農業者の視点などから。AIや機械には「仕事を奪われるのか?」それとも「仕事をしてもらうのか?」

一応、こちらの記事の脱線的な続きです。

私にとっては少なくとも、悲観的に「AIに仕事がとられる」という感じではありません。

農業であればトラクターに「耕しという仕事」をしてもらっているわけですが、お米を作るために働いている私が「トラクターに耕しという大きな仕事をとられたー。どうしよー。」などと思うわけではありません。むしろ、こちらの記事でも述べたように、

仕事を機械にしてもらっているおかげで、たった年8時間の労働で一年分のお米を確保できるという、(少なくとも私にとって)とてもハッピーで安心な社会が実現しているわけです。(そして、その発展の結果がベーシックインカムとなって還元されるであろうと期待している)

またAI(人工知能)も、レベルの高低はあってもその本質は機械に計算をしてもらうというだけのことですから、マイクロソフトが開発したエクセルという素晴らしい表計算システムがすでに、かなりの人の仕事を奪っている(or してもらっている)わけで、今さら特別にどうこうと言うものでもないと思っています。

大きな視点で考えれば、AIや機械に「仕事をしてもらう」ために、そのAIや機械を開発する「仕事」をするのであって、それは人間活動の歴史の中でずっと行われてきており、むしろそれこそが「発展」だったのではないかと。

とはいえ、この「仕事をしてもらっているのか?奪われたのか?」、さらには「仕事」と「報酬」というポイントは、しっかりと議論されるべきであろうと思います。
上のトラクターの話も、実はまだまだ続きがありますよ (^ ^)/

さて、こうなるといよいよ「仕事」とは?ということを考えてみなくてはいけませんね。

ここでは、これからの議論につなげる形で

仕事とは仕事を無くすことである

こちらの主題を提示して終わりにします。
この主題を軸にあれこれ考えてみることで、さらに議論が深まり、そして広がる気がしています。
そういえば、こちらの記事にも関連してますね。

終わり。

更なる議論のポイント

・仕事とは?
・報酬とは?
・ベーシックインカム

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