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ball joint dollの誕生

10代の多感な時期から人形とは隣り合わせで歩いてきた。
ここで言う人形に実体はない。
けれど、ふとした時に隣を見ると「居る」のだった。
捉えようによってはただの怪談話だが、その感覚を持ってここまできてしまった。

人形は蔑むことも慈しむこともせず私の何かを映していた。
「黙って全てを受け入れてくれる」というのは自分都合の解釈にすぎないが、それでも隣に人形が居ることを確認すると私は安堵した。

言葉にすると少し軽くなってしまうけれど、特別な存在であると言う他ない。
自分が人形を生み出す側になることには長年抵抗があった。近づきたくなかった。

けれど、ここまできてしまった。
マスクは置いてきたのだ。次に向かうしかない。
隣を見る。いつもと同じように人形が居た。
改めて向き直る。
次に向かう、その意味は自分が一番よく解っていた。

ball joint dollはその先で生まれた。
改めて熟考するようなことはほとんどなかった。
造形力の壁にぶつかりこそするが、今まで自分の中にあった感覚を形にしていくだけだ。

素材は私が繰り返し使い続けている目の荒い麻。 
型紙をおこし、シーチングでの組み立てと修正を繰り返す。決まれば裁断と本縫いをする。
次に、頭、手、足とおがくずを詰めてパーツを完成させていく。
球体関節。その言葉への思いは深い。
ボディとパーツをジョイントで繋ぐ。
そしてボディにおがくずを詰める。

ついさっきまで「パーツを繋いだもの」でしかなかった。はずだった。

ボディにおがくずを詰めた途端、目の前に突如立ち現れた形。姿。
その瞬間これまでにはない感覚の中で、人形を作ってしまった、と思った。


そして私はふと隣に目をやる。あの人形はもういなかった。



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