ドラゴンボールと少年

ライブ前日の貴重な時間に
なんとなく長くなりそうな文字を綴ろうとしている。

文字を打っている今まさに
漫画家の鳥山明さんの訃報でTLが大騒ぎになっている。

ここ数年、偉大な人達や大切なものが次々と失われてしまって、こういうニュースに対してなんとなく大きく驚かなくなってしまった気がする。

みんな「いつか」が「今」来ただけなのだろうと。

大きく驚かなくはなった気がするものの、それによって悲しみを感じなくなるほど鈍感になってしまったわけでもない。

その人や作品に対する想いが深ければ深いほど、切なさは募るばかり。

今回はせっかくなので、鳥山明さんの作品に対する僕の想い出話を少し。




あんまり公の場で話すことはなかったんですけど

実は僕、心臓に疾患を持って生まれてきたみたいで。

少し身体が大きくなった5歳ぐらいの時に
胸をぱっくり開いて大手術をしてもらい、完治。
気付けばたくさんの大人の人達に助けられて、おかげさまで今こうして飄々と元気に生きています。

小学校高学年からスーパーバスケット少年篇へ突入するほど健康優良児。

その時の記憶はもう曖昧で断片的で、どこまで正確なものかわからないんですけど。

その長い入院生活の中の思い出の一つが間違いなく「ドラゴンボール」でありまして。

おそらく病院内の売店で買ってもらったのか何なのか、中途半端な巻を数冊、よくわからないながら夢中で読んでいたはず。

当時はウルトラマンとかが大好きな普通の少年だったんですけど、積極的に漫画に触れ始めたのはその辺りで、きっかけはドラゴンボール。

まだ読めない漢字も知らない言葉も多い中、なぜあんなに夢中で読めていたのか不思議に思ったりもします。
(その頃スルーしてた意味不明な言葉を、大人になってから理解する体験を何度もしている)

そして小学生になって
一握りのお小遣いで一冊ずつコミックスを買っていき、自分のまだ知らない過去のドラゴンボールを少しずつ読み漁っていくことになります。

筆箱などの文具がドラゴンボールになっていき、
ドラゴンボールで映画館を体験し、
ドラゴンボールが共通言語となり友達が増え、
人知れずかめはめ波の修行に明け暮れ、
お家に帰ったらゲームはドラゴンボールかドラクエ。

僕の少年時代は鳥山明さんの生み出したキャラクター達で彩られていました。


人が亡くなったという文字情報は今ひとつ実感が伴わないし、鳥山明さんに関しては会ったことも話したこともなければ、顔もよく知らない人なわけですけど。

間接的にズカズカと僕の人生に介入してきて、ワクワクとドキドキを一方的に与えてくれたすげーやつ。

ぼくの少年期を豊かにしてくれた大恩人。

この想いはどこに届かなくとも、感謝の念は絶えません。


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