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小泉花音は自重しない 前日譚 The day of becoming the sword emperor 後編

 女は住良木では水流操作者(アクアキネシスト)に勝てないと言った。凍結能力者(クリオキネシスト)と知ってのことだ。
 俺はそうは思わない。住良木の火力――凍力と言い換えても良いが、ともかく能力強度は尋常ではない。締め切った部屋をものの数秒で氷点下に冷やしてしまう氷霧、空気中の水分を凍結させ、それらを操って攻撃する氷雨、短機関銃の斉射をものともしない氷盾に、青白い炎のように見える凍結エネルギーを操る氷炎。《氷の魔術士(アイスマン)》の異名は伊達じゃない。水流操作者(アクアキネシスト)が操る水もたちまち凍結させてしまうだろう。
 登場の仕方からしてあの水流操作者(アクアキネシスト)と思われる相手がこいつらの最大戦力のようだが、程なく住良木がどうにかするだろう。あとは俺がこいつを無力化するだけだ。
 召喚する武器は何がいい――ヤグルシか、ブリューナクか。ともかく、高威力で速やかに無力化できる神性が望ましい。
 あたりをつけて、身を捩りながら踏み出す。発砲音。銃弾が頭の脇を抜けていく。
 宙空に伸ばした手の先で光の奔流が剣の形になる。その柄を握ろうとし――
 ――途端、俺はその場で激しく転倒した。顔を床に強打する。ヘルメットのお陰で痛みはないが、衝撃は半端なく目から火花がでたようだ――おまけに集中を乱したせいで能力は途切れ、召喚しかけていた剣が霧散する。
 何が起きた――躓くようなものはなかったはずだ!
 咄嗟に足下を確認し――ぎょっとした。床から生えた腕が俺の足首を握っている!
「な――」
 驚いて呻く。同時に腕は何事もなかったように消え失せた。
「そのびびってる顔可愛いなぁ、抱きしめたい!」
 起き上がろうとした瞬間、床についた手の横でリノリウムが弾けた。
「あーもう、私の下手くそ!」
 なおも女の射撃は続く。跳ね上がるように起きて、崩れた天井の瓦礫の裏に滑り込む。
「かくれんぼがしたいのかな? 私はプロレスごっこの方が好きだなー」
 ――くそ、言ってろ!
 あの天井から生えた手に、床から生えた手。限定された空間に手を生やして操る能力なのか? ということは――
 ばっとその場所から転がって離脱する。俺が背中を預けていた瓦礫から、俺の首根っこを掴むように手が生えていた。それを確認した瞬間、その手がかき消える。
「久しぶり! また会えてうれしいよ!」
 防戦一方の俺に皮肉を言いながら女が銃を構える。
「キミは能力使わないのかな? 使っていいんだよ、ウワサの剣召喚……使えるなら、ね」
 ――舐めやがって、上等だ!
 俺は大きく飛び退って、空中で武器を召喚する。呼び出したのは本日二度目のグングニル。高火力・遠距離攻撃可能な必殺手の一つだ。手が生えた場所は天井に床、瓦礫――空中から生やせるもんなら――
「――生やしてみろ。そんな顔だね?」
 召喚したグングニルを担いだ所で、女が舌で唇を舐めて言った。
 その自信に満ちた表情にぞくりとした――いや、ここからなら俺の方が早い!
 担いだグングニルを女に向けて投擲する。戦争と死の神オーディンの愛槍だ。神性を解放したグングニルはどんなものも貫き、持ち主の手に戻る。たった一人の能力者が素手で防げるようなものではない。
 放たれたグングニルは超高速で女を穿たんと迫る。
「わお、これは食らったら死んじゃうかも!」
 しかし女はまるで表情を変えず――むしろ楽しげに、
「だから、自分で食らってね」
 笑った。グングニルの穂先はそのまま女を貫――かずに、女の体に沈み込むように埋まっていく。同時に口元から――まるで腹で呑み込んだ槍を口から吐き出すように穂先が現れた。
「な――」
 目を瞠る。柄まで埋まった槍は投げつけた勢いそのまま口元から現れて一直線に俺に向かってきた。
「くうっ――」
 回避しようと体を捻るが、全力で投擲した後だ、姿勢が悪い――直撃こそ避けたものの、グングニルは俺の左肩を掠めて後方へ突き抜けていった。
「――っ!」
 激しい痛み――たたらを踏んで転倒を拒否する。肩を見るまでもない。どくどくと流れる血と疼痛。軽くはない裂傷だ。痛む肩に顔が引きつるのを自覚しながら、グングニルを手元に引き戻して砕く。こいつを現出させたままでは次の手が打てない。
 しかし、掠めただけでこのダメージか……我ながらすごい威力だ。
 そんなことより――今の現象はなんだ? 奴の異能は物質から手を生やす能力じゃないのか? まさか別種の能力を使っている?
 いや――そんなことはないはずだ。複数の異能に見えても、それは一つの能力が元になっているはずだ。能力をダウングレードして別種の力のように扱うことは理論上可能だと聞いたことがある。つまり奴の異能は壁や物から手を生やせて、かつ投げつけた槍を腹で呑んで口から吐き出せる能力だ。
 ――なんだ、そのトンデモ異能は!
「わけがわからないって顔してるよ。お姉さん、オトコノコのそういう顔を見るの大好き!」
 冗談じゃない。バスターとしてこんな舐めた相手にやられるわけにはいかない。考えろ、考えろ――
「今度はこっちから行くよ!」
 女は銃を構え直して発砲する。直前に床を蹴って初撃を躱し、そのまま特攻する。グングニルに肩を裂かれたときに短機関銃は手放してしまった。腰の後ろのホルスターにはグロックもあるが、相対している奴はまだ気づいていないはず。できれば温存したい。
 追ってくる銃口――射線から逃れつつ、迫る。左肩が痛むが、動かせないわけじゃない。遠い間合いから投げた槍は異能で返された。接近戦ならどうだ!
「いいねー、お姉さんといいことしようか!」
 手が届く距離まで詰めると、女はあっさりと短機関銃を捨てて身構えた。随分武器離れがいい――戦い慣れてやがるな。だからと言って負けるわけにはいかない。
 抉るようにボディを打つ。体を切って避けた女はその動きに合わせて膝を突き上げてきた。それを敢えて食らう――肋骨が軋み、内臓が悲鳴を上げる――が、取った。俺の腹を蹴り上げた膝を抱え、そのまま無事な右肩で女の胸を打つ。片足で堪えようのない女は背中から床に倒れた。
 体を預けたままだった俺は、そのまま女に馬乗りになる。
「いやん、お姉さん悪戯されちゃう……いいよいいよー。ウェルカム!」
「ふざけるのもいい加減にしろよ――終わりだ」
 存外あっけなかったが、マウントを取れた。異能を使われる前に無力化する!
 未だ余裕の表情を見せる女の首に手をかける。この女は危険だ。気絶させる余裕はない。首を折って殺――
「はい、降参降参! 殺されるのは無理!」
 首に手をかけたところで、女が体から力を抜いて万歳をした。なんだと?
「……今更通るかよ」
 至近距離で睨みつけ、告げる。
「公務執行妨害に、異能の不正使用――この場で処分されても文句は言えない罪状だ」
「いやほんとに! 勝てると思ったんだよー。謝るからさー。ごめんなさい! 私の異能も教えるからさー。ね、私の手を見て、手」
「手?」
 至近距離で視界の外に出ていた、万歳したままの彼女の手に視線を向ける。
 女の右腕――その肘から先が輪切りにされたように消えていた。
 もう何度目か――驚いて一瞬硬直してしまう。その瞬間、背後から首を絞められた。
「なに――」
 マズイ、後ろからだから呼吸はできるが、頸動脈が絞められている。このままでは数秒で失神させられてしまう!
 首筋に食い込む指を引き剥がそうとするが、叶わない。咄嗟にホルスターからグロックを抜いて女の額に突きつけた。引き金を絞る。
「それは無理!」
 慌てて首を捻る女。同時に絞められていた首が解放される。しかし頸動脈を押さえられていたせいで女の拘束が甘くなった。マウントを返されてしまう。
「もう一丁持ってたのかー……危なかったぁ」
 俺の胴に跨がって呟く女。こめかみの辺りから血が滲み、俺の顔に垂れる。弾丸を完全には避けられなかったらしい。
「痛っ……乙女の顔に銃創こさえるなんて何考えてるんだ、キミは」
 どさくさに紛れて俺の手から奪ったグロックを突きつけながら、女は垂れる血を拭う。消えていたはずの右手で。
 ようやく合点がいった。
「超能力系時空型空間移動亜種、空間歪曲」
「……そう、よくできました」
 にこっと笑う女。
「目の前で見せられちゃな」
 空間歪曲――空間移動(テレポート)の亜種で、自分や物質を転移させることはできないが、三次元的に二つの非連続的な空間を連結させる異能だ。数字で考えるとわかりやすい。1の次は2で、3、4と続くのが正常に連続した空間だとしたら、1に連続する2以降をねじ曲げて5に連結してしまう。これを三次元の空間で可能にする力。
「っていうか、知ってるんだ、この能力。すっごいレアだと思ってたんだけど」
「直に目にするのは初めてだ――だが訓練時代にレポートを見たことがある。限定的な状況では無類の強さを発揮する能力だな」
 実際やり合ってみて恐ろしい力だと確認した。天井や床から手が生えたのは単にそう見せかけるためにそこに空間を連結、グングニルは腹付近の空間を反転させて口元に連結させたのだ。
 千種姉が照明をつけたあと、瓦礫の時はともかく、飛びかかって転倒させられた時はきちんと観察していれば奴の手の先が消えていることに気づいただろう。
 こちらの銃撃をグングニルのように能力を使って反撃をしなかったのは、俺の不意を突いて大技を返して一撃で仕留めようと考えたのかもしれない。
「そうだよー。こんなこともできちゃうんだ」
 女は言って握りしめた拳を真上に向かって振り上げた。拳の先端がある一点から消えていき――俺の左肩の真上に現れた。身構えることさえできず傷口を殴られる。
「ぐっ――」
「ってわけでね、キミの異能を正面から防ぐことはできないけど、先んじて無効化するには十分ってわけ。攻撃もこの通り。さて、キミに勝ち目があるかな?」
 なるほど、この女の余裕な態度にも納得だ。異能に絶対の自信があるらしい。
 実際、強い。一体一で限られた空間での戦闘なら、無類の強さを発揮するタイプだ。
 ――だが、ネタが割れてしまえばやりようがある。
「空間歪曲は悪用されたら恐ろしい力だと仲間と話したよ。敵に回したくないともな」
「んふ、でしょう? どうする? 今からでもお姉さんに可愛がって欲しい? ごめんなさいしてハウンドドッグ潰す手伝いしてくれたら考えてあげても良いよ。私を痛くしたのも許してあげる」
「どうする、か――」
 そんなものは決まっている。
「こうする」
 女の死角で武器を召喚する。インド神話を背景に持つ、金剛杵――現代には法具として伝わる物だが、刃のついた立派な武器だ。円筒状の握りの両端に、槍の穂先のような刃がついている――独鈷杵と呼ばれるタイプのもので、銘はヴァジュラ――仙人の背骨から作られたと伝わる、雷神インドラの武器。
 そのヴァジュラを召喚した途端、握った手首を踏みつけられる。俺に馬乗りになった女の足下は見えないが、おそらく足首から先の空間を歪曲させているのだろう。
 女はチラリと俺の手元に視線を送り――
「近接武器? それとも投げる系の奴かな? 無駄だって」
「そうでもない」
 呟いて、指の力だけでヴァジュラを宙に放る。狙いをつけた訳じゃないし、女に投げつけた訳でもない。ただ手放しただけ。
 それだけで、ヴァジュラは激しく明滅しその形を変えた。伝説通りなら骨でできたそれは、迸る稲妻となって辺り一帯を駆け巡る。
「がはっ――」
「っ――」
 稲妻が女と俺の体を貫いた。灼けるような痛みが全身を叩く。ヴァジュラはその存在力の全てで神性を解放し、俺たちを灼いた。
 ――そして永遠とも思える苦痛が和らいだ頃、全身から力が抜けて脱力した女がどさりと俺の体に覆い被さる。
「どこから攻撃がくるかわからなきゃ、防ぎようがないだろう?」
「……自爆かよぉ……」
 女が起き上がろうとする。が、体に力が入らないようだ。当然だ、気を失っていないだけでも大したもんだ。
 そいつを押し退けて――こちらのダメージも少なくない、かなり億劫だった――起き上がって告げる。
「無駄だ。二日三日は動けないだろうよ。全身の筋繊維がズタズタになっている筈だ。ショックで死ななかっただけ運があったと思いな」
「……なんで、キミは平気なのさ……」
「こいつで犯罪者ごと灼かれるのは三度目だからな」
 立ち上がり、全身をチェックする。決して軽くないダメージだが、動けないほどではない。
「……いや、まいったよ、本当に……ねえ、私って捕まったら死刑かなぁ?」
「たぶんな。ハウンドドッグの俺相手にこれだけ暴れただけでも致命的だ。余罪があれば決定的だろうな」
 この手の組織に属していて余罪がない、ということはないだろう。そしてハウンドドッグの取り調べに偽装はできない。
「……死ぬのは嫌だな。ねえ、なんでもするから私を連れて逃げてよ」
 床に伏せたまま、女が言う。
「……今までそうやって命乞いをした相手を見逃してやったことはあるか?」
「ないよ……」
「だったらお前もそれなりの覚悟をしろよ。自分がしなかったことを他人に求めるな」
「だってさ、この世界じゃ力が全てじゃん……悪い大人に利用されて――自分で考えられるようになったらさ、そりゃ好きなように生きたいじゃん……」
「あいつに似た顔でくだらねえことをべらべらと――もう黙れ。取り合うつもりはない。法に裁かれろ」
「あいつ? ……あー。もしかしてキミ、私に似てる人が好きなんだ? じゃあ私があいつさんの代わりにキミのものになってあげるからさ……」
 それ以上聞きたくなかった。しゃがんで伏したままの女の首に手を添える。
 頸動脈を絞めて数秒――女は気を失った。

   ◇ ◇ ◇

 思った以上に苦戦したが、まだ作戦は終わっていない。住良木たちと合流しなければ。
 廊下を埋める瓦礫に目を向ける。これをどうにかしなきゃならないのか……グングニルの全力の一撃ならこの瓦礫を吹き飛ばせるだろうが、向こう側で住良木たちが撤去作業をしていればまるごと吹き飛ばしてしまう。残念ながらヴァジュラの稲妻で通信機がおしゃかだ。連絡が取れないので迂闊なことはできない。
 別の通路を探すか……? いや、面倒だ。この廊下の左右どちらかの壁を破壊して、部屋の中から向こう側へ繋がりそうな壁を壊した方が早いな。
 ヴァジュラのダメージで思考を巡らせることさえ重労働だ。深く考えずに壁を壊せそうなハンマーをイメージする。
 そして召喚しようとしたその時、脇の瓦礫の山が爆散した。礫とともに、嵐のような水しぶきが全身を叩く。
 その奥から、床に僅かに残った瓦礫を踏み越えて現れる男――ハウンドドッグのコンバットジャケットを身につけていないことから、一目で仲間でないことがわかる。
「――あ? てめえがいるってことは、桂里奈が負けたのかよ? だりぃ、俺以外全滅じゃねえか……」
 金髪の男が俺を見てそう口にする。声に憶えがあった。女のスマホから聞こえてきた声だ。
 こいつがこうして俺の目の前にいるってことは、住良木が負けたのか?
「玲紀……逃げろ。そいつは半端じゃない……」
 金髪の男の向こうに、地面に倒れている住良木の姿が見えた。もう一人いる――千種姉か。さらに奥の階段は瓦礫で埋まっていた。あれじゃ後続の援護も望めないし退路もない。
 しかし――
「いや、逃がさないよ? ハウンドドッグの《剣使い(ソードマン)》――桂里奈が《氷の魔術士》は自信ないっつーから俺がこっちの相手して譲ったけど、俺もお前に興味あんだよね」
 男が因縁をつけるように俺に言う。背は高いが、体格は普通の青年だ。まあ、特異体の運動能力に見かけの体格はまったく関係ないが。
 犯罪者というよりチンピラと言った風体の男だ。こんな小物感満載の奴に住良木と千種姉のコンビが負けたのか? 階段が瓦礫で埋まっているのは先の天井崩しと同じくなにか工夫があるんだろうが、それにしたって強者には見えない。
「よお、聞いてるのかよ、《剣使い(ソードマン)》――なあ、桂里奈は死んだか?」
 桂里奈とは、尋ねるまでもなく先の女のことだろう。顎で示して告げる。
「……向こうで寝てるよ。後でハウンドドッグが捕縛して連行する」
「――は、そいつは無理だな。ここに来てるバスターは全員俺が片付けるからよ」
 自分が最強と思い上がる特異犯罪者はいくらでもいるが、ここまであからさまで頭の悪そうな奴は久しぶりに見た。溜息の一つもつきたいところだが、住良木がこの男に床を舐めさせられているのは事実だ。何かあるのだろう。
 男がにへらっと笑い、口を開く。
「俺さぁ、自分が強いって奴を負かしてやるのが大好きなんだわ。金とか地位とかどうでもよくてさ」
「逃げろ――口だけじゃないぞ、そいつは」
 男がこれだけ隙を晒しているのに、住良木は能力で攻撃をしかけないどころか、俺に逃げろと言うばかりだ。異能が使えなくなるほど痛めつけられたのか……千種姉に至っては、気を失っているのかピクリとも動かない。血だまりも見える――あの出血なら、急いで手当てすれば死には至らないだろう。
 ――少し待ってろよ。俺が代わりにこいつに礼をしてやるから。
「お――目つきが変わったな、《剣使い(ソードマン)》」
「そいつは水流操作者(アクアキネシスト)じゃないぞ、気をつけろ……!」
 水流操作者(アクアキネシスト)じゃない?
 住良木の言葉にとある予感がよぎる。男はにやりと笑って宙空に手を伸ばした。そこに生まれたそれを掴み、試し切りでもするように空を薙ぐ。
 男が掴んだそれは、剣だった。なんと言えばいいか――ただの剣ではない。無重力空間に漂う水が集まり、剣の形を模したもの――そんなようなものだ。
「……水素制御か」
「知ってるか、さすがだな」
 男がひゅうと口笛を吹く。なるほど納得だ。住良木じゃ手も足も出なかっただろう。
 超能力系元素型水流操作亜種・水素制御。亜種とは言うが、水流操作(アクアキネシス)の完全上位互換と言える異能だ。
 水流を操作――つまり水源を必要とする水流操作(アクアキネシス)と違い、空気中の水素をも制御する異能。こうして水素を物質化して操ることは勿論、住良木の異能も突き詰めれば水素を要する。察するに氷霧や氷雨、氷盾や氷炎のコントロールを全て奪われたのだろう。
「俺はレイドの《剣使い(ソードマン)》って呼ばれててなぁ……同じ《剣使い(ソードマン)》として噂になってるお前とは一度殺し合いたいと思ってたんだよ」
 レイド――こいつらの組織の名前か。こうして自ら情報をくれるあたり、いかにも小物だ。
「出せよ、剣。勝負しようぜ」
 ……こんな馬鹿が組織のトップクラスなのか? 組織としてあまりにもお粗末じゃないか。そういや殺しの仕事を請け負う組織だって話だったな。住良木と千種姉をKOしてることから、実力は本物と言える。道を踏み外すほど枠から外れた戦闘狂の類いか……
 ……しかし。
 俺は無言で剣を召喚した。
「行くぜぇ!」
 男が踏み出して肉薄してくる。鋭い――やはり腕は悪くないようだ。
 振り下ろされる水の剣を、呼び出した剣で受け止める。
 男が目を見開いた。
「なんだ、その剣――なんで俺の剣を止められる?」
 何を馬鹿なことを――と思ったが、俺の剣が受け止めた奴の剣を見て気づく。刀身にあたる部分がまるでチェーンソーの様に高速で流れていた。細かい飛沫が飛んでいるのも見える。なるほど――工業用のウォーターカッターは金属も断つと聞いたことがある。こいつはそれをこの水の剣に応用しているらしい。
 おまけにこいつは異能の剣。住良木さえ抑え込む能力強度とこの原理で異能も金属も豆腐のように斬り伏せてきたのだろう。
 しかし今回ばかりは相手が悪かったとしか言えない。
 俺は防御の為に掲げた剣を振り抜いた。水の剣はパシャリと音を立てて霧散する。
「なんだと――」
 言ったのは住良木だ。男は信じられないといった表情で空になった自分の手を呆然と眺めている。
 住良木もこの剣を知らない。ほとんどの場合水流操作者(アクアキネシスト)は住良木の凍結能力(クリオキネシス)で完封できるため、俺の出番がなかったからだ。
 住良木と千種姉の借りを返すため、ありったけの力を込めて男の顔面を殴りつけた。確かな手応え――顎を砕いたはずだ。首もただじゃ済まないだろう。
 無防備だった男は宙に舞い――床に叩きつけられる。そしてそのまま動かなくなった。
「……なんだ、その剣は」
 存在力が残った剣を砕いて光の泡に変えると、住良木が呻きながら尋ねてくる。
「あがないの剣――モーセって知ってるだろ?」
「聖書に登場する予言者だったか」
「それ。こいつはモーセの剣だよ。モーセの有名なエピソードに海を割った逸話があるだろ?」
「……なるほど、そういうことか」
 クルディスタン地方に伝わる伝承にこの剣が登場する。モーセの剣と伝わるこのあがないの剣には彼のエピソードがそのまま神性として宿っているのだ。他にもモーセは幼少の頃、母親の手によって危険から逃れるためナイル川に流された逸話がある。水に因縁のある男だ。
 そしてこのあがないの剣の威力は水の形をしたものならなんでもこの通り。
「奴が水素を制御できるなら、水素爆発とかで攻撃すれば良かったんだ。自分の力を過信して相手をねじ伏せることに執着しなけりゃ、もっと苦戦しただろうけど」
 俺は今の剣召喚でいよいよ力を使い果たし、話しながらその場にへたり込む。
「この状況で新手が出てこないってことは、これで終わりだろ……住良木、報告頼む」
「こちらも満身創痍だぞ……」
 体が痛むのだろう。顔をしかめながらゆっくりと起き上がった住良木が言う。
「向こうの相手が強くってさ。ヴァジュラで自爆して巻きこんだ。通信機が壊れてんだよ」
「――あれを使ったのか。よくそんな状態でこの男に勝ったな……」
「ノルマ、クリアしたんだぜ。負けて死ぬとか最高に間抜けだろ……千種姉は?」
「負傷して気を失っている。命に別状はないはずだ」
 俺の問いに答えながら、住良木が通信機を操作する。
「HQ――こちら223―1。状況終了――223は全員負傷。救援を頼む」
 住良木が言う。俺は通信機が壊れているので受信できないが、住良木は『HQ了解。状況の詳細を報告せよ』とか、そんな返事を聞いているだろう。
 疲れた――けど、救援が来るのはしばらく先だろう。まだ休めない――階段を埋める瓦礫を見る限り、五分十分じゃ撤去できないだろう。
 待っている間に手遅れにならないよう、千種姉の手当をしなければ――俺は重い腰を上げて、足を運んだ。

   ◇ ◇ ◇

 十数日後。ハウンドドッグT都M区支部、支部長室。MDCビルの最上階にある一室だ。
 そこの応接テーブルの下座に座る俺。上座に座るのはM区支部長――ではない。彼と彼の副官は今、俺の目の前に座る老人の命により席を外している。
 この老人の名は――いや、彼はその名前より肩書きが有名だ。彼は八十年代に特異体の存在が公になった際、それを取り締まる役に最初に手を挙げた日本初のバスターで、MDC発足のきっかになった。現在はMDC統括理事長という職に就く、特異犯罪を取り締まるMDCの歴史そのものだ。
「……久しぶりだな。こうして会うのは君が正バスターになった時以来か」
「――ああ」
 彼は懐かしむ様に言う。しかし親しい間柄ではない。彼と会うのは三度目――ハウンドドッグになる為にバスター訓練所に入所した時、訓練所を卒業して正バスターになった時――そして今日だ。
「さて、君は辞表を出したわけだが」
 そう言って彼はやたら高そうなスーツの内ポケットから封書を取り出す。それは俺が何日か前に班長の住良木を通して総務に出した辞表だった。
「日本の特異犯罪事情に対する貢献――特異犯罪者累計二百名の検挙。俺がハウンドドッグに編成された時に課せられた、ハウンドドッグ退役の条件は先日の事件でクリアした」
 先の捕り物で特異犯罪組織の構成員を大量に検挙したことで、俺は自身に課せられていた退役の条件をクリアすることができた。後処理はそもそも現場班の俺の仕事じゃない。これで俺は、胸を張って地元に帰れる。
 しかし――
「先日の事件は耳にしている。大量検挙があったそうだね」
「全員俺が検挙したわけじゃないはずとでも言いたいのか?」
「そういう意味ではない――実際全ての検挙を君がしたわけじゃないのもわかっているが、君がいなければそもそもあの組織を壊滅することはできなかったろう」
 テーブルに封書を置いて、彼が言う。
「レイドの《剣使い(ソードマン)》――あれはMDC本部直轄部隊でマークしていた犯罪者だ。彼の処分には緻密で大胆な作戦が必要だと考えられ、私が直々に指揮を執る予定だった。しかし捜査班のシミュレーションでは彼を捕らえる筋が見当たらず、確実な作戦を立案することができなかった。勿論、実行も」
「直轄部隊の噂は聞いている。COEクラスのバスターだけで構成されている特殊部隊なんだろう?」
「それほどでもない。あくまで練度が高いもので構成されているだけだ――メンバーに君ほど飛び抜けたバスターもいないしな」
 俺の認識違いを正すと、彼は溜息を吐き、
「君を部隊に組み込んだシミュレーションもしたんだが――それでも私たちには確実な手が打てなかった。それをまさか直轄部隊なしで検挙してしまうとは。それだけ私たちは君の力を過小評価していたということなんだろうな」
 住良木と千種姉のコンビをやり込めた相手だ。あの男、馬鹿だったが相当な手練れではある。俺が圧勝したのは能力の相性に過ぎない。俺にとってはもう一人の女の方がよほど強敵だった。奥の手の自爆まで使ったほどだ。
 それにしても、噂に聞く直轄部隊がうかつに手を出せないと判断するほどの相手だったか?
 疑問が顔に出てしまったのか、彼が言う。
「状況は聞いている。一蹴だったそうだな……しかしそれは直轄部隊が無能だと断じる根拠にはならない。奴の確保を試みたハウンドドッグ隊員が計七名殉職している。あの住良木くんも歯が立たなかったのだろう? それだけ君が優秀だということだ」
「俺じゃなくて、俺の異能が、だろう? ……褒められたくて辞表を書いたんじゃない。退役したいんだ。わざわざあんたみたいな大物が俺のところにきた理由を聞きたいな」
「いや、何、君の立場を明確にしておこうと思ってね」
「……条件はクリアした。俺は許されたはずだ」
「……三年で二百十一名の特異犯罪者の検挙に関与。三組の特異犯罪組織の壊滅に貢献。二百名の特異犯罪者の検挙という条件を達成したと言えるだろう。二十年は働いてもらうつもりの条件だったのだが――たった三年でクリアしてしまうとは。三つの特異犯罪組織の壊滅が大きくスコアを伸ばしたな」
「……まあ、そうだな」
「しかし、だ。許されただと? 足を運んで正解だったよ。君はもう少し自分の立場を弁えた方がいい」
 言葉と同時に、彼の視線が鋭いものに変わり、正面から俺を射貫く。
「異能――それも凶悪な特殊能力(ユニークスキル)で罪のない児童を傷つけた君が、許されただと?」
 その言葉に――俺は返す言葉がない。
 脳裏によぎる、あいつの泣き顔と悲鳴。あいつを口汚く罵しった子供が血まみれで泣き叫ぶ姿……それを、忘れた日はない。
「日本の平和を維持するための装置として機能するなら――そういう条件で君は罪を見逃されている。勘違いをするな。君は日本でも最高峰のバスターかもしれん。しかし表に出せない経歴があることを忘れてはいかんな」
「……………………」
「そんな顔をするな。君は良くやっている。その証拠に、私はこの辞表を受け取るつもりがあるのだ。ただ、ね。わかるだろう?」
「……約束は忘れていない。バスターを続ける……ストレイドッグとしてこれからも働き続けるさ。それでいいんだろう?」
「少し修正を加えたい。なにしろこんなにも早く君がハウンドドッグから去って行くとは思わなかったものでね」
 言いながら、彼は封書を懐にしまう。
「――条件は?」
「能力が弱化しないかぎり、生涯現役であること、これからの君の人生に監視がつくこと――これは元からの条件だね。加える条件は、ストレイドッグとして活動する上で、私の肩書きで要請される仕事には必ず応じること」
「……わかった」
「これを約束しておかないと、ストレイドッグとして普通に仕事を断られたら君を治安維持装置として計算できないからね。いついかなる時でも、私に呼ばれたら出てきたまえ」
 俺は彼の言葉に頷く。そんなことか……もともとそれくらいのことは言われるだろうと思っていた。じゃなければ平和に貢献するなんて条件で交わされた司法取引がなりたたない。改めて念を押されなくとも、ハウンドドッグからの仕事の要請には可能な限り応えるつもりだった。何の問題も無い。
「――それともう一つ。全国のハウンドドッグ広報班がこれから意図的に《剣帝》という名を流布することになる。君の字だ」
「――は?」
「かの男――帯刀英司は特異犯罪者界隈で、《剣使い(ソードマン)》として怖れられていた。その帯刀英司を斬り伏せたハウンドドッグの《剣使い(ソードマン)》として、日本最強バスターの看板を掲げてもらう。その名前で犯罪者たちを震え上がらせろ。寝ているときでさえ平和に貢献できるのだ。素晴らしいと思わないか?」
 にやりと口角を上げる彼。なるほど……それはいろいろな効果を生みそうだ。犯罪の抑止にもなれば、馬鹿どものヘイトを俺に向けるってこともできるかもしれない。
 その上、中東のように特異体同士の戦争・抗争が起これば当然彼の肩書きで俺へ仕事の要請がくるだろう。その時に『日本最強』はいいかもしれない。プロバガンダ的な意味で。
「……特に異論はない」
「そうかい。良かったよ、君もこれで自由の身だ。表向きはね――ああ、無許可で国外旅行は勘弁してくれ。君の身柄が海外の勢力に狙われないとも限らない。本当は全面禁止にしたいところだが――それも可哀想だ。君が君に同行し、影から監視・護衛する特殊工作班の費用を自ら捻出する場合に限り許可しよう」
「ありがたくって涙が出るな」
 そう言って立ち上がる。話は終わった。もう用はない。尊敬するべき人物であるということはわかっているのだが、俺としてはどうにも長く顔を合わせていたい相手ではない。
「退役の手順は支部の総務から指示がいくだろう。そのつもりで」
「ああ、わかった」
「――ちなみに、君はこれからどうするんだい?」
「地元に帰るよ。そこでストレイドッグとして活動する」
「確か、君はN県のN市の出身だったかな?」
「ああ」
 頷く。
 俺を七才まで育ててくれたこいずみ園がある街。そして、あいつ――花音がいる街だ。
「ハウンドドッグを辞めても元気でいてくれよ」
「わかってる。じゃないと平和に貢献できないからな」
 背中にかけられる声に皮肉で応え――

 そして数日後、退役手続きを終えた俺はハウンドドッグの男子独身寮を引き上げ、《剣帝》として地元に借りたマンションへ引っ越した。
 十五才の夏――八年ぶりの街は、懐かしさより新鮮さの方が勝っていた。

   了 小泉花音は自重しない 美少女助手の甘デレ事情と現代異能事件録 に続く

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