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「あり得ない」と言わない人を政治家に

“選挙割”のお店、一気に増えてきたね。配布される投票証明書も上等な紙に印刷されるようになり、求める人が多くなったんだな、って思う。
数年前に友人のお店で始めた頃は、へーこんな証明書あるんだーと思ったけれど。どんどん広がればいいな。いいこと。
そして、私にとって、故郷出身の40代前半政治家が生まれたことも、今回の選挙でよいことでした。きっと弱者の気持ちがよくわかる人。頑張れ~。
少なくとも、選挙のたび若い世代が増えていくのはいいことと感じます。
が、候補者の人柄をよく見るって選挙の基本だったな、と改めて思い出しました。
比例代表制や小選挙区が取り入れられ、人よりも政党で選ぶ人が多くなったかと。私も政党重視で選んでいるし…昔よりさらにその傾向は強まりました。結局国政では、多数決という諸刃の刃(というか“悪”の面が強くなってきた?)が力を持つから。
が、人柄ってやっぱり大切だった…何を今さらって言われそうですが。
保身は誰にでもあって、候補者が当選戦略として政党を選ぶこともあるだろうし…それを一概に批判はできないし…。人柄を見ると言ったって、政治家に知り合いはいないし、日常的に政治をチェックしてもいないし、口はばったいけれど。
が、最低限、どの政党であろうと“弱者の問題を他人事として捉えない人”に、政治家になってもらいたい。何か悲惨な事件があったとき、「あり得ない」って言う人は、即もう政治家としてNGと思う。それを口に出せる時点で。悲惨な事件があったとき、意外と簡単にこの言葉…親しい人でもよく口にするので返答に困るね。少なくとも政治家は、絶対口にしてはだめ。それは私の信念。
ネットの日経BOOKプラスで、若きジャーナリストの小西遊馬さんが、太宰治「人間失格」とウクライナ情勢をからめて述べていて、深く共感しました。
「人間失格」には、人が持つ普遍的な何か…あえて言葉にするなら暴力性とか変態性か、と記しています…がある。むき出しの人の心の弱さがあり、それが人の心を救う、と。続けて、ウクライナでのことを「あり得ない」というのは、自然な感想ではあっても危険だとも思うと。そこに、自分なら絶対やらないという心が透けて見えるから。人間は知性や理性で人が本来持つ醜い部分を抑えている…「あり得ない」と軽く言ってしまうことへの警笛を鳴らしています。
どんなことに対しても「あり得ない」とは決して考えない…こういう人が活躍できる時代になるよう、絶えず応援していきたいです。

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