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calling


個展最終日の終了時刻、17時ちょうどにバイト先のスタッフからLINEが連投された。
トラブルがあったのだとすぐに解る。現実への引き戻され方が半端ではない。
明日からバイトに行ってトラブルを解消しなくてはいけない。
残念だとか台無しだとかは思わなかった。そのスタッフは私がこんなことをしていると知らない。帰ってこいということだ。
見ていたかのようなタイミングに笑ってしまった。

もうずっと昔のことのようだ。
今でも時折思い返してはみるが、あの空間を作り上げたということが既によくわからないでいる。

小学校の時に受けた、音楽会で演奏する楽器のオーディションのことを思い出す。
毎日毎日練習をして、オーディションの順番待ちは緊張しすぎておかしくなりそうだった。
無情にも自分の番はやってきて、私は練習の成果を披露する。そしてオーディションは終わる。

受験でも、面接でも、好きな人との約束も、なんでもそうだ。
終わるのだ。

準備の最中には終わることなんて考えられはしないが、物事はやがていつか終わる。
そしてやはり、それと同時に始まりもするのだろう。

私は個展初日、会場でワードを開いて文章を書いていた。今ではもう書けない、泡沫のような気持ちを少しでも記せていて本当に良かったと思う。


3/25

ようやく終った、と思った。そして勝ったと。
21時前。搬入を終え立て看板に写真を貼りながら泣いた。

長い闘いだった。ひとつの通過点にしか過ぎないなんて、後になってから言うものだ。
私は思い残すことがないように、これが終わったらもう死んでもいいという思いでやってきた。その思いがひとつの空間を作った。

「多分もう憑りつかれてるんだと思います。」
初日、偶然通りかかったという若い女性はそう言った。
その若い女性は服飾の専門学生で、お互いにものづくりの大変さの話をしているときだった。
出来上がった時の達成感や多幸感は一度知ってしまうとそう簡単には忘れられない。
別に、あの達成感をもう一度味わいたい!と思ってやっていないのだが、それはもう憑りつかれているということなのだろう。確かに、と納得する。

ギャラリーは高架下に位置するため電車が通る音や振動が何度もある。
換気のためドアも開け放っているので、目の前の道路を走る車の音も常にしている。
騒音の合間に聞こえてくるharuka nakamuraのスティルライフ。
大きなウインドウ越しに中を眺めながら通り過ぎていく人。

全てが、夢みたい。

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