見出し画像

魔がささないように生きる

「何のために生きているんだろう、なんて思うときは、単につまんないときだよ」Podcastの「over the sun」の中で話されているのを聞いて、うんうんそう!確かに!と思った。
友人の話で、その息子さんが言うには「(自死するのは)魔がさした、ってことだと思う」。これも、大いに納得。
有名人でなくても、周りの人で…親しくなくても…自死の話を聞くことは少なくなく、事故死よりはるかに多い数です。これほど多いということは、私たちの脳に、自然にプログラムされているからなんじゃないか。
世は、自死を特別なこととして扱うけれども『毎日楽しいことが何もなく嫌になったときに、ふっともう終わりにしたいと魔がさす』という思考と行動のパターン。それは私たち人間にデフォルトとしてあるんじゃないか。それほど、寿命の限り生き抜くのは、人にとって過酷なんじゃないかと思えるのです。
心は常に揺れていて、それが大きく自死の方向へ振れてしまうことがある。某TV番組での話…「人の気持ちは揺らぎがとても大きく、窓から飛び降りても、地面にたたきつけられるその瞬間までに、しまった!と後悔したりする」。怖っ…。
以前、安楽死を実行するドキュメンタリーを放映していた。本人の意識が薄れるその瞬間には、“やっぱり生きたかったかも”の思いがよぎったかも…検証は絶対できないけれども。
自分はこうするんだと決めていても、実際にそうなると気持ちは揺らぐもの。自分で決めたんだからと、自分で自分を納得させるしかない。目の前に「死」が迫るって、本当に死ぬってときにしか経験できないことで…シュミレーション不可能。
有名人の自死のニュースが流れたとき、複数での雑談中「勇気あるよね」と話した方がいた。死が怖いというのは、多くの人が感じる共通の心情。そこを飛び越えられるのはよほどのことと、私たちは考える。でも“はずみで”ということも、よくあることかもしれない。
思わずかーっときて声を荒げたり、悲しくて涙があふれてきたりというのと、同じ性質のものかもしれない。激しい動揺により理性が吹っ飛ぶ。
なんで生きるのかなんて誰にもわからない。ただ、「死ぬまで生きる」(これも友人が言った言葉)。死んだら、その直前にいくら悔いても、もう生の世界に戻ってこれないから。
なんで生きているんだ私…と心がざわざわしてきたら、ヤバイと自覚して“魔がさす”のを阻止する。美味しいもの食べて好きなことして、好きな人に会って話して笑って…。
むかーし、NODA・MAPの舞台で、鈴木京香扮する女の台詞。「答えが出ないことは明日へ先送りするのよ」(確か)。ときにその境地が、生き抜くには大事なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?