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「ぬいぐるみ」と「人形」

何を作っているんですか?と聞かれたら、布で人形を作っています。と答えている。

私は、作品の形態やテイストが多様に変化してきたほうだと思う。

アクセサリーからぬいぐるみへ移行した明確な理由はパッと思い出せないけど、心の流れのままに従ったという感じ。

2016年、大阪でのFANTANIMA!に参加できたことでその流れが加速したことは間違いない。


私は昔から人形が好きだった。

幼少期リカちゃん人形にハマり、高校生の頃ブライスにハマり、その後ほどなくして創作人形にいきついた。
ここ数年でアンティークドールや日本人形への興味も深まっていった。

私の思う「人形」とは、まずは人の形であった。
材質は硬くて取扱いに注意が必要なものが多い。
肌がつやつやしていた。
目は澄んでいたし髪の毛がきれいだった。
性別があった。(個人的に、人形の性別といえば女の子)

並行して、昔からぬいぐるみも大好きだった。
そのほとんどが動物の形をしていた。
一緒に遊んだり抱きしめて眠ったり話を聞いてもらったりお世話をしてあげたり…
その時々の色んな欲求を満たしてくれた。


作家活動のことへ話を戻して、

私は、2016年ごろから2年間くらいは動物のぬいぐるみを作った。
2018年の東京個展以降くらいに、それらは動物ではなくなった。

私は別に動物が作りたいわけではなかったということに気が付いたから、シンボル的である耳を付けるのをやめた。
耳を付けるのをやめただけで、動物ではなくなった。

動物ではなくなったので、私は耳のない丸い頭のぬいぐるみを作っていた。
それがいつの頃からかなんとなく、ぬいぐるみと言うのに違和感を覚えるようになってきた。

私が今作っているものは何なんだ??


その問いに、「人形」という言葉がモヤの中から現れ始めたが、すんなりとは納得できない。

自分の中にあった人形と、私が作っているものは何もかもが違うのに、人形と呼んでいいものなの??

もう一度考え直してみる。

私の中で、人形とぬいぐるみは役割が違っていた。

人形は、「私(主)がいてもいなくても関係ない、というスタンスで存在している」感じがする。

ぬいぐるみは、人形に比べて「私(主)のことを必要としてくれる」感じがする。

私が人形から受け取ってきたものとぬいぐるみから受け取ってきたもの。
掘り下げていくとキリがなさそうだし、みんなそれぞれ違うと思うので省くとして、

今作っている子たちは、私がぬいぐるみから受け取ってきたものではなく、人形から受け取ってきたものを孕んでいるんだなと思うようになった。

ぬいぐるみを作っていた頃は確かに、
誰かのことを必要としている感じがするものを作っていた。
個別に名前をつけたり愛嬌を出す工夫をしたりして、愛情がどんどん注がれる対象として、作っていた。

私は今、
持ち主がいてもいなくても関係ない、というスタンスで存在している感じがするものが作りたい。
愛情なんていらないと言っているのではなく、自立していて、対等かそれ以上の立ち位置にあるものが作りたい。

それは私の中ではぬいぐるみではない。

だったら、
丈夫な荒い布製でも、肌がつやつやしていなくても、目に輝きがなくても、髪の毛がなくても、性別がなくても、人の形をしてなくても、「人形」と呼んでいいんだな、と感じた。

人形を作りはじめてまだまだ短い。
この先もしばらくは、私は人形を作っています、と答えることになりそうだ。
これから、どんなふうに変化していくんだろうと思うと自分でも楽しみである。



今までに私の作った子たちを迎えてくださった方たちへは、日々本当に感謝しています。

この記事は、何かを強いるような意図は全くないので、それぞれの感覚や価値観でぬいぐるみや人形と付き合い、お迎えしたり楽しんだりしてくださいね。
むしろ、人形やぬいぐるみについて私以外の人はどう思ってるんだろうかと気になり始めてきたので、興味を持ってくださった方はぜひ教えてください。(こういうのお話しできる機会がほしい~!)

読んでくださってありがとうございました😊

#人形 #ぬいぐるみ #まだまだこれからですよ

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