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dear dream

2月が終わるともなれば日差しは徐々に春の気配を帯び、外気そのものも青みが薄れているのが解る。
三寒四温は例年のことだが今年は落差が激しい気がする。
今日は生憎の冷たい雨。

あっという間に、個展まで一か月を切った。

前回の個展時に制作したオブジェたちは段ボールに入ったまま3年間静かに押し入れの中で眠っていた。
久しぶりに開封する。
そうやんな、とひとり呟く。

たかが3年!と、些細な悩みくらいなら笑い飛ばしてくれる気がする、そんな力のある作品たち。たかが3年で何が変わるのかと。何を変わろうとしたのかと。
されど3年。過ぎてしまえば体感としてあっという間かもしれないが、3年というのは非常に長い。人が変わるのには十分な時間だ。

私は変わった。そして変わっていない。
善し悪しは曖昧にして作品を再度段ボールにしまう。

今回の個展で、その時の作品も数点展示することにした。沢山の思いを込めて作った作品だ。押し入れに眠りっぱなしというのはあんまりだ。


3年前、大きなうさぎの作品を作った。

初めて「作品が呼んでいる」という感覚を味わった制作だった。頭の中で既に完成したうさぎがこっちを見て立っているのだ。そして「はやくはやく」と私を急かした。

展示を終えた日から、今も私の部屋に鎮座している。ものすごい存在感で。

うさぎは、着せたドレスで隠れているがアンバランスな体系をしている。
頭部が大きく首が細いためバランスがとれず、実際はどう頑張っても立たせることができなかった。
しまいには、座らせている状態でも頭の重みに耐えかねてぐったりとうなだれているような格好になってしまっていた。
首と頭部はジョイントで繋ぎ可動できるようにしていたのだが、重たすぎてジョイントのボードが変形していった。
重い頭を細い首とジョイントで支えようとした私の詰めの甘さだ。
可動は諦めて首に金属を入れて固定にすることで、もたげていた首を起こし頭部を支える。
応急処置に近いため、また年月を経てうなだれてくるかもしれないが。


或る寒い冬の日。うさぎの撮影のため琵琶湖へ出かけた。
予定していた撮影日は大寒波による大雪となり、延期。改めた撮影日もまだまだ雪が残っていた。
明け方近くから撮影を開始し、せっかくだからと色々な写真を撮ってもらった。

貴婦人ドレスの撮影でも体験した「降りてくる」というか、あー、これや。という確信。
その確信を得るのに前触れなどないので、信じてねばる以外ない。
突如やってくるその確信とそれに伴う高まりの中では痛みや寒さなど感じないということも知った。
自分がしてきたことが一点に集約される瞬間。
正しさなど無いのだろうが、それでも間違いじゃなかったとこみ上げてくる。

琵琶湖のへりに蓄積されているゴミ溜めの中、うさぎを抱えながら裸足で前のめりに進んだ。
明け方から始めた撮影だというのに気が付けば夕陽はかなり傾いており日没まで時間がなかった。私はほとんど泣いていた。

さめない夢の終わり、そしてさめない夢など初めからなかったという現実を受け入れる時なのだ。

そんなことは作り上げた私が一番よくわかっていたよ。



在りし日を踏みしめながら今日を生きるということ。
その道行の景色、目に映る色や感じる温度。それらは全て私のもの。私にしかわかりえないもの。
自分が感じる美しさを信じてあげられるのは私しかいない。

そのうさぎの名前は”dear dream”

私が見ていた夢そのもの。

photo by kizashi ikeda

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