃんも真那お姉ちゃんも、あっという間に押さえつけれた。

 エムデイシーの人がれー君を連れて行こうとするから、私はれー君を離さなかった。力いっぱい抱きしめた。

 けど、れー君が「痛い」って言うから、ちょっとだけ力を抜いた。そしたられー君は私を振りほどいて、エムデイシーの人について行っちゃった。

 私が困らせたから、私の事が嫌いになっちゃったのかな。

 真那お姉ちゃんと清信お兄ちゃんは泣いていた。二人とケンカしても負けない大河お兄ちゃんも泣いてた。園長先生は、エムデイシーの人に何度も頭を下げていた。

 私は泣きながらお願いした。

 もっといい子になるからと。真那お姉ちゃんのお手伝いもするし、清信お兄ちゃんの言うことも聞くし、大河お兄ちゃんとケンカもしないと。

 だかられー君を連れて行かないでと、泣きながらお願いした。

 れー君は、そんな私を困った顔で見ていた。れー君にも行かないでとお願いした。

 れー君はちょっと迷ったみたいだったけど、エムデイシーの人に手を引かれ、お巡りさんと兵隊さんに囲まれて、そのまま連れて行かれた。

 全部、私のせいだ。

   ◇ ◇ ◇

 私はなんて駄目な姉なんだろう。

 あれから五年。私は中二になった。

 彼は二つ下だから、ここにいれば小六。他の子と一緒に小学校に通っていただろう。

 けれど、彼は私のせいで危険性帯有特異体監督署に収容された。

 少年院みたいなものだと園長先生から聞いた。犯罪者一歩手前の危険な特異体が管理される施設だと。

 あんなに優しい子が、私のせいで、一度きりの少年時代をそんな場所で過ごしている。

 私は大馬鹿野郎だ。

 できることならあの日に戻って、たかがいじめっ子に誹られたぐらいで大泣きした私をひっぱたいてやりたい。

 あんたのせいで、彼はもっと大変な目に遭うんだと、小三の私をひっぱたいてやりたい。


   ◇ ◇ ◇


 進路に悩んでいた高二の夏。

 第一希望はMDCだ。MDCのキャリアになって、その権限で、彼に会う。

 けれどそのためには相当な難関大を卒業しなくてなはらない。

 私の学力で届くのか、危ういところだ。ならいっそハウンドドッグになって、そっちからアプローチをするべきか。

 そんな事を考えていたある日、園長先生から呼び出された。

 他の子たちが寝静まったあとで、私は園長室を訪ねた。そこで園長先生から言われた事は、彼の現在についてだった。

 外部と一切連絡の取れない監督署だが、園長先生は保護者権限で三ヶ月に一度、手紙をやり取りしていたらしい。

 差し出されたのは、直近の手紙。

 それを読んで、私は泣いた。それはもう盛大に泣いた。

 彼は監督署に収容されて間もなく、MDCから持ちかけられた司法取引に応じ、育成機関を経てハウンドドッグになっていたらしい。園長先生が言うには、小六の頃にはもう非常勤バスターとして活動していたそうだ。

 そして手紙には、ハウンドドッグを除隊し、ストレイドッグとしてこの街に戻ってきたという事が記されていた。

 よかった。よかった……

 バスターは危険な仕事だ。それはわかっている。

 だけど、監督署で自由を謳歌することもなく一生を終えるような事にならなくて、本当によかったと思う。

 でも。

 私を一番泣かせたのは、手紙の最後に記された文字。

 ――花音は元気にしているか。

 彼は、優しいままだった。

 大声で泣いたせいで、妹や弟たちが起きてきた。

 その日は涙が止まらなくて、事情を知らない妹や弟たちに慰められながら寝た。


 次の日の朝、園長先生からレターボックスを渡された。

 中身は、今までの彼からの手紙。私は学校を休んで、その手紙を読みふけった。

 手紙には、彼の成長が刻まれていた。

 監督署の生活が辛いこと。

 お姉ちゃん――私だ――に会いたいこと。

 彼自身の大きな力を御するため、二週に一度、剣を教えてくれる先生ができたこと。

 彼の強力な能力がMDCの目に止まり、政治取引を持ちかけられたこと。

 ハウンドドッグ育成機関に移ったこと。

 育成機関で、少し歳の離れたお兄ちゃんっぽい友達ができたこと。

 小学校を卒業し、非常勤バスターから、正バスターになったこと。

 ハウンドドッグは激務で大変な仕事だけど、むしろ育成機関での訓練より楽だということ。

 一定の評価を得て、ハウンドドッグからストレイドッグへの転身を許されたこと。

 私は、涙を零しながら夢中になって読んだ。

 何より私を泣かせたのは、その手紙の全てに私を気遣う文章があったことだ。

 二年前くらいの手紙から、私を指す言葉が花音お姉ちゃんから花音に変わっていた。

 二年前だと、彼は十三歳か。

 ふふ。思春期だもんね。花音お姉ちゃんって書くのは恥ずかしかったのかな?

 手紙の文章も、歳を重ねるにつれぶっきらぼうな感じになっていた。

 そんなでも、私の事は気にしてくれて、絶対に名前は入っていた。


 嬉しいな……


 手紙から、彼が相当な苦労を重ねてきたことを察することができた。

 そして、その彼は今、手が届くところにいる。

 連絡が一切取れない危険性帯有特異体監督署ではない。

 激務のハウンドドッグの宿舎でもない。

 この街にいる。

 何度も何度も読み返していくうちに、私の決意はだんだんと固まっていた。


   ◇ ◇ ◇


 三日後。

 高校に退学届を出した、その日の夜。私は園長先生に呼び出されて、こっぴどく叱られた。

 わがままを言っているのはわかっている。

 でも。

 ……でも!

 私は自分の気持ちを訴えた。

 いつか何かの役に立てばと、アルバイトで貯めていた貯金もある。

 一晩かかって説得して、最後には園長先生も許してくれた。

 アパートの保証人にもなってくれると言ってくれた。

 園長先生、ありがとう。

 両親を知らない私の、たった一人のお父さん。

 こんな馬鹿な娘によくしてくれて、ほんとうにありがとう。


   ◇ ◇ ◇


 こいずみ園を出る日、妹たち、弟たちは泣いて私の足元にすがった。

 勝手なお姉ちゃんでごめんね。

 妹の一人が、「花音お姉ちゃんの服で勝手にお姫様ごっこしてごめんなさい」と泣いた。

 いいよ。許したげる。もう少し大きくなって手足が伸びたら、どんな男の子だってメロメロになる素敵なお洋服を買ってあげるからね。

 弟の一人が、「だまってにゃんたろうを砂場に連れてってごめんなさい」と泣いた。

 ははは、こやつめ。私の宝物になんてことを。通りで時々砂っぽかったわけだ。洗うの大変だったんだぞ。

 でも、それも許したげる。にゃん太郎は置いていくから、君がしっかり面倒見るんだぞ。

 それでも泣き止まない妹たち、弟たちに、私は彼のことを少しだけ話した。

 私には君たちの知らない弟がいること。

 君たちにはまだ知らないお兄さんがいること。

 私のせいで、とっても苦労してること。

 それでもがんばってること。

 滔々と話して聞かせると、みんな最後には「花音お姉ちゃんがお兄ちゃんを助けてあげて」と言ってくれた。

 優しい子たちだ。

 再会を約束して、私はこいずみ園を出た。

 同じ街にいるのだ。今生の別れなんかじゃない。

 それでも、私もちょっとだけ泣きそうになった。


   ◇ ◇ ◇


 荷物をアパートに置いた私は、住所が書かれた彼の手紙を握りしめ、彼の部屋を訪ねた。

 彼のマンションは、とても十五歳の少年が自力で借りられるような部屋じゃなかった。

 ハウンドドッグの育成機関は、少額ながらお給料が出ると聞いた。その上、日本一危険な職業を三年勤めたのだ。手紙によれば、彼は監督署に収容されたその年にはもう育成機関に移っている。十五歳にしてすでに九年も働いている計算だ。

 がんばったんだな……大変だっただろうな……

 溢れそうになる涙をこらえて、笑顔を作る。

 暗い顔をしてる私に、彼の側にいる資格はない。彼が心配してくれた私の、笑顔を見せるために来たのだ。笑顔で居続けるために来たのだ。

 自分がした事が間違いではなかったと。一人の女を、きちんと救ったのだと。

 それを伝えるために、ここに来たのだ。

 そして願わくば、彼の心を少しでも軽くしてあげたい。

 彼の失われた時間……司法取引によって、選べなくなった未来。それらはもう取り戻せないけれど、それでも、彼が少しでも多くの選択をできるように。

 ……違う。そんなの、綺麗事だ。

 私が、私が彼の側にいたくて、ここに来たのだ。

 笑顔を作り直して、インターフォンを押す。

 ややあって、

『どちらさん? セールスならお断りだけど?』

 そんな、少年の声。

 私は黙って、カメラに向かって笑いかける。しばらくして――

『……花音、か……?』

 たった一言。その一言で満たされた。

 はじめて花音お姉ちゃんと呼ばれた時も、こんな想いを抱いた気がする。

 血の繋がらない弟。きっと私は初めて彼に会った時、もう恋に落ちていたのだろう。

 ……私は馬鹿だ。一緒にいれば、きっと彼を困らせる。

 だったら、もっと馬鹿になろう。そしてたくさん笑ってもらおう。

 それが、仮初のものでもいい。

 今は仮初の笑顔でも、いつか彼が心の底から笑えるように、たくさん努力しよう。

 彼が、あの日からずっと、一人で耐えてきたように。

 おんなじくらい、私もがんばろう。

 私は、大きく息を吸って――



  小泉花音は自重しない 美少女助手の甘デレ事情と現代異能事件録に続く

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