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創作意欲と筋肉痛

「ひとりブックカフェ」構想は風呂敷を広げ続けています。

はじめはこの一部屋をただ「まるでブックカフェ」みたいにしたいなと思っただけでした。

続いて小部屋を「特集部屋」みたいに使ったら面白いかもしれない、と思いました。ちなみにこの部屋の中のコンテンツについては全然着手できていません。

なぜなら、「ひとりブックカフェ(本体)」が場所を浸食していくからです。

管理人部屋 兼 書庫 みたいなところがあった方が良いな、と思ったのでこの小さな部屋を片付けて本を入れました。


ブックカフェスペースとこの管理人部屋(仮)は一つ空間を挟んでいます。

その空間は模様替え時にモノが置かれるスペースとなっており、気付いたらすごいことになっていたのでコツコツ片づけておりました。


ここの片づけも何となく終わりに差し掛かると、ブックカフェスペース側から見たこの部屋、そして管理人部屋から見たこの部屋の雑多さが許せなくなってきました。



ここは、かつてこの建物を保存し、利用していた方々がリビングのように使っていたスペースで、布地と糸で小物づくりをしたりして過ごしていたところなので、なんだか妙に生活感があります。

高齢化の波はこんなところにも押し寄せ、次第に利用者不在となり今に至るわけですが、もうなんかこの機に、名残を払拭してしまって良いかな、という気持ちになってしまいました。

何より単純に、大きなスチールの棚がブックカフェスペース側から見えるのが気に入らないのでした。

事務的で良いんだけどさ。何というかもう少し、重さが欲しいよな。そう思いました。

スチール製の棚なぞは、機能性は高いしもちろんデザイン性も素朴で全然悪くない。悪くないけれど僕はもっと古臭く重苦しい雰囲気を「ひとりブックカフェ」に備えたいんだ、と思い、このスチール棚を取っ払っちゃうことにしました。

重さがどうこう言っていたけどそれは雰囲気や概念の話です。あたかもこのスチールの棚が軽いかのような言い草だったかもしれませんが、この棚、持ってみると相当重いです。それで一人で無理をしたので、首筋と肩甲骨周りに嫌な、鈍い筋肉痛がこびり付き、パソコンに向かうのも何だか億劫な感じです。

これを書いているまさに今、低気圧も相俟って、非常に強い頭痛が生じています。だったら寝てろよ、と思うかもしれませんが、僕はわりと頭痛持ちで、この手の頭痛は休んでも別に良くならないことを知っています。

ならば何かしていた方が良いのです。実際、こうして駄文を認めている間は頭痛が楽になります。パソコンから離れたときが辛い。書き終わるのが怖い。

しかしそんなことをこれを読んでくれる誰かを引き留めるのも気が引けますので次の段落で終わりにします。

本来であればスチール棚を取っ払った後の写真も載せてしかるべきですが、壁一面が空白となり、置きたいもの、飾りたいものを考えているところなので、その辺の方針が固まったらまた記録したいと思います。

創作意欲と筋肉痛

創作意欲というのは幅が広いものだなあと思いました。

「ひとりブックカフェ」を初めてから、創作意欲が渋滞しており、いつも緩やかにパニック状態です。

本来僕の創作意欲と言えば、「小説を書く」という一点に集中しており、小説を書く気になるときが創作意欲のあるときで、書く気にならないときが創作意欲のないときでした。オン、オフがはっきりある感じでした。

しかし「ひとりブックカフェ」を作ることで、僕の創作意欲の幅は広がりました。これにより、少しスイッチが壊れてしまった感じがします。

まず環境をブックカフェ然としたものに出来たら、写真を撮って、誰かに見て欲しくなりました。

部屋が一つ片付いたら、この部屋から見えるあそこの部屋をどうデザイン(と言ったら大袈裟ですが)しようか、という思考でいっぱいになります。これも創作意欲。

そして部屋が片付いて、壁を見つめていると、ここに何を飾ろうか、という風になる。

何を飾るか考えるとき、それは部屋作りを考えるわけですが、同時に何を飾ったら写真に撮ったときに面白いだろうか?と考えるので、創作意欲の車輪が回り続けます。


こういう使い方も良いですが、オリジナルのもので、この部屋に似合う絵や写真が欲しいな、と思えばそれようの写真や、絵を用意したくなります。


頭痛でしたが、絵を描きました。

僕は絵心が無いので、ズルい方法でですが、絵を描きました。

ズルい方法とは何か、と言われると、これはちょっと種明かしをしたくありません。

やっぱり隠す程でもないので言いますが、写真をトレースして少しイラスト調にしたのです。

ちなみに紙は合成ですし、テープはイラストです。photoshopを使えば、ここにこんな感じで飾ったらどんな感じかな、というイメージが具現化できるから便利ですね。

もう少し大きく、かつ遊び心のある編集をしたものを載せておきます。傍らに猫と読み散らかした本を。そして背景にパンフレットを透かせたものを合成しています。おしゃれですね。


そうこうしていると僕の創作意欲は悪魔合体し、自分で書いた小説を、自分で描いた表紙デザインで、「ひとりブックカフェ」に置きたい、という気持ちが高まってきました。今の時代ならそういうこともできますね。

元々小説を書くのは好きなのですが、プロになりたいとかはあまり思っておらず、文学賞に応募する、というモチベーションもないまま創作を続けていました。受賞賞金をモチベーションに頑張ってみよう、とか思ったこともありますが、それでも応募するぞ!という気にはあまりならない。

しかしここに来て、何だか自発的に湧き出る意欲の原泉を見つけたような気がします。

螺旋を描く物語

さっきの段落で終わりのつもりでしたが大嘘でした。これを最後の段落とします。

とにかく、創作意欲がグルグル回るのです。精神が楽しさで舞い上がり、螺旋を描いているようです。

螺旋。良いものです。同じところを回っているつもりで、緩やかに上昇していく、面白い構造です。

「物語」のある類型では、ぐるりと回ってスタート地点に戻ったとき、少しだけ変わっている、というものがあります。

例として、今ふと思い出したのは『宇宙よりも遠い場所』というアニメーションです。

主人公の玉木マリは、初回では(確か)登校中に急いでいて、盛大に転びます。最終回の玉木マリはやはり通学中に躓くのですが、今度はぐっと踏ん張って、転ばずに走り続けます。

紆余曲折を経て、一周回って強くなる。物語の演出としてはあるあるですが、良いものです。同じところで同じことをしているはずなのに、冒険を経た後、少しだけ変化している。

それは僕らの人生において普遍的な出来事であり、また一方で人生の劇的なハイライトとなり得る経験でもあります。

筋肉痛というのも成長のプロセスの一つらしいですね。壊れた筋線維を修復し、少しだけ強くなる、らしい。痛みを経て、以前より少し軽く、モノが持てるようになる。変わっていないようで一周分、変化している。

しかし頭痛。これは特に痛みを経ても得るものはありません。低気圧は嫌ですね。

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