宝石になった日

BUMP OF CHICKEN歌詞考察#1.「宝石になった日」-なんでもない君との日常が、僕にとって特別なものへと変わった日

「宝石になった日」と言えば、カルピスウォーターのCMで起用され話題になりました。イントロの"キラキラしたアルペジオ"や"サビの高揚感"などの爽やかなイメージが、清涼感のあるカルピスとの相性がぴったりだったのでしょう。

MVも制作され、「BUMP OF CHICKENとお客さんとの間で作られたライブが良い思い出となった日」=「宝石になった日」と感じずにはいられない内容の映像でした。BUMP OF CHICKEN「宝石になった日」

MVの内容に関して賛否両論ありましたが、今回は僕なりの「宝石になった日」の歌詞考察をしていきたいと思います。

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現実から背ける孤立した主人公

夕立が屋根を叩いた唄 窓の外で世界を洗った
掌にはなんにもない ただなんとなく眺めて何分

あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう
時計の音に運ばれていく

上記の歌詞からは、主人公はこちら(外界≒現実)に背中を向け、ぼんやりとただ時間だけが過ぎていくことが読み取れます。

さらに「窓の外の夕立」という描写を施すことにより、しんみりとした情景を描いています。

建物の外の世界はおろか、中でも背を向けていることから、自分以外のモノ・コトから自ら遮断している様子が伺えます。

太陽は何も知らない顔 完璧な朝を連れてくる
丸めた背中で隠して 冴えない顔 余計なお世話

「元気出せよ」と言わんばかりの「完璧な朝」を連れてくる太陽に向かって"余計なお世話"だと言っています。

普通の状態を求めているのにも関わらず、なんとなく時間を過ごしたり、太陽にまで背を向ける主人公。

現実から背けたくなる程の何かがあったとしか思えません。その「何か」は一体なんなのでしょうか?

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死別なのか生き別れなのか

増えていく君の知らない世界 増えていく君を知らない世界
君の知っている僕は 会いたいよ

増えていく君の(を)知らない世界と歌っていることから、「君」はすでに亡くなっていると僕は考えます。

物理的に、自分に近い環境から君がいなくなった(転校や転勤、海外留学などが例として挙げられます)とも解釈できます。

いずれにしろ、「僕」は「君」とお別れしています。BUMP OF CHICKENの楽曲「グッドラック」の歌詞と比較してみると、生き別れではなさそうに思えます。

(ほ)=宝石になった日 (グ)=グッドラック

(ほ)忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る
(グ)くれぐれも気を付けて 出来れば笑っていて
忘れたらそのままで 魂の望む方へ

寂しさを紛らわすために笑っていても、夢に見るほど悲しい出来事があったのに対し、グッドラックでは、"忘れたらそのままで"と忘却に対しあまり否定的にはとらえておりません。

むしろ"魂の望む方へ"とアドバイスを与えています。

(ほ)ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
(グ)君と寂しさは ずっと一緒にいてくれていた
(グ)君がいる事を 寂しさから教えてもらった
(グ)君の生きる明日が好き その時隣にいなくても
言ったでしょう 言えるんだよ いつもひとりじゃなかった

「宝石になった日」では、大きな寂しさのせいで"ひとりじゃないと思えない日もある"と歌っています。

「グッドラック」では、「寂しさ」を肯定的にとらえ、君が隣にいなくても"寂しさがあることでひとりじゃないと思える大切さ"を歌っています。

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もうひとつ、別れを題材にした楽曲から歌詞を引用させていただきます。

星を読んで位置を知る様に 君の声で僕は進めるんだ
さよならを言った場所には 君の声がずっと輝くんだ

上記はアルバム「RAY」収録の「サザンクロス」という楽曲の歌詞です。

この曲は別れを「南十字星」の形をモチーフにして表現された曲なのですが、お別れした場所で交わした約束が星のように輝き続ける事で、それを頼りに精神的に前へ進めるんだと伝えています。

「グッドラック」や「サザンクロス」では「寂しさ」や「別れ」を自分の納得のいく形で解決し、前へと進んでいる様子が伺えます。

しかし「宝石になった日」では、"あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう"とあるように、主人公はなかなか前へ進めていないように思えます。かといって生きる事をやめることはしていないようです。

(ほ)全自動で続く日常をなんとなく でも止めないよ
(ト)震える足でも進めるように 自動的に空が転がるように
(ト)次々襲いくる普通の日々 飲み込まれないでどうにか繋いでいけるように

「トーチ」(RAY収録)でも同じことを言っているような気がしますね。

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「寂しさ」と向き合う事で自分を救った主人公

"あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう"と、「寂しさ」や「悲しさ」から解放されるのを望んでいる「僕」には何か術があるのでしょうか?

「寂しさ」を拭う為に「君」とお別れした現実を、あたかも忘れたように笑っていこうとする「僕」は、やっぱり君を忘れられず、寂しさをどうしても拭うことができません。

しかし「僕」は、「大きな寂しさ」から気づいたことがあるようです。

こんなに寂しいから 大丈夫だと思う
時間に負けない 寂しさがあるから
忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる

人生には出会いと別れが交錯し、そこには思い出になることや、反対に忘れられてしまうものもあったりします。

「お別れした相手への想いはこの程度のものだったのか」と、忘れてしまうことに対して自己嫌悪に陥ってしまう場合だってあります。

「宝石になった日」の「僕」は、「君」とお別れした寂しさが時間に負けないものだと気付きました。

「時間に負けない寂しさ=忘れない寂しさ」があることにより、 「君に対する想い」がそれほど大きいものなんだと自ら気付くことができたのです。

振り返らないから 見ていてほしい 強くはないけど 弱くもないから

悲しい出来事を振り返ることで普通ではない状態に陥ってしまった主人公は、「君」に対して「振り返らないから見ていてほしい」と伝えています。

お別れした「君」に心配させない為の礼儀なのかもしれません。さらに「強くはないけど〜」と加えることで「少なからず、君とお別れした寂しさの中に留まることはしないよ」と、伝えたいことの説得力を持たせてます。

「大きな寂しさ」と向き合うことによって、やっと前に進むことの決意ができ、「普通ではない状況」から自らを救うことが出来たのでしょう。

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でもやっぱり「大きな寂しさ」はずっと残っている

「君に対する想いの大きさ」を再認識し前に進んでいくことができている主人公は、一見、寂しさや悲しみによる「精神的な滞り」が解消できたのではないかと思えます。

忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る
ひとりじゃないとか 思えない日もある

「君」を夢で見たり、「ひとりじゃないと思えない日もある」主人公は、「やっぱり大きな寂しさがあるから」と歌っていることからもわかるように、「忘れられない寂しさ」がどうしても残ってしまっています。

ずっとそこに留まることはせずとも、生きていく中で立ち止まって「大きな寂しさ」を感じずにはいられないようです。

しかし、ときどき立ち止まって寂しさと向き合うことによって、前へと進むことができているし、笑ってもいけるようです。「時間に負けない寂しさ」を感じている主人公は、そんな寂しさを自発的に感じる必要があるのかもしれません。

前へ進む為には、寂しさを感じ、自分なりの表現で「君に対しての想いの大きさ」を再認識し、ある場合には様々な形で昇華していく必要があるのかもしれません。

そうすることで、「こんなに寂しいから 大丈夫だと思う」と自分を納得させることが出来ます。主人公は、これからも「君への想い」を再認識する機会を設け、前へと進んでいくのでしょう。

もしこの主人公が藤原さんだとしたら、「宝石になった日」という歌で「君に対しての想いの大きさ」を藤原さんなりに表現したのかもしれませんね。

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「宝石になった日」「稲妻」「君」とは誰なのか

歌詞に何度か出てくる「宝石になった日」「稲妻」「君」というワード。
これらの意味は一体なんなのでしょうか?3つそれぞれ解釈してみました。

①宝石になった日

あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日

「なった」とあることから、過去は「宝石」ではなかったと言えます。

「宝石」から連想するワードとして、「キラキラしてる」「高級感」「特別な物」「硬い」が挙げられます。

「その日」までは特別感を感じなく、当たり前のものとして日常に存在していたのでしょう。

前述した僕の解釈から考えると、「僕」は「君」と何らかの形で「お別れ」をし、僕はそれを「死別」だと解釈しています。「君」が亡くなれば、もう君との記憶は増えていきません。残っているのは「君と過ごした日々」であって、「過去の記憶」です。

「君の温もり」や「何度も聴いた君の声」、そして「君がいた事」の記憶が、お別れする事で「時間に負けない寂しさ」を生む程の価値があると気付いた「僕」は、それらのかけがえのない記憶たちを「宝石」と表現したのだと思います。

すると、「宝石になった日」とは「なんでもない君との日常が僕にとって特別なものへと変わった日」と置き換えることができます。 つまり、「宝石になった日」とは、「君が亡くなった日」になるんだと思います。

②稲妻

君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻
あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えていった

「稲妻」=突然やってきて、瞬く間に消えてしまうもの

「君」との出会いと別れは「僕」にとって早過ぎたものだったのでしょう。「僕を照らし出した」とあるように、「君」の存在は「僕」にとって強く輝いていたものでもあったのでしょうね。

③君

応えがなくても 名前を呼ぶよ 空気を撫でたよ 君の形に

感覚的な話になってしまいますが、「君」とは、"物理的に小さな相手"だと思います。

対象が大きなものだと、「空気を撫でる」という表現に不自然さが残ってしまいます。子供や、猫・犬などの小さな動物だと、「君の形に空気を撫でる」という行為が自然なものとして感じることが出来ます。

あくまでも僕の感覚ですし、そもそも藤原さんがあえて曖昧さを残している対象を掘り下げて、具体性を持たせるのはあまり良くないかなと思うんですよね。聴き手が自由に解釈できるような楽曲が多いのも、BUMP OF CHICKENの良さだったりするのです。

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まとめ

この楽曲の歌詞解釈をしてみて、長文になってしまいましたが、まだまだわからない難解な部分がたくさんあります。

藤原さんの書く楽曲には、それぞれ共通する内容のものがあるので、他の楽曲の解釈をしていくことにより理解できる・納得できる部分が出てくるのかもしれないですね。

気付いたこと、解釈が変わったところがあれば追記もしくはリライトしていきたいと思います。

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