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問題と正解が決まっている課題に対してグループ研修で取り組むことは難しい

現在、所属団体の研修部長を務めているが、次年度導入されるグループ研修について悩んでいる。というのは、我々土地家屋調査士は隣接法律家と呼ばれる国家資格者で、研修内容も既に条文、規則化されている課題について考えるというものが多いからだ。

とある事象(現場例のようなもの)を課題として、どこに問題点があるのか、その着眼点でいいのか、というグループ研修を想像してみよう。この場合、数分の討論の末、「○○が正解だった」という着地点はおかしくないだろうか。

入り口から出口までのルートを思いつく限り考えることがグループ研修に求めていることであって、ゴール地点の良し悪しはこの際どうでも良いはずだ。我々資格者がゴールとして目指すのは、国民の権利の明確化と経済活動の安全であり、その部分は法的にも明確である。我々ならばきちんと「物理的状況の反映が公的文書(登記)になされること」である。ただその手法にたどり着くまでのルートや着眼点が多種多様であることが重要であるのだ。

現在その研修マニュアルのたたき台を作成しているのだが、どうも研修を企画する団体(私の所属団体ではない)の思惑がつかみ取れない。正解不正解の二者選択をグループ研修でおこなおうとしているのではないかとすら思えてくる。これはグループ研修でやることではないと思う。入学試験をグループで受験するような違和感だ。

ともあれたたき台は作成した。正解を求めない、他人を否定しない、全員が必ず発言するという三原則に基づいたマニュアル案だ。採用されるかどうか、研修目的(意義)がつかみ取れないままに作成するのは難しい。

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