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建築家、走る

国立競技場に始まって、最近新しくできる施設やビルはどれもこれも隈研吾。スニーカーやらペンまでデザインしてて、「どれだけ時代に求められてるんだよ」って状態なのに、隈研吾のことを何も知らないのも良くないな、と思って手に。

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この本を読んでいた時期に、せっかくなので隈研吾展に行ってみた。
隈が設計した代表的な建築の模型を中心に展示されていたんだけど、これがたまらんかったなー。
どれも、なんかこ"ドーン"感がなくて建築としての輪郭が強くない。
それよりも、地面から自生しているような感じで、かといってグロテスクさは微塵もないし、地味ではない。
周りと調和していると言ってしまうとそれまでなんだけど。

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展示でめちゃめちゃ面白かったのが、隈が原則の一つに「孔」を掲げていること。孔の存在が、建築の中と外を、都市と自然を繋いでいる。
物体としての建築物が完成品ではなく、その建築を通して外と中の関係性を作る。この「ドーナツの穴だけ残して食べる」的な現代哲学な発想(多分違うと思うけど)で建ったそれは、建築物を超えて哲学的な存在なんだきっと。

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サラリーマンを経験して、独立後も失われた20年の辛酸を舐め続けたクマさんの文章は、業界内・クライアントともうまく折り合いをつけてきたんだろうなーってのがよく伝わる。
だがしかし、その根底に見え隠れするのは前世代や過去の日本への強い批判。コンクリートを多用して、存在感のある「偉そうな」建築への、「いつまでもそんなやり方じゃダメでしょ」っていう意識。
その批判は、住宅ローン・高層マンション・専業主婦にも及んで、いわゆる近代が生み出したものに一貫した姿勢を見せるの、めっちゃ気持ち良い。

そんな彼のあきらめの精神がよくわかる、手の大怪我のエピソードが半端なく刺激的なんだけどそれは読んで。

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読後に改めて根津美術館に行ってみた。
南青山に並ぶ、気合の入った路面店達の刺激を少しずつ解いていくようなアプローチを抜けると、庭園の緑と空の青だけが見える荘重な館内で日常から少し距離を置けるような気がした。

そして、秋の訪れが始まっている庭園を歩いたら、身体中蚊に刺された。

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