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替わる日

年が替わったり自分が歳を重ねたりするときには、なぜか儀式のようにやっていることがある。自分が一人になれる空間に行き、最後の数分間を一人で過ごすのだ。そして日がまわったあとの数分間も一人で過ごす。心の中で「ありがとうございました」「よろしくお願いします」と言いながら、替わる瞬間を迎えるのだけれど、なんか書いていて少しだけ怖くなってきた。

でもテレビを観ながらとか、スマホを見ているうちにとかで替わり目を迎えるのは何とももったいない。だから意図的にそういう時間を過ごすのも悪くないと思っているのだ。

今年もそれをしようと思ったのだけど、どうにも眠い。本を読みながら過ごせばなんとかいけるかと思いつつ、ベッドで横になって読み進めるのだけど、睡魔のほうがだんだん大きくなる。ついにウト・・・・・・っときて、一度目を覚まし、また何とか起きていようと本を読み進める。

パッ。と次に目を覚ますと、スマホの時計は0時をとうに回っていた。電気はつけっぱなし、また3時間少々したら起きて仕事に向かわなければならない。中途半端なことをしてしまった。自分の儀式めいた習慣をできなかった少しの後悔と、ここから3時間後には普段どおり過ごさなければならないという辛さ。そんな感情に浸ってもいられず、電気を消して即二度寝に就いた。

年が替わったり自分が歳を重ねたりしたときには、なんとなく「最初の行動」を意識する。とは言えそれは些細なもので、何を食べるかとかどんな音楽を聴くかとか。それで良いものに触れられれば自分も明るくなっていく、かなり気分的なものだ。

そんなことを言っておきながら、朝食はお弁当のおかずとエナジードリンク。音楽を聴くことなんてすっかり忘れていて、ラジオから流れてきた久保田早紀の『異邦人』が最初に耳に入ってきた音楽だ。意識しているどころか、完全に成り行き任せの結果だった。もちろん朝食は美味しいし、エナジードリンクのおかげで眠気など無い。リアルタイムで聴いていた世代ではないけれど『異邦人』はどこか懐かしく、聴き入ってしまった。

全く思った通りの出だしではないけれど、それはそれで悪くない。結果的にいつもと違う過ごし方になるのも面白い。

これからどう過ごしていこうか。自分の中に決めていることはある。理想の通りに進むかは分からないし、悩んだり苦しんだりもきっとあるだろう。でも、それならそれでいいのだ。理想と違っても決めたことにまず挑戦してみる。やってみなければ分からない、やってみて分かればまたできることもある。

また新しい一年を、でも今までとは違う一年を。
頑張れ、楽しめ、しっかりやれ自分。

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