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ルッキズムに思うこと

「美人ってええなあ」「ほんまになあ」70代80代の、母や親戚がときどき言い合うこと。笑い交じりで明るい自虐。でも、複雑な気持ちになってしまう。
美人に生まれたかったって、もちろん私も思ったことあります。道行く人が目を奪われ、思わず振り返る…そんな美貌だったらどんなにすてきな気分なんだろう。
でも、「今の自分」という人間の形成は、この容姿だからこそこうなっている。そして、そんな自分を愛しいと思ってくれる人も少しはいて。
だから母や親戚のことも…今の貴女たちが大好きで、もし違う容姿だったら別人格だったわけで、そうじゃなくて本当よかった。けれど、そんなしゃちほこばったこと、軽い雑談のときに言うのは変だしね。
大人になった自分は、美人だからこその悩みや生き難さもわかってきている。けれど、それでも、やはり、きれい、には、憧れてしまうよ。
ルッキズムの罪やボディポジティブの考えが広まってきているし、それはとてもいいこと。生き生きとした表情、っていうのが最も美しい人の姿だし。それを曇らせていたものが少しでも世になくなるのは、私も心が楽になる。でも…
一方で、自分の身かけを少しでもよくしたいって気持ちは、ほとんどの人が持つ。美人ではなくても、せめて醜い部類には入りたくないと願う。だから莫大な“きれい”産業市場がある…化粧品も美容院もファッションも…。人が美しさを求めることはなくならないし、それは様々な芸術を生み出してもきたし…。
考えれば考えるほど、結論が出ない、難しい。けれど、はっきりしていることがひとつ。
ルッキズムの大きな問題は、TVなどのマスコミが、女性において、「美人」を他のすべてに超越してすばらしいこととしてきたこと。
以前、TVで冤罪拘留された女性官僚の事件を特集をしていた。本人が番組最後オマケ映像で談笑していたのは“娘に、絶対おかあさんは美人官僚とは報道されないよねえ、と言われたんですよ“。これをなごやかな会話と番組関係者が捉えていたことに、何か悶々…。
女性ならば、医師も議員もアスリートも…美人なら必ずアタマに「美人」とつける風潮。本来の実力に大きく上乗せする「美人」。美人な者もそうでない者も、もっとそれに目くじら立てるべきなんだろうけど。少しずつ、変化してきているとは信じたいけれど。
山田五郎氏が、YouTube番組「オトナの教養講座」のアルテミジア・ジェンティレスキの回で性差別・セクハラ問題に触れている。“やたら“美人”画家というのもセクハラだと思う”。
すっと胸がすく、嬉しくなった発言でした。

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