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あまりにも苦しく美しい物語BANANA FISH

 夏季休暇に入り、アニメをいっぱい観ようと意気込んでBANANA FISHを視聴した。そして私はそこから身動きが取れなくなった。BANANA FISHという作品はそれほど私に重くのしかかってきた。

 神に誓って観たことを後悔していない。それでも、もしBANANA FISHを知らない頃に戻るとしたら……と時々考えてしまう。私にとってそれほどに辛く、痛く、苦しい作品だ。これは、アッシュが懸命に生きた物語だ。自由を求めて運命に抗うたった17歳の孤独な少年と、彼をその運命から救おうとした英二の魂の邂逅だ。全話を視聴し終えてからまだ3日だが、今の私の気持ちを吐き出さずにはいられず、縋るような思いでnoteを立ち上げた。



■アッシュ・リンクスという人間
 アッシュは17歳には酷すぎる凄惨な過去を持つが、気高く強い人間だ。彼は同情を嫌う。容姿と才能に恵まれ、不屈の精神を持ち、カリスマ性で人を強く引き付ける、強力な磁石のような少年だ。一方でその強靭な精神の内側に、あまりにも深い孤独を抱えている。

 彼はリンクスの通り名のように「ヤマネコ」と呼ばれ、恐れられた。ストリートギャングの部下に心酔され、畏怖された。周囲の大人には性欲や支配欲を向けられ、モノのように扱われた。月龍には言われのない共感をされ、ある意味で盲目的に神聖視された。

 アッシュは本人の意志に関係なく周囲の人を惹きつける。だが、その中に彼を一人の人間として正視した者は一体どれだけいただろうか。少なくとも私はいなかったように思う。奥村英二を除いては。英二はそんなアッシュの抱える孤独を敏感に察知し、慈愛にも似た感情で彼に接した。最初から最後まで英二にとってアッシュは、ストリートギャングのボスでも男娼でも死神でもなく、17歳の少年だった。だからアッシュは、今まで散々踏みにじられ、固く閉ざしていた心の一番柔らかい部分を、英二には触らせることを許した。そして英二がアッシュに無償の愛を注いだのと同じように、アッシュもまた英二のことを愛したのだと思う。アッシュは決して冷徹な殺人マシンではなく、愛情深い人間だ。

■残酷なほどの運命の荒波
 英二と出会ってから、アッシュは運命に必死に抗った。だが彼の奮闘が虚しく感じられるほどに、運命の波は激しくアッシュを何度も飲み込んだ。
 実の兄の死、手にかけざるを得なかった親友のショーター、仲間の裏切り、大人の陰謀。アッシュが抗えば抗うほど執拗に苦しみが追いかけてくる。傷が癒えていなくとも、彼は戦わざるを得なかった。まだ17歳で満身創痍の少年は、生き急がなければならなかった。アッシュは自らの人生を呪っていないからこそ、私はやるせない気持ちで悲しみに打ちひしがれた。

 私はショーターが死んだシーンで泣いた。勿論ショーターの死は悲しいが、それで泣いたのではない。自らの手で親友を殺し、その解剖現場を目撃し、死を悲しむ隙も与えられずに前に進まなくてはならないアッシュの辿る運命があまりにも悲しかった。
 アッシュは3話で「俺は反省したことがない」と言っていたが、10話でその意味に気づき、後ろから鈍器で頭を殴られたような気がした。きっと彼は反省をする時間も与えられずに生きてきたのだ。彼の命を狙う人は大勢いる。アッシュは過去の屍を振り返ることすら許されずに生きてきたのだろう。

■アッシュの幸せとは
 アッシュは孤独な少年だった。彼はストリートギャングのボスとして、仲間に囲まれながら暮らしていた。それでも、ずっと孤独だった。トップである彼の本心を理解する者はいなかった。

 英二は、そんな彼に「無事でよかった」と心からハグをした。アッシュの父親が彼を侮辱した時、真っ先に怒りをあらわにした。ショーターの死について、君が話したくなった時でいいと穏やかに告げた。世界中が敵に回っても、僕だけは君の味方だと真っ直ぐに伝えた。君は母親に愛されていると勇気づけた。アッシュの震える体を、何も聞かずに抱きしめた。
これらがどれほどアッシュの心を救ってきたか、想像もつかない。ただアッシュは無条件に気にかけてくれる人が少なくとも一人はいるという喜びを噛みしめていた。これ以上ない程の幸せだと、瞳を潤ませながら口にした。

 アッシュにとっての幸せとは、無償の愛を与えられ、自らも与えることができるような人がいることだ。それを教えてくれたのが英二だった。アッシュにとって金も名誉も権力も全て偽物の幸せだ。彼は、偽物に囲まれて生きることよりも本物の愛を選び破滅の道を歩むことを望んだ。たとえそれがアキレスの踵になるとしても、孤独であるが故の強さよりも人を愛する強さを選択したのだと思う。

 国家ぐるみの争いの渦中にいたアッシュの最期はあっけないものだった。英二の愛を選ぶことは、やはりアッシュの弱さになった。ハッピーエンドかバッドエンドなのか判断を下すのは酷いエゴのように感じられて、私にはできない。それでもはっきりとわかるのは、アッシュは幸せな気持ちで最期を迎えたということだ。アッシュは最期、1人だったが独りではなかったように思う。彼のそばにはきっと英二の魂があったはずだと信じたい。悲惨で苦しく短い人生を終えたアッシュの死に顔は、穏やかな幸福に満ちていて、天使のように美しかった。



 今もまだ余韻が消えない。ふとした瞬間にアッシュの孤独を思うと苦しくなってしまう。しかし何故だかわからないが、私は心のどこかで微かな希望のようなものを感じている。私自身がこれから強く生きていくための希望だ。
 大げさかもしれないが、BANANA FISHは私の人生にとって重要な作品になる予感がしている。長い時を超えて愛され続けてきたこの作品を、私も同様に愛していきたいと強く思っている。

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