小説|甘美なる罠

 ”言葉”など、捨ててしまえたのならばどんなに楽だっただろうか、なんて、叶わない夢をずっと見続けている。

『書けないから飲みたい。今晩、暇?』
 友人がチャットを寄こしてきたのは今日の十四時過ぎだった。偶然にも暇を持て余していた私は、二つ返事で承諾した。十八時。串カツの有名な居酒屋チェーン店の前に現れた彼女は、前に見た時よりげっそりとしていた。あぁ、これは溜まっていそうだ。今晩は彼女のガス抜きに徹そう。意思を固めて、店の暖簾を潜る。
 座席に案内されて、真っ先に注文したのは、梅酒の水割りとビール、串カツの盛り合わせ。メニューを広げる間もなく、彼女はやってられないと言わんばかりに口を開いた。内容は、私と友人の共通の趣味である、小説について。互いに、読むのも好きだが書くのも好きで、こういった『創作飲み』は割と定期的に開催している。彼女はここ最近、純愛物の長編を書きたかったそうなのだが、どうにも上手くいっていないらしく、脈絡のない言葉という言葉が彼女の口から次々に飛び出す。やっとのことで運ばれてきた梅酒ソーダを飲んで、喉が潤ったのか、更に彼女の口は回っていく。
 キャラクターがブレる。シーンとシーンの間が思いつかない。映像は出てくるのにそれを表す言葉が足りない。いつかに私も感じた事実を、彼女は吐き出した。書けない時って、あるよね。どこが行き詰っているの。あぁ、わかる、すごくわかるそれ。彼女は答えを求めていなかった。この道に於いて、答えは自分で辿り着くものだと、信じていたかったから。だから私も、ひたすら聞き役に徹する。創作飲みにも種類があって、互いの創作観を語り合う日もあれば、自分の作品のポイントを紹介し合う日もあり、今日のような感情を分かち合う日もある。
 やがて落ち着いたのか、再び梅酒ソーダをぐびと飲む。飲むといったって、彼女はお酒が苦手だから、その量などたかが知れている。対する私のビールは空だ。店員を呼び止めてビールのお代わりと、ついでに、私一人が食べきってしまった串カツを追加で注文する。
 やってきた串カツを、食べてよと促せば「あ、そういえばお腹空いてたわ」とびっくりしたようにして、彼女は豚肉のカツを嚙み千切った。
「わかる。創作してるとお腹空くの忘れちゃうよね」
「何言ってんの。あんたはあたし以上よ」
 友人は呆れたように言った。以前創作の熱が高まった頃、一週間連続で夕飯を抜かしたことを未だに引っ張っている。蒸し返すなよ、と軽く笑って返し「君も一人暮らしすれば、こうなるよ」とだけ忠告した。
「なんというかさ、創作も色々あるじゃん。イラストだったり、最近だと動画とかさ」
「うん」
「その中で、やっぱ小説が一番、独特な気もするんだよね」
「どうして?」
 小説なんて、一番簡単だろう。寧ろ例に上がったイラストや動画なんて、私には到底できると思えない。イラストは技量が必要だし、動画はステップが多すぎて腰が重い。文字という唯一の単位で示せ、かつ、紙とペンがあればどこでだってできる小説が、様々な創作の中では、一番ハードルが低いと思う。
「だって、こんな娯楽に有り触れた時代でさ、よりによって小説選んじゃったわけじゃない? あたしは時々、最悪だと思うよ。なんで小説にしちゃったんだよって。勿論、他の創作には相応に、生みの苦しみはあると思うの。でも小説は、すべてを言語化しないと何も始まらない。思考の根底は言語化にあると思うけど、その根底と日夜を通して、休む間もなく戦っているような気がするよ」
「日夜を通してって、そんな」
「否定できる? 今この瞬間、何を考えているか、当ててやろうか」
 友人はにたりと笑って、梅酒をガンと机に置いた。そのままついと、吐息が顔にかかるんじゃ、という近さまで顔を近づける。あまりの距離に息が詰まりそうだ。
「喧噪をどう擬音にするか、油っぽい空気の匂いをどう表すか、酔った時の拍動はどうなるか、橙の照明がどう輝いているか、あたしの表情はどうやって動いてるか」
 友人の声は、威勢の良い店内でも、一言一句漏らさぬほどはっきりと聞こえた。彼女の周囲数十センチだけ、水を打ったように静かで、空気がひたりと止まったような錯覚に陥った。ぱちぱちと、自分が瞬きするのを感じた。その音すら、聞こえた気がした。友人は椅子に座り直すと、再び梅酒をちびちびと飲んだ。心なしか、耳の当たりが赤いように見える。
「……答えはどうだい?」
「八割正解。照明までは、考えてなかったよ」
「ほらやっぱりね」
「改めて思うと、気味が悪いというか。他の人はこういうこと考えてないんだろうなってことで、考えすぎちゃうよね。そうすると、頭の中の人たちも元気に動き回っちゃうし。少しは大人しくしてほしいよねぇ」
「……あんたよくその、『頭の中の人』って言うけど、あたしはそれよくわかんないよ」
「えぇ、そう? 頭の中に人、いない? 自分じゃない人が勝手に喋ったり、思考始める感じ、しない?」
「しないしない」
「えー、そうだなぁ。日常生活すべてが、小説のネタに見えてきちゃうことはある?」
「あ、それは思う。あたし前に男性から告白されたとき、ネタになるなぁって思っちゃった」
「ごめん、それは感じたことないかも」
 友人はえぇ、と残念そうにしてから、メニューを手に取った。まだ飲むのと聞けば、「いや、お酒はいいや。ご飯もの食べたい」と言って、十九時前というのにもう雑炊を注文する。飲み足りない私は、メガジョッキのビールと、おつまみに肉吸いを注文した。
「あんまこういう言い方、よくないけどさ。まともじゃなければ、小説なんて書かないよ。そう思わない?」
「わかる。それで、好きなはずのことでこんなに苦しんで、何で自分はこんなことやってるんだよって思っちゃう。」
「そう、それでさぁ。今めっちゃ苦しいし、訳わかんないし、やりきれないし。だから、小説なんて書かなきゃ良かったかって思っちゃう。あんたはそう思ったことない?」
「そりゃあ、何度だって」
 何度も白紙にしたテキストファイル。ぐしゃぐしゃと塗りつぶしたネタ用のメモ。ペンを放り投げた数は幾度としれず。その度に、"言葉"など、捨ててしまえたのならばどんなに楽だっただろう、なんて、叶わない夢をずっと見続けている。
 それでも。それでもだ。
「でも、楽しいから、やめらんないよ」
 その耐え抜いた先に見えた一瞬の高揚に、私たちは途方もなく魅了されてしまったから。おまけにこの燻ぶった苦い味でさえ、私たちは創作の糧にしてしまうのだから。なんて酷い無限ループだろう。楽しいことを望めば苦しみに当たり、苦しめば苦しむほど、その一瞬が代えがたい時となる。その幸福を再び味わいたければ、また苦難の道を進むしかないのだ。本当にどうしようもない輪の中を、外れることなく回り続ける。そうして一生、この甘美なる罠に、自ら首を差し出してしまうのだろう。
 ほんと、呪われてるみたいだな。友人は仕方なさそうに、他人事のように笑いながら、雑炊の残り汁をずびと飲み干した。その黒い器を机の端に寄せる。店員は忙しいのだろうか、空になった食器が下がる気配は一向にない。ジョッキの中で溶けかけた氷が、淡い色をして照明を反射した。
「そう、それでさ。よく、社会人になって創作辞めちゃう人っているじゃん」
「あぁ、聞くね。やっぱり忙しいんだと思うよ。時間も取れないし、仕方ないよね」
「あたしは正直、自分は続かないんじゃないかって思っちゃう。あんたは社会人になっても、書くと思う?」
 その問いかけに、私は即座に頷いた。
「私はやめないよ」
「……断言するね」
「だって、私は書くことが好きだし、何より、書いている私が好きだから。自己肯定の一つを、自ら手放す阿呆な人になった覚えはないもの」
 笑って返すと、友人は眉をひくりと上げ、驚いた表情を見せた。
「それは」
 彼女は悩まし気に言葉を切ると、暫く考え、そして、いたずらっ子のように笑ってから問いかけてきた。
 「その”私”とやらは、本当にあんた?」
 あぁ、だからこの友人は。私は思わず天井を仰ぎ見た。こんな友人、後にも先にも彼女くらいしかいないだろう。彼女の存在に感謝しつつ、私は”私”が持ち得る最大の笑顔で、答えを返す。
 「さぁ、どうでしょう?」
 だってそれは、”私”にもわからない。

 ”私”など、どこにだっていないのだから。


【後書き】
 はじめまして。永和けいです。 
 小説執筆を趣味としております。投稿用のプラットフォームとして、この度noteをはじめてみました。月に1作程度、上げられたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。


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