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昨日はもっとずっと前の話

こんにちは。

今年も残り少なくなって、まさに師走。年賀状を書こう書こうと思いながら、このまま年越してしまいそうな勢いです。みなさん、ご機嫌いかがですか。

さて、子供は時が経過することの概念をいつ頃から理解するのだろうか。2歳の娘は、まだ時計が読めない。カレンダーも、たぶん数字の表としか見えていない。曜日の名前は言える(大好きな『はらぺこあおむし』で覚えた)けど、7日で1週間とか、そんなのどうでもいいはず。“今日”とか“明日”とか、そのことの理解が進んでいるのかどうかも怪しい。

保育園の帰り、まだ言葉がままならない頃から、いつも「今日は保育園でなにしたの?」と問いかけるようにしてきた。それは、時間の概念云々とは関係なく、ただ単に娘との会話のきっかけが欲しくてそうしている。いつか「あのね、今日はね~」と保育園であった出来事をお話してくれるようになったら素敵だな、と思って始めただけのこと。

当初(0歳の頃)は、「あぁん?」という顔をされたり、少し会話できるようになってからも「スルー」されることが大半であったのだけど、2歳になったくらいから、少しずつ「みかんたべたの」とか、“何をしたか”じみたことを話してくれるようになった。

でも、「みかんたべた」と言った日の給食の献立は『柿』だったり、「ぶどうたべた」と言った日には『バナナ』が出ていたりする。実際に、みかんやぶどうが出ていた日もあったので、その日の出来事を指しているのだろうか。わたしが問いかける「今日は保育園でなにしたの?」のうち、『今日は』がバッサリと断ち切られ、『保育園でなにしたか』を話してくれているのかもしれない。

そう思ったのは、あるとき「昨日はお風呂に入れなかったから、今日は入ろうよ」と声をかけて、「きのう入ったじゃん」という答えが返ってきたとき。「え、一昨日は入ったけど、昨日は入ってないでしょ?」と返すと、「だから、入ったじゃん」と主張。そうか、なるほど、娘にとってはすべてが“経験”であって、経験したのが“昨日”だろうが“一昨日”だろうが、過去にやったことがあれば「入ったじゃん」になるのだ。

献立の違いや、「(今日は)保育園でなにしたの?」と雨の日に聞いても「公園ですべり台した」という答えが返ってくることにも納得がいった。娘は間違ったことを言っていたわけではなく、正しく過去に経験したことを教えてくれていたのだ。それでもいいと言えばいいのだけど、「そっか、すべり台したんだ。でも、今日は雨だったけど、それいつの話?」とか、ちょっと食い下がってみたりする。すると、出た「あぁん?」の顔をしたままの「スルー」。

そんなことを続けているうちに、娘に芽生えた『明日』という概念。保育園の帰りにスーパーに寄ったとき、「りんご買う、あしたの朝たべる」と言い出した。「え?あした?」と聞き返すと、「うん、“ねんね”して“おっき”してからたべる」と正しい様子の答えが返ってきたので、ほうと感心してしまった。

でも、あいかわらず『昨日』のことは、本当に昨日の話かは怪しい。けれど、昨日のもっとずっと前に起こったことを楽しそうに話す姿をみて、毎日をあっという間に忘れ去っている自分に気づかされる。辛かっことも、楽しかったことも、あとから振返って自分の言葉で誰かに伝えるということを忘れてしまっていた。いまこうして娘に気づかされたことを、意味は分からなくても娘に語りかけること、それこそが会話のきっかけだろう。

さて、今日は、娘が得た『明日』の概念が正しかったのか確かめる日。正しければ「また明日が楽しみだね」と言えるし、もし違っていても「明日が楽しみだね」と言ってあげよう。むきたてのりんごの香りとともに、「あしたの朝たべる」と言った娘を起こしにいってきます。


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