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吉原遊廓の音楽文化とは

「江戸時代の吉原遊廓」

みなさん、1度くらいはその文字や情景を、ネットや時代劇や博物館で見たことがあるかと思います。

私も小さい頃から、「なんだかキラキラした世界だなぁ」と、漠然とワクワクする思いで吉原遊廓という世界に想いを馳せていました。

そのころは、まさか自分が、東京藝大で「江戸期吉原遊廓の音楽文化」を研究テーマにし、博士後期課程までそれを続けている…だなんて思いもしなかったけれど。

吉原遊廓は、風俗史や服飾史、一般の日本史では多くの研究の蓄積があります。ですが、「音楽」は?

吉原遊廓を音楽学的な視点から切り込んだ研究って、殆どないんです。
なぜでしょう?「音楽」も、服飾や建築、独特なしきたりと同じく、吉原の文化を彩り支えた側面だったのに。

おそらくそれは、「史料がない」からなんです。
特に邦楽という分野でその傾向は強くなります。なぜなら、邦楽では、しばしば「口頭伝承」で音楽が伝えられ、譜面に残すということをしないからです。加えて、吉原という場の性質による公的な文章の不足も伴って、吉原の音楽的な実態って、本当にわかっていない。

それに、吉原での「音楽の担い手」と言ったら、誰を思い浮かべますか?
【芸者】でしょうか。

芸者も、勿論大きな音楽の担い手でした。しかし、【遊女】たちも、同じように立派な音楽の担い手だったのです。でも、研究の対象からは、いつも遊女たちは外されている。

私は、そこに問題意識を感じました。
そして、そんな「声なき声」を拾い上げ、本当の意味での吉原の音楽文化の全貌を明らかにしたい、と思ったのです。

さて、私は現在、博士論文執筆の真っ最中です。うまく形になるといいのですが…。江戸期吉原遊廓に生きたすべての人々の声援を(勝手に)背中にうけ、私は精一杯、この研究と向き合っていきます。

このnoteでは、そんな研究のことを中心に、あとは並行して行っている作家業のこと、大好きなねこの事なども、綴っていけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いします。楽しんでいってください♪

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