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花が咲かない余生を、自分を大事にして生きる。宮本輝『花の降る午後』

人生の「大変」は、世の中に本当にあふれるくらいたくさんある。
毎日、数え切れない人が「大変」に巻き込まれて、「大変」の中に生きている。尊敬する。
そして時々、「本当に大変ですよね」と切なく思い、何もできないけれど、少しでも辛くないように、と願ったりする。願うだけしかできないから。

他の人の「大変」と比べて、自分の人生に起こった「大変」は、世の中にある「大変」ランキング(?)では、本当に最下位の最下位だと思う。
それでもやっぱり、自分の「大変」はいち大事で。
「大変」の後の人生は余生だ、と思っていたし、今もそう思っている。

今の人生は余生だ、と考えるとき、『花の降る午後』という宮本輝さんの作品に出てくる台詞が思い浮かぶ。
「人生からおりた人間に花は咲かない。」
20代の男の人が、30代の女の人に伝える言葉。

宮本輝さんは、昔も今も、とても好きな作家さん。
10代の頃読んだ『花の降る午後』は、あまり著名ではない作品だけれど。
多感な時期に読んだからだろうか、今読んでも、心が動く作品。
20代、30代、読んだ時の年齢に応じて。

花は咲かなくても。
余生だと思う今の自分の毎日は、余生じゃなかった毎日と比べて。
自分を大事にして生きている、と思う。
その想いは、自分をとても楽にしてくれる。
余生じゃなかった毎日に、こんな風に自分を大事にして生きられたら。
今の自分は、もっと違うところに居たのだろう、と思う時もある。

居られたかもしれない、花が咲く今日と。
今いる、花が咲かない余生を生きる今日と。
比べても仕方がないと思う。
自分を大事にして生きられる、花が咲かない余生を生きる自分を、私は肯定している。
それで充分だと思っている。

この先、自分の人生を疑う時があるだろう。
でも今は、自分が生きてきた道を地続きで肯定している。
花は咲かなくても、余生を生きられてよかった。
私と関わってくださる人に、感謝している。
そして、少しでも、自分が楽に生きられる人が増えますように、と願っている。
迷っているかもしれない未来の自分へ向けて。
現在の自分からメッセージを贈る。
余生を生きる私は、今とてもしあわせです、と。